キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

今日から、自分を好きになってあげよう -『うつヌケ』田中圭一-

ぼくは気持ちの上がり下がりが結構はげしい方です。重めの仕事があるとき、苦手な人と関わらなきゃいけないとき、そして気圧が急激に下がったとき、朝からズーンとゆううつな気持ちになることがしょっちゅうで。

 

そんな後ろ向きな自分をなんとか変えたいと、『プロフェッショナル』みたりとか、すごく頑張っている毎日イメージトレーニングをして、「こうあらねばならない」ってイメージを自分の中に定着させようとしてたんですが、なかなかうまくいきませんでした。それで、「やっぱ自分ダメじゃん」って思っちゃったりして。悪循環。

 

でも最近、『うつヌケ』を読んだら、結構心が晴れたんです。

 

 

『うつヌケ』は自らもうつを経験した田中圭一さんが、うつトンネルを抜けた人たちにどうやってうつと向き合ったかを取材し、漫画にしてまとめた本。

 

ぼく自身は倦怠感や無気力といった症状がずっと続くというわけではなく、たまに(特に天気の変わり目に)そうなるという感じなので、うつ病ではないと思うのですが、それでも読んだ後気持ちが軽くなったんです。

 

それは、「ありのままの自分を受け入れればいいんだ」ということに気づけたから。本でも書かれているように、うつになってしまう要因として、自分を嫌いになることが大きいんですね。「自分なんかダメだ」と。

 

人間は本質的に、

  • 自分が好き
  • 肯定されたい
  • 必要とされたい

→これに抗うとうつになる。

(161頁)

 

という、メカニズムはすごくシンプルです。

 

ぼくの場合、まさにそんな本能に抗っているとき、気持ちが憂鬱になっていました。

 

「メールはすぐ返さなければならない」

「ゲームをする時間があったら、読書して教養をつけなければならない」

「毎日決まった時間に早寝早起きしなければならない」

「仕事でプロフェッショナルにならなければならない」

 

みたいな思いがあって、それをできないと「自分はダメなやつだ。嫌い。」って責めちゃう。心が責めちゃうけど、体は「ゲームしたいよー」ってなってるから、反抗する。そんな心と体の対立が、調子の悪さにつながってたんですね。

 

だから、「ねばならない」思考は捨てたほうがいい。捨てた上で、自分を受け入れてあげる。「ゲームしちゃお! そんな自分もありだよね!」「別にプロフェッショナルにならなくたって、自分は自分だよね!」って、自分を受け入れてていいんです。

 

そう考えたら、ずいぶん楽になりました。

 

この本は、別にうつ病に悩んでいる人でなくても、「自分はネガティブなとこあるなー」って思う人にはオススメ。

 

それに、今の時代誰もがいずれうつ病などの気分障害を抱えるリスクは持っているし、ましてや周りの誰かがうつ病になることはかなりの確率であるのだから、こうした本を読んで「うつ病ってこんな感じなのか」って知っておくのはいいですよ。ぜひぜひ読んでみてください。

 

 

 

 

「働く」と「アイデンティティ」

20歳から25歳くらいまで、働けない時期がありました。働くことがすごく怖かったんですね。

 

もうちょっと詳しく言うと、「賃労働で発生する、お金を介したコミュニケーション」が幽霊より雷より怖かったのです。

 

俺はなにもできない、価値のない人間だ

 

当時セブンのバイトをしていたのですが、レジに立つと動悸が早くなるわ、汗はだらだらかくはで大変なんです。だから僕が好きだったのは、裏でフライヤー(チキンを揚げたりするやつです)を掃除する仕事。それをしているうちは誰の目にも触れなくていいですから、楽なんです。

 

でも、だからってずっと裏でフライヤーを掃除してるわけにはいかない。お客さんがきたらレジに立たなきゃいけないわけで、その度に焦ってミスをする。ミスをするからもっと焦る…という悪循環。

 

結局3ヶ月くらいしか続かなくて、辞めちゃいました。「俺はコンビニのバイトすらできないのか」って愕然として。「俺はなにもできない、価値のない人間だ」って自信をなくしてました。

 

いや、自信をなくしてた、と言うとちょっと状況を十分に伝えきれていないかもしれない。「もう生きていってもしょうがないな」くらいは思ってました。ほんとに。

 

「働く」と「アイデンティティ

 

そのときに強く学んだのは、「働く」と言うことと「アイデンティティ」は強く関係しているんだな、ということ。

 

なぜなら、「働く」ということはお金を稼ぐ意外に、「他者と関わる」という役割も持っています。「働く」が「傍(はた)を楽(らく)にする」ことだとはよく言われますし、マルクスも「人間は労働を通して社会的存在になる」と言っています。

 

そして、G.H.ミードが自我は他者とのコミュニケーションを通してつくられると言ったように、「アイデンティティ」の形成にとって他者との関わりは欠かせません。

 

これらをふまえると、働くことを通じて他者と関わることは、個人のアイデンティティをつくるうえで非常に大切になってくるといえそうです。

 

そして、とても重要なことは、僕がそうであったように、「働くことができない」という状況は個人のアイデンティティを危機に追い込むことがあるということ。

 

ニートの若者に対して、「働かないのは怠けているからだ」といった自己責任論を振りかざす方もいますが、働けないことというのがキリキリと一人の人間の心を締め付けていくことがある、ということは頭の片隅に置いておいて欲しいと思います。ただでさえ苦しんでいる人に対して、他者がダメ押しをするのはあまり褒められた行為じゃありません。

 

働く機会づくりを通じたインクルージョン

 

「働く」と言うことと「アイデンティティ」は強く関係している。ということは裏を返せば、働く機会を生み出すことは、個人が「自分らしさ」を感じながら生きる機会を生み出すことにつながるはずです。

 

それっぽい言葉で言うと、働く機会の創出を通じた「ソーシャルインクルージョン」でしょうか。

 

「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念

(引用:障害保険福祉研究情報システム:ソーシャルインクルージョン

 

たとえば、徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」は、地域のおばあちゃんたちの働く機会を生み、生きがいを作り出した事例ですね。

 

www.nikkeibp.co.jp

 

ソーシャルインクルージョンは障害のある方や高齢者、子育て中の方や難民、ニートなど、限られた方を対象とした考え方ではなく、すべての人を対象にした考え方だと僕は思っています。

 

個人のキャリアを支援する人間としては、自分が支援に関わった方が仕事と出会うだけでなく、その仕事を通して自分らしく、笑顔で働けている姿を見たとき、なににも変えがたい喜びを感じるのです。

 

北欧の大人の学校、フォルケホイスコーレとカオスパイロット

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北欧いきたいなぁと念じてたら、北欧に関するイベントのファシリテーターをやらせてもらう機会を得ました。(念じてみるものですね。行く機会はまだなさそうですが)


「フカボリ!デンマーク」と題して、今話題のデンマークのことを深掘りする企画。今回は、「フォルケホイスコーレ」と「カオスパイロット」という、世界が注目する2つの「大人の学校」の経験談を、フォルケに行った寺崎 倫代さん、カオスパイロットに行った中村幸夫さんをお招きして語っていただきました。

 

「フォルケホイスコーレ」と「カオスパイロット」。僕もあまり知らなかったんですが、これが日本の成人教育とはかなり違って、すごく面白いんです。

 

フォルケホイスコーレは、 デンマーク国民の父と呼ばれるN. F. S.グルンドヴィさんという方が始めたもので、人間同士の対話を通した人格形成を大事にしています。

 

もうちょい詳しくいうと次のようなもの。

 

フォルケホイスコーレは、現在デンマーク国内に68校あるデンマーク生まれの全寮制の成人教育機関。主に4か月から6か月のコースで、文学、語学、音楽、環境、哲学、スポーツなど、学校ごとに複数のコースが定められ、教科は多岐にわたる。

教師と学生が平等な関係の中で相互に学ぶことが重要な理念のひとつであり、授業では自由な対話が重視される。入学試験を含めたテストや成績評価はない。また全寮制であるため、授業外でも学生や教師が生活の多くの時間を共にする。

政府から思想的に独立した私立学校だが、デンマーク政府の助成を受けているため、国籍にかかわらず、学生は学費の一部のみを負担する。17歳半以上であれば国籍、宗教、民族とは無関係に入学可能で、国外からも多数の学生を受け入れている。

(引用:デンマークの自由すぎる教育機関『フォルケホイスコーレ』が個人と社会を幸せにする理由 – EPOCH MAKERS - デンマークに聞く。未来が変わる。

 

ちなみにフォルケはデンマークに限らず、北欧全体にあるようです。

 

一方、カオスパイロットは次のようなもの。

 

 

「カオスパイロット」は世界で最も刺激的なビジネススクールとも言われているようです。

デンマークの第二の都市、オーフスに位置する3年制のビジネスデザインスクールです。Ode magazineが2007年に“型破りな名前だが、世界で最も刺激的なビジネススクール“と評し、Business weekでは2008年に世界のベストデザインスクールとして紹介されています。

型破りな名前は、「カオス的な混乱した状況でもパイロットのようにナビゲートできる人材を育てる」ことに由来します。

(引用:世界で最も刺激的なビジネススクール「The Kaospilots」の授業とは? | 幸福大国デンマークのデザイン思考 | ダイヤモンド・オンライン

 「カオス的な混乱した状況でもパイロットのようにナビゲートできる人材を育てる」というのが面白いですね。

 

イベントに登壇した中島さんいわく、カリキュラムは非常に実践的。実際にプロジェクトをチームで担当する事を通して、カオスな状態でも上手に乗り越えていける実践知を身につけていけるようです。

 

2つの学校に共通しているのは、対話を非常に大切にしていること。フォルケの場合は対話することを通してそれまで気づかなかった自分に気づき、カオスパイロットは対話を通して予測不可能なプロジェクトを協力して進めていく。

 

キャリアデザインでも、エンカウンターグループなど対話を通して気づきを与え合う方法がありますが、そうした方法がとても一般的になっているのがデンマークなのかもしれません。一度行ってみたいなぁ。

 

ローカルが豊かになると、生き方の選択肢も増える

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「ちまたではローカルローカルいうけど、ローカルのなにがそんなにいいんだ」

 

なんて思っている人も、なかにはいるはず。僕も田舎暮らしに憧れがあるし、いずれは移住したいと思ってるけれど、「みんな都市に集めた方が効率的じゃないですか」みたいなこと言われたら、まごまごしちゃってたと思うんですよね、実際。

 

今日参加した「green drinks Tokyo 本当の「ローカル」ってなんだろう?」は、「ローカルのよさ」ってこういうことかもと、自分なりに腹落ちするきっかけになりました。

 

特に面白かったのは、グリーンズ鈴木 菜央さんが紹介してくださったアメリカでのクラフトビールのはなし。日本ではビールといえばアサヒとかサッポロとか、ナショナルビールをイメージするけども、全米のビール市場の12.3%はクラフトビールが占めていて、その売り上げは年間2兆5000億円。これは日本のビール市場と同じなのだとか。そうしたクラフトビール志向の背景には、ローカル志向があるのだそう。つまり、地域で作られたビールを飲むことで地域内で経済が循環し、地域に雇用が生まれる。「だったらクラフトビール飲もうよ!」ってことらしい。

 

つまり、これはビールの事例だけども、食材でもエネルギーでも地域内で自給できるようになるほど、地域で経済がまわるようになり、そうすると地域に雇用が生まれ、そこに住む人が増えるんですね。

 

働きかた編集者の立場からいえば、これってすごくいいこと。やはり「この地域に住みたいけど、仕事がないから」という理由で離れてしまう人はいるんですよね。だから地域に雇用がある(あるいは自分でつくれる)ということは、人生の選択肢が増えるということ。

 

ローカルが豊かになるということは、人生の選択肢が増えるということなのですね。

 

「みんな都市に集めた方が効率的じゃないですか」というのは、それはシステム側の論理から言えばそうかもしれないけど、僕ら人間は研究室で培養されている菌ではないわけで、一人ひとり生きたい人生を選択する自由があるはず。その選択肢はきっと多い方がいいと考えると、やはりいろんなローカルが存在していて、自分にあった地域はここだな、って選べる方が、豊かな社会じゃないかな。

 

 

 

 

Be→Stand→Have→Doの順番で考える「内発的キャリア選択」について

『シゴトゴト』で「仕事は人びとを幸福にするか」という連載をしています。

 

仕事と幸福の関係についていろいろな分野の専門家にインタビューしているのだけど、僕自身「なるほど」と思うことばかりで、とても勉強になる企画です。

 

そのなかで思ったことの一つが、キャリアを選択する時の、考えることの順番。それを今日はちょっと紹介してみます。

 

キャリアを考える時の補助線

 

神宮球場で野球を観戦している時に「小説家になろう」と思った村上春樹みたいに、突然のインスピレーションだったり、本田圭佑みたいに小さい頃からの夢が根っこにあったりと、キャリアを選択する時に何に基づいて考えるかは人それぞれでしょう。だけど、考えることに行き詰まったときにヒントになる、補助線みたいなものがあると、キャリアの選択は楽になるだろうと思います。

 

キャリアを考える時の補助線としては、「仕事は人びとを幸福にするか」のなかでもいくつもヒントをいただくことができました。

 

例えば成瀬まゆみさんは「『Be(どういう状態でいれば幸福なのか)→Have(そのためになにが必要なのか)→Do(そのためになにをすべきか)」という順番で考えると、行動がBeで貫かれるので、一貫性が出る』と言っています。

(「幸福を”Be→Have→Do”で考える。」成瀬まゆみさんが語る、働き方に悩んだ時にすべきこと-仕事は人びとを幸福にするかvol.4- - シゴトゴト|仕事旅行)

 

シゴトゴトの記事ではないけれど、兼松佳宏さんが言う「BEとしての肩書き・DOとしての肩書き」という考え方にも通じると思います。

(DOとしての肩書き、BEとしての肩書き | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。)

 

さらに、『次の時代を、先に生きる。 - まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ -』の著者である髙坂勝さんへのインタビュー(近日公開予定)では、必ずしも貨幣経済のなかで生きる必要はない、ということが語られます。

 

確かに世の中は貨幣経済だけでできているのではなく、自給自足経済や物々交換経済で成り立っているコミュニティもあるので、ひたすら消費と成長を目指す貨幣経済が息苦しければ、距離をおいたっていいのです。

 

Be→Stand→Have→Doの順番で考える

 

こうした考え方に触れて、あるひとつのキャリアの選択の順番があるんじゃないか、と思うようになりました。

 

それが、「Be→Stand→Have→Do」です。順番に見ていきましょう。

 

Be

自分がこうありたいと思う”あり方”のこと。”根っこ”や”価値観”と言ってもいい。

 

兼松さんや成瀬さんが言うように、どういう自分でいたら気持ちがいいか、自分を好きでいられるか、と言った問いを自分に投げかけることで探っていきます。

 

と言っても、4つのフェーズのなかで多分一番難しいのがおそらくこれ。アイデンティティに関わることなので、自分のことを深く掘り下げないといけません。その分、「Be」が見つかったら、それに紐付いて「Stand→Have→Do」は自然に出てくるかもしれないですね。

 

Stand

どこに立ち位置を取るか、ということ。もっと具体的に言えば、「貨幣経済、自給自足経済、物々交換経済、あるいはそのハイブリッド経済、どの仕組みを大事にするコミュニティにに立ち位置を取るか」ということです。

 

鯉は地上で生きられない。ライオンは深海で生きられない。それぞれの存在にはそれぞれの生きる場所があります。もし生きることに苦しさを感じたら、それは生きる場所、とっている立ち位置が間違ってるのかもしれません。

 

だとすると、例え転職をしても貨幣経済にどっぷり浸かっていたら苦しさは変わらない可能性があります。その場合、貨幣経済ではないコミュニティがある地方に移住する、という選択肢を取るのもひとつの手になるでしょう。

 

Have

何を持つのか考えるというフェーズ。髙坂さんが提唱している、「ミニマルライフコスト」のような考え方です。つまり、まず自分が望むライフスタイルを実現するには何が必要なのかを把握するのです。次に、そのモノやサービスを手に入れるにはいくら必要なのかを弾き出す。そうすると、生活に必要な「ミニマルライフコスト」がわかります。

 

髙坂さんがいうように、消費者マインドから距離を置いて、自分で農作物を作ったり必要以上のものは買わないように心がければ、以外とミニマルライフコストは少なくて済むはずです。

 

Do

その上で、初めてDo(なにを仕事にするか)を考える。「Be→Stand→Have」までは考えてあるので、自分の価値観に沿って、心地よい場所で、必要なだけ働ける仕事を選ぶことができるはず。

 

 

万能ではないけれど

 

もちろん、誰もがこうした考え方の順番を取るべきだ、ということじゃありません。一瞬のひらめきでキャリアを決めて、うまくいった人もいるし、夢を貫く人もいますよね。

 

ただ、キャリアの選択に行き詰まったときに、こうした順番で考えたら視界が開けるかもしれない、ということです。

 

特に、この考え方だとまずBe(あり方)から入り、それをベースに考えていくので、根っこがしっかりしたキャリアを作れるんじゃないかと思うんですよね。その意味で、「内発的キャリア選択のステップ」とでも言いましょうか。(いや、しかしカタいな…)

 

ただ、このアイデアはまだ実践されていないので、あくまでも「こんなのもアリかも」というもの。なので僕自身が一度、この考え方でキャリアを棚卸ししてみようかな。機会があれば、その結果もお伝えします。

 

 

 

キャリア支援をケイパビリティ・アプローチから考えてみる

記事を書いたり、イベントのファシリテーターをやったり、求人サービスのプロジェクトマネージャーをやったり。今年の7月に独立して以来、あれやこれやと”働きかた編集者”の仕事をしています。

 

はたから見ると、あれやこれやかたっぱしからやってるなー、と思われるかもしれないですが、一応自分のなかではすべての取り組みを貫く”旗印”みたいなものがあります。

 

それが、「キャリアのケイパビリティを高める」ということです。今日はちょっとそのお話を。

 

ケイパビリティとは

 

「ケイパビリティ」は、1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した考え方。すごく大雑把に言ってしまうと、「生きていくうえでの選択肢の幅」のことです。

 

センがこの考え方を提唱したのは、1980年半ばのこと。それまでは豊かさをはかる指標として、国民総生産が一般的でしたが、センは疑問を投げかけます。国が経済成長をしているからといって、格差が解決されているわけではない、と。たしかに現代の日本をみても、GDPは世界の3位であるものの、たとえばひとり親世帯の貧困率は5割を超えOECD加盟国の中では最低水準と、依然として格差は存在しています。

 

そこで、センが国民総生産にかわる豊かさの指標として注目したのが、「○○できる(to do)。○○である(to be)」という自由や能力の平等性(the equality of basic capabilities)でした。

 

たとえば、長生きをすることや、教育を受けること、コミュニティに参加すること、幸福であること、自尊心を持っていることなど、「○○できる(to do)。○○である(to be)」といったことは、望めば誰でも選択できるわけではありません。お金がなかったり、学習の機会がなかったり、情報がなかったりと、さまざまな制約によって実現できないということが考えられます。大事なのは、お金がないこと以外にも、選択を阻む要因はあるということです。

 

センは、こうした「○○できる(to do)。○○である(to be)」を、やりたいと思えばできる現実的な選択の機会のことを「ケイパビリティ(capabilities)」と呼び、ケイパビリティが高まることを「発展」と定義付けました。「経済成長=発展」という考え方からすれば大きなパラダイムシフトですね。

 

 

キャリア支援とケイパビリティ

 

こうしたケイパビリティの考え方は、キャリア支援の仕事をする上でとても重要だと僕は思っています。

 

つまり、「大企業で高い年収を得よう」「NPOで社会貢献しよう」「地方に移住しよう」など、その人が「こういうキャリアを歩みたい」と願える、そして願った上で実現できるという、「生きていくうえでの選択肢の幅=ケイパビリティ」を高めることが、やるべきことなのではないかと思うのです。

 

たとえば、就活中の大学生を例にして考えてみましょう。雑誌では就活生の人気企業ランキングや、初任給ランキングなどを見かけますが、必ずしも新卒でいいお給料をもらえる有名企業に入れたら幸せになれる! とは言えないですよね。

 

もちろん、「大企業に入ったら幸せになれない!」とも言えない。大事なのは、選択肢の幅なのではないかと思うのです。就活生は、大企業から中小企業、ベンチャー、あるいは起業も含めて幅広く情報を得ることができる環境にあるのか。また情報を得れたとして、その中から自分が望む選択ができる機会・能力はあるのか。大学での学習の機会や学歴が就職に大きな影響を与えるとすれば、親の所得に左右されずに大学を選び、学べるようになっているのか…。

 

ケイパビリティの考え方をとると、そうした問いが浮かび上がってきます。これらの問いは、「新卒で有名企業に入って高い初任給を得る=就活成功」という考え方をとった場合には見えてこない問いかもしれません。

 

就活生に限らず、女性活躍推進や障がい者雇用、長時間労働の是正、ホワイトカラーエグゼンプションダイバーシティマネジメントなど、ケイパビリティの考え方を取ることでこれまでと違った見え方が浮かび上がるのではないでしょうか。

 

選択肢があることのリスクもある

 

個人的にケイパビリティの考え方が好きなのは、”開かれている”から。なにかの価値観を押し付けたり、押し付けられたりするのは、どうにも好きになれないんですよね。特にキャリアコンサルタントのような仕事だと、ともすると「キャリアについて教えてやってる」というスタンスになりかねない。僕もキャリアコンサルティングを受ける側だった時、そんなキャリアコンサルタントに出会ってげんなりした覚えがあります。

 

そうではなくて、多様な価値観に対して”開かれている”。それが素晴らしいなと思うのです。

 

とはいえ、”開かれている”ことのリスクもあると思っています。エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘したように、選択の自由があることは不安が伴うからです。うどんかそばかだったら選べるけど、ビュッフェになったら何を選んでいいかわからない。いっそ決めてくれた方が楽なのに! なんて、心の弱い僕なんかは思ってしまいます。そういうことです。

 

選択の自由には不安が伴う。特に、人生において大きなウェイトを占める「仕事」に関してとなれば、不安になるのは当然です。不安になったら、人は決めてくれる存在になびきやすくなります。そんな人を舌舐めずりして待ち構えているのは、ネットワークビジネスやいかがわしい宗教。そしてその極め付けは、『自由からの逃走』で描かれたナチズムへの傾倒でした。

 

「生きていくうえでの選択肢の幅」を広げつつ、 決めてくれる存在になびくのではなく、自分で自分の人生を選択することを支援する。それが”働きかた編集者”としてやっていきたいことなのですが、具体的にどういう方法に落とし込めばいいのか。カウンセリング、メディアでの情報発信、求人サービスなど、いろいろとやりながら模索中です。

 

日本社会全体を変えるのはちょっと僕の力では難しいので、自分の手の届く範囲で、ですが、地道にやっていこうと思います。

 

 

 

人はなぜ働くのか、について考えた

プレミアムフライデーホワイトカラーエグゼンプション、育休、週休3日…。

 

日々、新しい働き方に関するニュースを目にしない日はない。

 

でも、いろんな制度や働き方の是非を問う前に、一度立ち止まって「なぜ働くのか」を考えてみたいなー、と思う今日この頃である。

 

イデアが環境をつくる

 

「なぜ働くのか」。

 

哲学的な問いで、答えが出ない。そんなことを考えるより、手を動かせ。足を動かせ。とにかく稼ごうぜ。そんな声も聞こえてきそうだけれど、

 

バリー・シュワルツ氏は、私たちの行動や規範、制度の背景にある「アイデア・テクノロジー」の重要性について述べている。

 

科学はモノだけでなく アイデアも生み出します 科学は理解する方法を 生み出します そして社会科学が生み出した 理解の方法は 我々自身を理解する方法です そしてそれは 私たちがどう考え 何を望み どう振る舞うかに 大きな影響を及ぼしています

 

www.ted.com

 

改めて「なぜ働くのか」を考えたほうがいいというのは、シュワルツ氏が述べているように、「誤ったアイデアはそれを正しくするような環境をつくりだす」からだ。

 

「人は基本的に怠惰で、報酬がなければ怠ける」というアイデアは、アメとムチによって人を動機づける環境を生み出すし、「できるだけお金を稼いだほうがいい」というアイデアは、できるだけお金を多く稼げるようなゴリゴリの環境を生み出すし、「美味しいご飯があれば仕事を頑張れる」とアイデアは豪華な社食を生み出すかもしれない。

 

社会全体で、「なぜ働くのか」についての共通の答えを導き出すことは、これだけ価値観が多様化した今、不可能だし避けるべきことだと思うけれど、職場単位で「私たちはなぜ働くのか」という問いに対する、みんなが納得するような答えを用意するステップは、さまざまな制度を整える前にあってもいいのかもしれない。

 

なぜ働くのかに対する答えの例

 

「なぜ働くのか」という問いに対しては、アリストテレスの時代から、マックス・ウェーバーマルクス、ハンナ・アレントウィリアム・モリス、ジョン・ラスキン二宮尊徳など、古今東西さまざまな答えが用意されてきた。

 

例えば、次のような答えがある。

 

・働くことで、勤労・倹約を実現し、神の恩寵を得ることができるからだ

・働くことで、個人はお金を稼ぐことができ、社会という視点で見れば経済が成長するからだ

・働くことで、自分の労働で生まれた生産物を他人に与えるで幸福を感じることができるからだ

・働くことによる成果の美は、人間にとっての喜びだからだ

・働くことで他人からの賞賛を得られるからだ

・働くことで、それぞれ異なる存在である人間同士が尊重されるからだ

・働くことで人間は人生に意味を作り出していくからだ

 

また、「そもそも働くことは食べるための糧を得るためにすぎず、苦痛なことであり、そこに意義を見出そうとすることは間違っている。だから、なるべく働かないほうがよく、余暇のほうが大事だ」という考え方もある。ポール・ラファルグが「労働は、一日最大限三時間に賢明に規制され制限される時はじめて、怠ける喜びの薬味となる」と言っているのが象徴的だ。

 

働くことで人間は人生に意味を作り出していく

 

では、僕はどの考え方が好きかというと、「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方。なぜなら、自分自身がニートだったとき、「働くことができない自分の人生は、本当に意味がないな」と思うようになってしまった体験があるからだ。

 

それまではどこかで自分は他の人より優れていて、選ばれた人間で、意味ある人生を与えられているのだ、という考えがあって、その鼻っ柱が根こそぎ折られた。でも、こう思うようになった。確かに僕の人生に意味はないかもしれないけど、これから意味を作っていけばいいじゃないか、と。

 

「人生に意味を問うてはいけない。人生が自分自身に意味を問うているのだ」とヴィクトール・フランクルは言った。つまり人生それ自体にもともと意味があるのではなく、人生を通して「僕の人生はこんな意味がある」というように意味を作り出していく、という考え方で、そんな考え方は僕にとっては救いだった。

 

「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方の優れた点は、その意味はそれぞれの人が自分なりに見出していくことができる点にある。A君は神の恩寵を得るためかもしれないし、Bさんは彼女に褒められるためかもしれないし、C君はお金を稼ぐためかもしれない。それぞれの考え方が尊重される。それがいい。「寝る間も惜しんで働くべきだ」とか、「いやなるべく働かないほうがいい」とか、どんな考え方にせよ、ある価値観を押し付けられるのは息苦しい。

 

僕が「キャリアの物語を紡ぐ」と言っているのは、言い換えれば、「働くことで人間は人生に意味をつくりだしていく」というアイデアの上に立って、一人ひとりが自分なりの意味を見出していくお手伝いをする、ということだ。ある決められた答えがなく、自分で答えを見出していく(しかも、一度出した答えが年月を経て変わることもある!)ことは、結構苦しいこと。だからこそ一人でその作業をするのではなく、お手伝いをする存在になりたいと思っている。なにより、十人十色の意味のある人生の、その物語に触れられることは、本当に楽しいことなのだ。

 

参考

『働くことの意味』橘木俊詔 編著 ミネルヴァ書房