働きかたを編集する

働きかた編集者 山中康司の備忘録

自分の中に”問い”を持て

仕事がら、よく本を読んだり、記事を読んだり、イベントに行ったりして、おそらく一般的な28歳男性よりも勉強している方なはずであるわたくし。

 

が、あとから「あの本、どんなこと書いてあったっけ」「あの記事なんて書いてあったっけ」って振り返ってみると、さっぱり覚えてない。ぜんぜん頭に入っていないんですね。

 

結構時間をかけてインプットをしたのに何も残ってないのだ、と思うと、「やれやれ。自分は頭悪いのだろか」って気持ちになります。

 

情報の海に溺れている

 

まぁでもよく考えたら、現代に生きる僕らはものすごい量の情報を浴びています。ちょっと調べてみたら、全世界の情報の総量は急激に増加していて、2020年になるとなんと、世界中で40ゼタバイトに!!!!

 

…どうにもピンとこないのですが、44兆GBらしい。とりあえずものスゴイ天文学的数字なのだということはわかりますね。

 

「情報の海」というたとえがよく使われますが、まさに情報は茫漠たる大洋のように僕らの前に広がっているというわけです。そりゃ、頭に入らなくもなりますよ。(と、自分を慰めてみる。)

 

とはいえ、編集者のような情報を扱う仕事をしている僕のような人間にとっては、情報の海に溺れてしまうことは致命的。漂流してしまわないように、コンパスが欲しいものです。

 

情報過多時代の”問い”の重要性

 

情報過多時代に進む道を示してくれるコンパスとは、”問い”ではないかと思います。

 

読書の方法について書かれた名著『本を読む本』(J・モーティマー・アドラー , V・チャールズ・ドーレン 著)で、同じテーマについて複数の本を上手に読む、高度な読書術として紹介されている「シントピカル読書」をご存知でしょうか?

 

ご存知でない方は、ぜひこの記事を読んでください。シントピカル読書の方法がわかりやすくまとまっています。

studyhacker.net

 

記事からちょっとだけ抜粋すると、シントピカル読書とは

 

1.問いを定める
2.異なる視点から書かれた本を二冊以上集める
3.それらを分類、統合して主題に対して多角的に理解する

 

この3つのステップを踏むことで、異なる文献を当たりながらも情報を整理して理解することができる方法なのです。

 

このシントピカル読書で、ポイントは”問い”を立てること。それぞれが異なる意見を主張している本どうしを、一つの”問い”を立てることで分類したり、統合したりすることができるのです。逆に”問い”がなければ、それぞれの本はバラバラの情報でしかありません。例えるなら”問い”は、鶏肉とかネギとかピーマンとか玉ねぎといった異なる存在を貫く櫛みたいなものでしょうか。

 

さらに、”問い”を立てることで、関係のない箇所は読み飛ばすことができる。結果的に効率的に情報を得ることができます。

 

シントピカル読書は、本の読み方についてのノウハウですが、本に限らず情報を集める時にはすごく有効です。ある”問い”を立てて、記事を読んだり、イベントに参加したり、知り合いと話してみたりしてみると、学びの理解度が違ってくる。それに、効率的に情報を得ることができる。

 

たとえば僕は今「仕事はどのように人を幸せにするか」という”問い”を持っています。その”問い”を頭においてニュースアプリをみると、自分が読むべき記事がわかるので効率的。さらに、記事を読んでも頭に入りやすい。イベントでもそうですね。僕はイベントに参加だけして満足しちゃって、何も頭に残らなかったという経験がたくさんありますが、そういう残念なことにならなくてすみます。

 

そうして、ひとつの”問い”で記事やイベント、人との出会いの関係性が生まれてくる。「仕事はどのように人を幸せにするか」という”問い”に対してあの記事ではAと言っていた。でもイベントではBと言っていた。AとBは矛盾するようだけど、この前会ったあの人が言ってたCと考えればAとBは矛盾しないんじゃないか…みたいに、情報が整理されていくんです。これなら、情報の海に溺れずにすみますね。

 

自分のなかに”問い”を持とう

 

岡本太郎さんの著書に『自分の中に毒を持て』というタイトルのものがあります。いいタイトルですよね。

 

それにかこつけて言わせていただけば、情報化社会である現代は、「自分の中に”問い”を持つ」のもすごく大切な気がしています。当たり前のようで、それが結構むずかしいだけどね。

生産性の向上は働く喜びにつながるのか

「働き方改革では、生産性の向上が目指されている。でも、はたしてそれは個人の働く喜びにつながるのか。

 

先日参加したイベント「経産省若手官僚×企業人事『HR発イノベーション創出のための対話 ~悩む人事 不安な個人 立ちすくむ国家~』」。そのなかで、登壇者の経済産業省藤岡雅美から、こんな問いが投げかけられました。

 

いやぁ、本当それですよ。ずっと感じていた違和感を言葉にしてもらえた気がして、すごく共感しちゃって。「生産性の向上は働く喜びにつながるのか」っていう問いについて、イベント後の電車のなかでもんもんと考えてました。

 

生産性と働く喜びのジレンマ

 
「一億層活躍社会」というお題目のもと、長時間労働の是正や同一労働同一賃金によって誰もが働けるような社会を実現することと並んで、”生産性の向上”が目指されています。
 
これからどうしたって人口が減っていく(2030年には人口の約1/3が65歳以上の高齢者になる見込み)なかで、少ない働き手でもきちんと成果を上げていけるようにしていきましょうよ、ってこと。そのために、「どんどんAIを活用したり、付加価値を生み出せる人材に投資したりしてこう」という話をよく聞きますね。
 
でも、それは経営側・国側の論理だよなぁって、ちょっと違和感を感じちゃったりします。(僕、もともと「こうしなさい」って言われると生理的に「やだ!」って思っちゃうフシがあるんです。だからかな?)
 
時間や職能ではなく成果で評価されるようになって、残業規制があるなかで求められる成果を発揮する、というのはなかなかにシビアな世界な気もします。なんというか「生産性を上げたら、僕は幸せになれるのか?」みたいに、首を傾げたくなるところがあるんですよね。
 

自律性がキーワード

 
経産省の藤岡さんは問いを投げかけるだけじゃなく、大事なヒントもくれました。「鍵は自分で決められること」という言葉です。
 
たしかにそうかもしれません。自分のことを省みてみても、「やれ」と言われたら「やだ!」となるけど、なにか自分で決めたことを、好きな時間に、好きな場所でできるときは、のびのびと仕事ができている気がする。(「やっちゃダメ!」と言われると「やる!」となるんですが、これは今日の話とあまり関係ないですね。ひねくれてるだけです。)
 
そこで、改めて注目してみたいのが、ダニエル・ピンクの『モチベーション3.0』です。そのなかで、自分の人生を自ら導きたいという欲求」である”自律性”が、正解がないなかで創意工夫をしていく現代の仕事に必要な「モチベーション3.0」を上げるために、とても大切だということが指摘されています。
 
この”自律性”が、生産性と働く喜びのジレンマを解消する鍵かもしれない、と思うのです。
 
自分がやるタスクや、取り組む場所、時間、仲間を決めることができる自由が比較的担保されていると、個人としてはモチベーションが上がり、幸福感を持って仕事に取り組むことができる。結果的に、生産性は上がる。利益が上がって、経営者も嬉しい。税収が上がって、国も嬉しい。だから、マネジメント側がすべきことは個人の自律性を発揮してもらうことなんじゃないか、なーんて。
 

自律性を発揮した結果、生産性が上がるのがいいのでは

 

たぶん、ことはそう簡単には運ばないはずですよね。そもそも「モチベーション3.0」は、正解がないなかで創意工夫をしていくような仕事に当てはまるものらしいです。ルーティンワークのような仕事には、アメとムチ的な、報酬と罰を与えることがモチベーションになると。だから職種によっては、自律性はモチベーションにつながらないことがあるかもしれません。

 

けれど大事なのは、働き方改革を働かせ方改革にしないこと。これからの働き方を考えるときに、経営側・行政側の視点だけじゃなく、働く個人側がどうしたら幸福に働けるか、という視点を持ち込むことは欠かせないはずです。

 

その意味では、”自律性”はやはり、個人と会社、行政がWin-Winになるための一つのキーワードなんじゃないでしょうか。ひたすらに生産性を上げさせるのではなく、自律性を発揮できるような土壌を作ることで、結果的に生産性が上がる。っていう順番がいいなぁ。みなさんはどう思いますか?

”働きかた編集者”とは何者か

この度国家資格キャリアコンサルタントに合格しました!!

 

いやぁ、2回目の受験だったので、どうなることかとハラハラしてたのですが、とりあえず受かっていてひと安心。これから、フリーランスとして本格的に”働きかた編集者”の仕事に取り組んで行きたいと思います。

 

”働きかた編集者”ってなんぞや?」と思われると思うので、今回はその説明を。

 

一人ひとりがキャリアをデザインする時代

 

僕がプロフィールでも名乗っている、「働きかた編集者」という肩書き。他に名乗っているひとは聞いたことがないので、おそらく今のところ世の中にひとりだけの肩書きだと思います。

 

なぜ”働きかた”で”編集者”なのか。

 

まず背景としてあるのが、現代は一人ひとりが働き方をデザインしていく時代になってきているということです。

 

かつて、年功序列・終身雇用が一般的で、雇用の流動性が低かった時代は、多くのひとが認める「こうあるべき」という生き方・働き方がありました。「東京の大企業に入って出世して郊外に一軒家を立てて男性は妻と子を養う。女性は家庭に入る。」といったものですね。

 

しかしいまでは、グローバル化やIT化、さらに少子高齢化や経済の停滞などの要因が絡まりあい、誰もが認める「こうあるべき」という生き方・働き方がなくなりつつあります。

 

一人ひとりが、自分のキャリアをデザインする時代になっているのです。

 

キャリアと”自由からの逃走”

 

「自由にキャリアを選べる時代になって、いいじゃん!」と思うかもしれません。実際、自分のキャリアをデザインできることは自分の人生の舵取りをできるということなので、働きがいや生きがいにつながることはもちろんです。

 

でも、いいことばかりかといえばそうではない、と僕は思っています。精神分析学者のエーリッヒ・フロムは、1941年に発表した『自由からの逃走』で、自由の二面性を指摘しました。確かに自由は、近代の人々が追い求めてきた理想だった。しかし、自由は他者との結びつきから切り離されることでもあるので、孤立感や不安ともなうと。

 

フロムの分析はドイツのナチズムについての研究でしたが、「自由には不安もともなう」という主張は現代の働きかたにも当てはまるのではないでしょうか。

 

つまり、確かに現代は働きかたの選択肢が多くなり、以前と比べて自由にキャリアをデザインできるようになった。

(いや、現代だって思うような仕事につけていない人はいる。若年無業者やシングルマザー、高齢者の問題を見過ごしているんじゃないか、という批判はあると思います。僕もそうした方々を仕事という領域でどのように包摂していくか、ということは考えていかないといけないと思っています。が、ここではあえてマジョリティ側に注目しています。マジョリティだからと言って解決すべき問題がないというわけではないと思うからです

 

その自由は、不安をともなうものであると思うのです。僕自身、漁師にもなれる、クリエイターにもなれる、公務員にもなれるし主夫にだってなれるかもしれないと、目の前に選択肢がずらっと並べられた時に、なにを選んだらいいのかわからない不安は日々感じていることです。

 

人生は「主演:自分、脚本:自分」の物語

 

ところで、僕は小川洋子さんと河合隼雄さんのある対談集のタイトルがすごく好きで。『生きるとは、自分の物語をつくること』というものなのですが、本当にそうだなぁと。

 

人生って、「主演:自分、脚本:自分」の物語なのですよね。その物語を悲劇にするのか喜劇にするのか、登場人物は誰にするのか、舞台はどこにするのかは、自分次第。小説や映画をつくったことがあるかたならわかるかもしれませんが、物語をいちから作っていくのってめちゃくちゃ大変なのです。ましてや自分の人生という物語は、書き直し・撮り直しはできません。その時かぎりの一発勝負。失敗したらどうしようと不安になって当然です。

 

でも、不安だからといって、自分の物語である人生の脚本を誰かに書かせてしまったら、それははたして「自分がしあわせだと思える物語=人生」なのでしょうか。僕は、そうではないんじゃないのかなと思います。

 

”働きかた編集者”がやること

 

ここまで、僕が思っている3つのことを書いてきました。

それをちょっと整理すると、次のようなことになります。

 

  • 人生は、「主演:自分、脚本:自分」の物語である。

  • 現代は、自分でキャリアをデザインすることができる時代になってきている。言い換えれば、自分つくる物語の選択肢の自由度が増えている。

  • 自分でつくる物語の選択肢の自由度が増えるほど、選択にともなう不安が大きくなる 。

 

 こうした前提があるなかで、どのように一人ひとりが、不安を乗り越えて、自分の物語を、それも本当にしあわせだと思える物語をつむいでいくか。

 

その”一人ひとりがしあわせな物語をつむぐ”ことに寄り添いたいというのが、僕が”働きかた編集者”という肩書きに込めた思いです。

 

「ソーシャルキャリアコンサルタント」とか「ワークシフトなんちゃら」とか、いろいろ考えたのですが、”働きかた編集者”がいちばんしっくりきました。”編集者”という言葉が持つ次のような3つの意味合いが、僕のやりたいことにぴったりくるような気がして。

 

  • さまざまな要素を組み合わせる存在

先に述べたように、今はいろんな要素を組み合わせて自分のキャリアを作っていく時代です。ITとか農業とかローカルとかAIとかコミュニティとかとか。その組み合わせる作業はまさに”編集”だろうなと。

  • つくり手が物語を生み出すのに寄り添う存在

編集者というのは、特に小説の編集者はわかりやすいですが、作家さんが物語をつむぐのに寄り添う、助産師さん的な存在なのですね。そうした存在は、一人ひとりが人生という物語をつむぐ時にもいたらいいんじゃないかな、そんな存在になりたいな、という思いがあります。

  • ちょっとクリエイターっぽい存在

最後は完全に好みです。「ぼく、編集者です」って言いたい。かっこいいから。ただそれだけ(笑)。

 

”働きかた編集者”が増えてもおもしろい

 

「働きかた編集者とはなんぞや」ってことを説明するために、こんなに長文が必要な時点で、あまり良い肩書きではないのかもしれない、と思い始めました(汗)。

 

でも、もしおもしろいなーとかやりたいなーとかいう物好きな方がいたら、働きかた編集者的な人がどんどん増えていったら嬉しい。少なくとも、キャリア支援に関わる存在がもっともっと身近になっていったらいいとおもいます。現状ではまだまだ、キャリア相談なんかも敷居が高いと思うので。

 

あ、最後にですが、働きかた編集者としては「キャリアコンサルティング」「編集・ライティング」「イベント運営」をやっていこうかなーと目論んでいます。長くなったので、詳しくはまたの機会に。

 

 

履歴書の空白は、人生が発酵している時間

僕の履歴書には空白がある。

 

大学を卒業してから大学院に入るまで、ぽっかり1年あいているのだ。

 

人と接することが極端に苦手だった僕は、就活をせずに大学を卒業。フリーターになり、大宮の韓国風居酒屋でバイトをしていた。空白というのは、その時期のこと。

 

「要するにあれだね、社会人にならずプラプラしてたんだね」と、履歴書から目を挙げて言う面接官の顔が目に浮かぶ。僕は、「あ、はい。プラプラしてたんです…」と申し訳なさそうに答えるはずだ。以前の僕ならば。

 

 

でも、履歴書の空白の時期がなかったら今の自分はないな、と、今では思う。

 

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そもそも居酒屋のバイトは、対人恐怖を克服するための「リハビリ」として、崖の上から飛び降りるくらいの気持ちで始めたものだった。

 

たかが接客と侮るなかれ。お客さんの前に立つと動悸や汗がひどくなり、手が震え、僕にとっては相当にしんどいものだった。勤務時間前に心を落ち着かせる薬を飲んでから、ホールに立つこともあった。

 

そんな状態だから、やっぱりミスもする。ビールをこぼしたり、オーダーを間違えたりは日常茶飯事。本当にダメダメだったのだけど、「おうにいちゃん!気にすんな!」なんて、いかついおじさんに声をかけられたりすることがあったりして、だんだんと「あ、意外と人って怖くないかも」と思うようになったのだった。

 

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この時期は、履歴書の上では「大学から大学院までの間の、空白の時期」となるはずだ。

 

あえて書くならば「アルバイトとして居酒屋のホールを担当」となる。履歴書の役割は、「私は”仕事人”としてこれだけ価値を提供することができますよ!」ということをプレゼンテーションすることだと考えると、とくべつ評価されそうな経験ではない。むしろ履歴書の空白として、ネガティブにとらえられてしまうかもしれない。

 

でも、僕はこの履歴書の空白期を、ひそかに誇らしいと思ってる。

 

僕は、というかだれもが、”仕事人”としてのみ生きてるわけじゃない。”家庭人”とか”恋人”とか”友人”とか”地域人”とか、いろいろな役割が合わさって、その人を構成してるはずだ。

 

と考えると、”仕事人”としての価値をしめす履歴書に空白があるからとって、その人の価値が下がるわけじゃない。少なくとも僕は、あの空白の時期があったからこそ、少しやさしくなれた気がする。

 

どちらがいいというわけじゃないけど、欄全てが輝かしい経歴で埋まっている人の人生とおなじように、空欄がある人の人生だってすばらしいよね、と思うのだ。

 

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僕もそうだったけれど、履歴書に空白があることを情けなく思う人もいるはず。でもその時間こそが、次に大きくジャンプするための助走期間だったり、自分の考え方や哲学がポコポコと発酵して、人生がおいしくなっている期間だったりする。

 

なので、情けなく思う必要ないぜ。むしろ履歴書の空白を誇ろうぜ。

なんて、昔の自分に伝えてあげたい。 

ニュートラルゾーンで転機を味わい尽くす-ブリッジズのキャリアトランジション論②-

前回のエントリに続き、ブリッジズのキャリアトランジション論についてご紹介します。

 

ちょこっとおさらいをしておくと、「トランジション」とは「節目、転機」という意味。

 

ブリッジズは、転機を次の3つに分けていたのでした。

 

第1段階……終わり

第2段階……ニュートラルゾーン

第3段階……始まり

 

キャリアの転機においては、きちんとそれまでの状態を”終わらせる”ことが大事。そして、”終わらせる”ために必要なのが、「ニュートラルゾーン」だとブリッジズは言っています。

 ニュートラルゾーンとは

「終わり」の段階は、結構苦しいもの。それまで慣れ親しんだ人や環境から引き離され、自分は何者であるかということが分からなくなったり、それまでの価値観が崩れそうになってしまったり、今後どの方向に進むべきかわからず途方にくれたり、と言った経験は、多くの方が身に覚えがあるのではないでしょうか。

 

そうした苦しい時間は、さっさと終わらせて次のステップを踏み出したいもの。でも、ブリッジズはそうした誘惑を否定します。上記のような感覚から逃げることなく、味わい尽くすことを通して、新しい「始まり」を切ることができるのだと。

 

恋愛で言えば、前の恋人への未練を断ち切ることができなければ次の恋には進めない、ってことですね。

 

その”終わりを味わい尽くす”時間が、ニュートラルゾーンと呼ばれる段階。ようは、宙ぶらりんの状態です。

 

”終わりを味わい尽くす”6つの方法

 

では、具体的にどのようにしたら、ニュートラルゾーンで”終わりを味わい尽くす”ことができるのか。ブリッジズは、ニュートラルゾーンの体験を意義あるものにするための具体的な対応を6つ挙げています。

 

  • ひとりになれる特定の時間と場所を確保する
  • ニュートラルゾーンでの体験の記録を付ける
  • 自叙伝を書くために、ひと休みする
  • この機会に、本当にやりたいことを見いだす
  • もしいま死んだら、心残りは何かを考える
  • 数日間、自分なりの通過儀礼を体験する

 

つまりざっくりまとめれば、ひとりになって来し方行く末を考えてみる。そのためには自叙伝を書いたり、通過儀礼としてのひとり旅をしてみたりする。そこで沸き起こった感情を記録して、自分のこれまでとこれからに意味付けを見出していく。ということでしょう。

 

僕自身、キャリアに悩んだ時はひとり旅にでます。四国をバックパックを背負って回ったりとか、琵琶湖を一周したりとか。そんな時間が取れない時は、近場で静かなスーパー銭湯に1日中こもります。どちらの場合もノートを持って行って、生まれてからこれまでを振り返り(モチベーション曲線を書くと振り返りやすいかも)、そこからこれからどう生きていこうかを考えます。

 

すると、モヤモヤしてたものが「これはこういう意味があったんだなぁ」と気づけて、パッと視界が開けたりするんですよね。

 

僕の場合ひとりでいるのが苦にならない正確なのですが、「いつも誰かといることが多くて、ひとりは苦手」という方も、キャリアの転機には思い切ってひとりになってみることをおすすめします。自分を深掘りしていけば、新しい自分と出会える貴重なチャンスですから。

 

転機はポジティブなもの

 

キャリアの転機は、どうしてもモヤモヤというか、ネガティブになってしまいがち。ですが、人生においてかけがえのない時期なのだと僕は思っています。

 

転機って、望んでも必ずしも訪れるものではないですよね。転機を転機と気づかず、あるいは転機があってもしっかり味わい尽くすことをせずにいると、せっかくの成長の機会を逃してしまうことになります。

 

もし「今、キャリアでモヤモヤしてるな」と思ったら、それは新しい人生を踏み出すチャンスなのかもしれません。悩んだぶんだけ、次の一歩は軽やかに、明るい気持ちで踏み出せると信じて、転機を味わい尽くしてみてください。

 

 

働き方にモヤモヤしたら、それは自分が変わるチャンス-ブリッジズのキャリアトランジション論①-

「自分はこのままの仕事を続けていいのだろうか」と思うときが、人生の中では誰にもあります。

 

僕にも経験がありますが、そういう時期というのはなんとも居心地が悪い。いつも胸にモヤモヤとしたものを抱えている感覚がして、目の前の仕事に意味を見出せなくなってしまったり、空虚感を感じたりします。

 

キャリアの転機としっかり向き合う

そうしたモヤモヤから、どうしても目を背けたくなってしまいがちです。でも、モヤモヤした時期は見方を変えれば、自分が変わるチャンスでもあるんですよね。

 

例えるならばサナギの状態。上手に過ごすことができれば、それまでとは全く違った自分に生まれ変わることができるのです。反対に、モヤモヤから目を背けてしまうと、自らが変わるタイミングであるにもかかわらず変わることができずに、チャンスを逃してしまうことになってしまいます。

 

 

終わらせなければ、始められない

 

キャリアについての理論でも、転機に関する理論はいくつもあるのですが、今回は紹介するのはアメリカの心理学者であるウィリアム・ブリッジズの「キャリア・トランジション論」。「トランジション」とは「節目、転機」という意味です。

 

ブリッジズは、転機を次の3つに分けています。

 

第1段階……終わり

第2段階……ニュートラルゾーン

第3段階……始まり

 

転職、失業、結婚、失恋……望むと望まざるとにかかわらず、人生の転機はやってきます。そんなどの転機においても、「終わり→ニュートラルゾーン→始まり」の段階を経て乗り越えて行くことになります。

 

転機については、どうしても「始まり」に意識が行きがち。転職で言えば、「次はどんな仕事をしようか」「どんな会社につこうか」といったことですね。

 

しかしブリッジズによれば、始まりを考える前にそれ以前のことを終わらせなければ、始めの一歩をしっかりと踏み出すことはできません。つまり、「しっかりと終わらせる」ということの大切さを指摘したという点で、ブリッジズの理論はとても示唆に富んでいます。

 

転職の例で言えば、それまでの仕事のどこが好きで、どこが違和感があったのかなどをしっかりと言語化できないうちに、ただ「自分には合ってなかったから」という理由で転職をしてしまうと、また同じような壁にぶつかって「やっぱり違った」となってしまいかねません。

 

「終わり」の時期は、ブリッジズによればアイデンティティの喪失やコミュニティからの離脱、人生の目標や方向性の喪失など、とても苦しい経験をする時期なのですが、そうした経験から目を背けず、とことん味わい尽くして”終わらせる”ことが重要なのです。

 

”終わり”を味わい尽くすための「ニュートラルゾーン」

 

このように、「終わり」を味わい尽くすことで、ポジティブに次のステップを始めることができ、キャリアのモヤモヤを自分が変わるチャンスに変えていくことができるのです。

 

さて、終わりを味わい尽くすためには、一人になってじっくり自分と向き合うことが必要です。そうした時間をブリッジズは「ニュートラルゾーン」と読んでいます。転機の2段階目ですね。長くなったので、このニュートラルゾーン」についてはまた次回にご説明できればと思います。ではまた。

 

 

学生こそライターをやった方がいいと僕が思う理由

ぼくが大学生の時は、「どれだけはやく、大きな企業から内定をもらえるか」が大事だと思っていましたが(結局就活しなかったけどね)、「この寄り道は、きっと近道になる。」とうたう、ユニークな大学生向けのサイトがオープンしました。

 

それが、「ぼくらとシゴト。」です。

 

www.bokuratoshigoto.com

 

「自分のモノサシ(軸)」作りをサポートする

 

どんなサイトかというと、

 

本サイトは、自分らしい生き方・働き方を目指したい大学生のための
キャリアデザイン支援サイトです。
自分らしい生き方・働き方を実現するうえで
根幹となる「自分のモノサシ(軸)」作りのヒントを記事で紹介します。

 

だとのこと。

 

この「自分のモノサシ(軸)」作りというのは、キャリアコンサルティングでは「自己理解」と呼ばれて非常に大切なポイントとされています。

 

「そんなの、みんな自己分析をやってるじゃないか」と思うかもしれませんが、よくある診断ツールや自己分析のフォーマットがあればすぐできる、というものではないのです。自己理解は、なにかを経験し、その経験を通して感じたことを自問自答していきながら、自分の興味や能力、価値観を探っていく…そんなプロセスを繰り返し行うことで、だんだんと深まっていくものです。

 

ちなみに日本キャリア開発協会では、このサイクルを「経験代謝」と呼んでいます。経験を思い出し、それへの意味付けを見出すサイクルを新陳代謝のように回していくことで、自分のことを知っていく、ってことですね。

  

「ぼくらとシゴト。」ではコンテンツとして、

  • 多様な働き方・生き方を知れる人生の先輩へのインタビュー
  • 「自己理解を深められそうなイベント」のレポート
  • 自己分析の方法を知ることができる学生ライターの自己分析体験記
  • 同じ悩みを持った仲間と出会えるリアルイベント

を予定しているそう。

 

こうしたコンテンツ制作を通して学生ライターは、インタビューやイベントという体験をし、自己のことを振り返ってみる、というサイクルを回すことができるのだろうと思います。そして読み手である学生は、その姿を通して自分も疑似体験をしながら、自己理解を深めていくことができる、という仕立てになっているようです。

 

まさに、学生が経験代謝を回しながら自己理解を深めていくことが目指されたサイトだなぁと思います。

 

学生こそライターをやった方がいい

 

「ほとんど仕事の経験がない学生のうちは、自分の興味・能力・価値観なんてわからないだろう」という意見も頷けます。実際に、社会人になって30歳、40歳、50歳、それ以上になっても、自分がやりたいことはなんなのかと迷っている方がたくさんいますし。

 

ただ、たしかに自己理解を深めていくことは人生を通して取り組んでいくべきことだとしても、やはり学生のうちだからこそ経験しておくべきことはあると僕は思うんですよね。

 

とくに、大学院生時代に編集・ライティングの仕事を始めた自分の経験からいうと、学生時代にライターをやることには次のような意義があると思っています。

 

  1. 人生のセンパイから、取材の名目でじっくり話を聞くことができる
  2. 「学生」という肩書きだからこそ、会ってくれる人・話してくれる話題がある
  3. 多様な生き方、働き方に触れることができる
  4. 記事作成のプロセスを通して、社会人としてのコミュニケーション能力を身につけることができる

たとえば、ちょっと昔の例で言えば立花隆さんの『二十歳のころ』は、東大で教えていた立花さんが20歳前後のゼミ生に、老若男女・有名無名の人生の先輩たちの「二十歳のころ」をインタビューさせ、まとめさせたもの。

 

読み物としてとても面白いのですが、当時のゼミ生にとっても、人生の先輩たちが自分たちと同じ年頃だったときに何を考え、何をしていたかを聞くことで、自分がどう生きるか考える上でのロールモデルになったはずです。取材対象者も、相手が学生だからということで熱心に話してくれたということもあるはず。

 

また、取材対象の選定から取材依頼といったことまでゼミ生がやったというので、コミュニケーション能力をつける意味でも非常にいい経験になったのではないでしょうか。

 

「ぼくらとシゴト。」は現代版『二十歳のころ』?

社会人になってみて実感することは、学生だから会ってくれた人や行くことができた場所はたくさんあるなぁということ。また、たくさんの物事を経験すればするほどまっさらな気持ちで新しい経験をすることが難しくなっていってる実感もあります。

 

だから、学生時代に新しい経験を、とくにライターをやることはすごく意味がある。「ぼくらとシゴト。」は、そんな機会を提供する、現代の『二十歳のころ』のようなサイトになるのではないかなぁと思います。