キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

夢がなくても幸せになれる?-『夢があふれる社会に希望はあるか』児美川孝一郎-

ちょっと前の話ですが、結構メディアにもとりあげられている、ある分野でプロフェッショナルといっていいような方の口から、「まぁ、私もやりたいことなんて特にないですからね」という言葉がでたのでびっくりしたことがありました。

 

若くてなにもキャリアを積んでいない人がいうのなら、驚くこともないのだけれど、社会的な評価も高くて、これまで輝かしい実績も上げてきている方でも、「やりたいことが特にない」、というのがすごく意外で。

 

ただ、文脈を抜きに「やりたいことなんて特にないですからね」と聞くと、なんだかネガティブにしか聞こえないですが、その時はネガティブなひびきはなかった。(文脈を忘れてしまったのが残念ですが。)むしろ、もっとポジティブで大切な含みをその言葉に込めているように感じました。

 

これは僕の想像ですが、その方が言ったやりたいことが特にない」というのは、いわゆる”夢”や”ビジョン”といった大それたものは特段もっていないですよ、ということなんじゃないかな。”夢”や”ビジョン”は持っていないけど、もっと短いスパンで小さな規模のやりたいことはあって、そうしたことの積み重ねで今があるんですよ、ということが言いたかったんじゃないか、と思っています。

 

”夢”にかんして、最近読んだのが『夢があふれる社会に希望はあるか』という本。書いたのは法政大学キャリアデザイン学部の児美川孝一郎教授です。

 

 

児美川教授は、いまは「夢をあおる社会」だと言います。メディアでは、夢を実現した経営者やスポーツ選手のストーリーがとてもかっこよく描き出され、教育現場でも「将来の夢はなにか」と繰り返し問われる。僕も『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て、「自分もいつかプロフェッショナルになりたい!」と思っていたことがあります。

 

でも、実際に本田圭佑さんみたいになれるひとはひと握りなのだから、「本田さんは夢に向かって一直線に進んでいるのに、僕ときたらブログも続きやしない」なんて自分を責めることはないのです。(いや、それはちょっと違うか。)

 

なにせ、夢を実現した人は2割くらいしかいないそうなんですね。のこりの1割くらいの人は、夢を実現できなかったり、夢の仕事に就けてもやめてしまっていたりする。じゃあそのひとたちが不幸かというと、そんなことない。めぐりあった仕事で、意外な楽しみを見つけて幸せに生きていたりします。

 

児美川教授が本の中で言っているように、”夢”というのはマジックワードで、人のモチベーションを高めることもあれば、限られた選択肢に縛り付けたり、「夢を持たなきゃ」というプレッシャーとして僕たちにのしかかることもあります。

 

だから、かならずしも”夢”を持てなくても、焦ったり自分を責めたりする必要はないんですよね。ましてや、「”夢”を持て!」って誰かに押し付けられるものでもない。「私もやりたいことなんて特にないですからね」と言った方は、誰にこうしろと言われるでもなく、自分の人生を生きていて、幸せそうに僕には見えました。

 

今回ご紹介した『夢があふれる社会に希望はあるか』の中では、夢との付き合い方の述べられています。夢とキャリアの関係に興味がある方は、ぜひ手に取ってみてください。

 

 

 

 

 

モモは世界一有名なキャリアカウンセラーかもしれない-『モモ』ミヒャエル・エンデ-

小さなモモにできたこと。それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。

『モモ』ミヒャエル・エンデ 

 

キャリアカウンセリングの勉強をはじめて1年ほどになる。

 

学べば学ぶほど、奥が深い。カウンセリングをするたびに発見ばかりだ。講師の先生いわく、「15年やってやっとつかめてきた」とのことなので、1年なんてまだ赤ちゃんみたいなものなんだろうな。

 

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勉強を始める前、「自分は聞き上手かもしれないだな」と思っていた。じっさいに「聞き上手だね」と言われることもあった。

 

でも今思うのは、「聞き上手」と「カウンセリングができる」は、まったく違うということ。たとえるなら、リフティングが上手にできるのと、じっさいに試合でゴールを決めることができること、くらい違う。

 

「聞き上手」は、聞き役にまわったり、あいての話に合わせてあいづちをうったりすることが得意ならなれるかもしれない。でも、「カウンセリングができる」というのは、それとはまったく違うスキルが必要だ。

 

くわしいことはここでは書かないけども、クライエントを観察し、要約やいいかえを織り交ぜ、感情や意味づけを引き出し、時には自分の中の矛盾との対決をうながし、云々…。そんなことを頭でぐるぐる考えつつ、でも目の前の相手に集中して話を聞く。(プロのカウンセラーは、1時間ほどのカウンセリングでも内容をほぼ覚えているというからすごい。)

 

そんなわけで、「俺って聞き上手だな〜」と調子に乗っていたかつての自分には、強烈な張り手を食らわせたい。

 

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ところで、世界で一番有名なキャリアカウンセラーは「モモ」じゃないかと思う。

 

この、ミヒャエル・エンデが書いた世界的ベストセラーの主人公がやっていたことは、まさにキャリアカウンセリングなのだ。

 

物語では、平和な街に突如現れた「時間貯蓄銀行(時間どろぼう)」と称する灰色の男たちによって、大人も子ども”時間”を盗まれて、自分らしく生き生きと過ごすことができなくなり、心から余裕がなくなってしまう。

 

そんなに時間どろぼうに立ち向かったモモができたことというのが、”話を聞くこと”だった。

 

なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。

でも、それはまちがいです。ほんとうに聞くことのできるひとは、めったにいないものです。

そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。

(引用:『モモ』ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫 23頁)

 

「時間どろぼう」と対極にいるモモができることが、「話を聞くこと」だというのは、とても示唆的だ。いわば「時間どろぼう」が人びとから生き生きとした時間を奪うのに対して、モモは生き生きとした時間を与える。いや、与えるというとちょっと違うな。生き生きとした時間をとりもどすことに、そっと寄り添っているのだ。相手の話に、じっと耳を傾けることによって。

 

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今、僕たちのまわりを見ても、電通過労自殺が問題になったように、「時間どろぼう」に時間を奪われたような働き方をしている方は多い。

 

だからこそ、「聞き上手」だけではなくカウンセリングができる」キャリアカウンセラーという存在が、もっと身近になればいいのに、と思う。残念ながら、僕らが生きる世界にモモはいないけれど。

 

そんなわけで、僕は今日もキャリアカウンセリングを勉強する。

 

NPO職員は食べていけるか

今日大手企業の採用面接が解禁になった。

でも最近では、大手企業ではなくNPOに関心を持ってる学生も結構いるみたいだ。学生と話させてもらうと、「NPOで働くことに興味があるけど、食べていけるんですか?」って聞かれることが多かったりする。

聞いてくれる方は直接説明できるからいいのだけど、その背景には、聞くまでもなく「食べてけないでしょ」って諦めちゃってる方がたくさんいるのかもしれないな、とおもう。

別にNPOが無条件にいいとは思わない(たとえば社会貢献したいからNPO、と思っているのだとすると、その動機はもうちょい深掘りしたい。営利企業でも公的機関でも、はたまたプロボノでも社会貢献はできるので、NPO常勤にとらわれる必要ないかも)けれど、かといって"NPOは食べてけないから"という理由で選択肢からはずしちゃう人がたくさんいるとしたら、もったいない。

NPOの平均年収のデータが手もとにあるわけじゃないので一般化はできないけど、"食べていけてる"NPO職員はたくさん知ってる。

それに、僕の場合NPOに入って実感したのは、お金という意味での資本ではなく、人とのつながりとしての資本、いわゆる社会関係資本はたまりやすいなと。共感によってさまざまな人が集まってくるので。

自分が病気になったときや仕事がなくなったとき、たすけになるのはそうしたつながり。いやさそんなピンチなときに限らず、仕事の機会や出会いをもたらしてくれるのは人とのつながりだったりする。

そういった意味では、"NPOで食べていけるか"という問いに対しては、YesともNoとも断定はできないのだけど、「収入という意味ではもしかしたら一般企業よりは下がるかもしれないけど、その年齢の平均年収くらいは稼げるところもちゃんとある。それに、社会関係資本を得やすいから、お金以外のセーフティネットをつくることができるかもしれないですよ」って答えてる。(かもしれない、というのは、あくまでも僕の実感なのでみんなそうなのかはわからない、ということで)

繰り返しになるけれど、だからNPOでいいのだ!ってことではなく、まずは「食べていく」ってことが自分にとってはどれくらいの収入が必要なのか、社会貢献をしたいという気持ちの背景にはどんな価値観があるのか、それはプロボノや副業、あるいは企業のCSR担当でもできることなのかなど、自己理解を深めることがまずは大事なんじゃないかな、とおもう。

また、これまでの議論とあまり関係がないけど、就活っていうシステムを通して病んでしまう人が(自分を含めて)まわりに何人かいた。そういう人が少しでも減るように、「新卒で東京の大企業に正社員で入る以外の選択肢もあるよ」ということを伝えたり、体現していけたらいいな、なんて思う今日このごろ。

”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ-『持続可能な資本主義』新井和宏-

以前、社会学見田宗介さんの著書『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書) 』についてのエントリーのなかで、「今のお金中心・効率中心の社会を、環境や他者を損なわない社会にできるというのは、まだ実感が沸いてない」、といったことを書いた。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

理屈としてはわかるのだけれど、実際に自分たちがどのように働いていけばいいのか。どのように消費をしていけばいいのか。そういった行動のレベルまで、見田宗介さんの理論を落とし込めるイメージが湧いていなかったのだ。

 

だけど、鎌倉投信の取締役である新井和宏さんの著書『持続可能な資本主義』を読んでみて、「こういう考え方で働いたり、消費をしたりしていけばいいのか!」と目の前が開ける思いがしたので、大事だと思ったポイントをちょこっとまとめてみたうえで、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみようと思います。

 

資本主義の息切れ

 

「いま世界中で資本主義が息切れをしている」

 

そう新井さんは指摘する。先進国がこぞってデフレと低成長に見舞われているのだ。その背景には、リーマンショックが提示した「利益の追求だけを目的として効率至上主義の限界」が解明されていないことがあるという。

 

「利益の追求だけを目的として効率至上主義」の根本的な問題は、効率よく稼げるかが一番の目標になること。言い換えれば「リターン=お金」になっていることだ。現在は多くの企業や国、個人が、ストックとしての資産ではなく”短期的なフローとしての利益(お金)”の最大化を目指しているという。

 

だが、お金を求める欲望にはきりがないので、精神的な満足や幸福に至ることなく短期的にお金を生むことが目的になってしまい、人と人や企業と地域など関係性といったストックとしての「見えざる資産」の分断を生んでしまう。そういった「人と社会を犠牲にする資本主義に永続性はない」と、新井さんは喝破する。

  

つながりを生む資本主義

 

新井さんが鎌倉投信でやろうとしていることは、「リターン=お金」という式を書き換えることで、利益の追求だけを目的として効率至上主義に変わるシステムを、金融を通じて作ることだ。

 

鎌倉投信が考えるリターン」は、お金だけではない。

リターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」

という方程式で捉えているという。

 

ある企業に投資をするときに、お金だけではなく社会的な意義や幸福感も含めて得られると捉えよう、というのだ。

(現在の資本主義が”分断を生む資本主義”だとすれば、こうした考え方にもとづく資本主義は、”つながりを生む資本主義”だと僕は思う。)

 

つながりを生む”新日本的経営”

 

また、効率至上主義へのオルタナティブとして、新井さんは”新日本的経営”をしている会社に注目しているという。”新日本的経営”とは、効率を追い求める欧米的経営ではなく、見えざる資産や社会性にも配慮する日本的経営をさらに発展させた経営だ。

 

その特徴のなかでも、近江商人の哲学「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」を発展させた”八方よし”という項目が面白い。

 

新井さんが提示する”八方よし”は、次の8つのステークホルダーが共通のゴールを持ち、会社のファンになっているような経営だ。

 

  • 社員
  • 取引先・債権者
  • 地域
  • 顧客
  • 株主
  • 社会
  • 経営者

 

短期的な効率を求める欧米的経営では、こうしたステークホルダー同士は相反する利益を持つから、ときにそれぞれが対立し合い、分断を生んできた。

だが、”八方よし”の新日本的経営では、どのステークホルダーも付加価値を分配する対象=ファンとして、同じ目標を持つ存在になる。企業活動が生み出すのは分断ではなく、”つながり”になるのだ。

  

”八方よし”の経営は、絵空事ではない。本著では実際に”八方よし”を体現している”いい会社”がいくつも紹介されている。

 

急な成長をよしとしない「年輪経営」で成長を続ける伊那食品工業、途上国で作られる製品を高品質で販売し顧客に愛され続けるマザーハウス、震災後に政府をも動かして復興を支えたヤマトグループ……。

 

こうした会社が実際に存在し、そこにファンがつくことで成長を遂げているという。「いい会社」だけに投資する鎌倉投信の「結い2101」が、「R&Iファンド対象2013」で投資信託・国内株式部門1位になるなど実績を上げていることからも、”八方よし”を目指している会社が共感を生み、投資や消費によってそうした会社を下支えする流れが着実に生まれているんじゃないだろうか。

 

”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ

 

ここからは、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみよう。

 

効率至上主義の弊害は、個人のキャリアに強く及んでいるように思う。働く人の幸福よりも、株主の利益や顧客の満足度が優先され、短期的な利益を上げるために働くことが求められるなかで、心身を蝕まれてしまう人も多いのが現状だ。

効率至上主義が個人の実存を蝕んでいくありさまは、無差別殺人を犯した19歳の青年N・Nを題材に見田宗介さんがまとめた『まなざしの地獄』で詳しく取り上げられています。題材は60-70年代の日本だけど、基本的な構造は今と変わっていないはず。

 

新井さんは本著のなかで、金融の文脈から、効率至上主義の資本主義に対するオルタナティブを示した。具体的には、「リターン=お金」に替わるリターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」という方程式や、「八方よし」の考え方などを提示した。これらは、”分断を生む資本主義”から、”つながりを生む資本主義”へのシフトにつながるものなんじゃないかと僕は考える。

 

これらは、個人のキャリアデザインの文脈にも応用できるんじゃないか。

 

つまり、キャリアの選択のときに「リターン=お金」がだけを判断基準に仕事を選ぶのではなく、仕事にどんな意義があるのか、どんな満足感を得られるのか、そしてどれだけお金を選べるのか--という3つをふまえて選んでみる。あるいは会社選びのときに、その会社が”八方よし”の経営をしているかを基準に選んでみる。

 

特に「心の形成=満足感」のリターンが得られるのかは、四季報や求人サイトを見てもなかなかわからないし、新井さんがいうようにROEやPLといった数値ではなく、そこで働く社員の表情や職場の雰囲気といった主観的な要因がとても重要だから、その会社に知り合いがいれば話を聞いてみたり、可能であれば実際に仕事の現場を見させてもらうといいかもしれない。

 

また、新井さんが理事をつとめるNPOいい会社をふやしましょう」では、これからの日本に必要とされ、持続的で豊かな社会を醸成できる会社をピックアップして紹介しているので、こうした情報も会社選びの参考にしてみるのも手だ。

 

手前味噌だけれど、僕が関わっているNPO法人ETIC.が運営している求人サイトDRIVEキャリアでは、「思い」や「やりがい」を軸に求人を紹介しているので、こちらもチェックしてみるといいかも。

 

このようにしてキャリアに「リターン=幸せ」や「八方よし」の考え方を取り込むことで、働くほど他者や社会から分断されてしまうようなキャリアから、働くほどつながりを感じることができるようなキャリアへと、個人のキャリアもシフトさせていくことができるのではないかと思うのだ。

 

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 僕が働きかた編集者を名乗って、キャリアに関わる仕事をしていきたいと思うようになった背景に、「一人ひとりがもっと幸せに働けるようにできないか」という思いがある。

 

仕事を通して、自分であったり誰かであったり社会であったりを損なわないような働き方はできないのだろうかと考えるなかで、『持続可能な資本主義』は大きな気づきを与えてくれました。資本主義の仕組みやこれからの金融、働き方を考えるうえで超オススメの一冊です。

 

全国の地域活性化のキモは渋谷なんじゃないか

そんなことを、5/18に開催されたgreen drinks Shibuyaに参加して思ったので、備忘録的にまとめます。

 

green drinks Shibuyaはこれね。

5/18(木)green drinks Shibuya「シブヤ区のこれから」(ゲスト:澤田伸さん、小宮山雄飛さん、野村恭彦さん) | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。

※green drinks はエコやサステナビリティをテーマとして世界各地で開催されている飲み会。2010年にgreen drinks Japanが設立されたことをきっかけに、今や日本全国150近くの地域にまで、そのネットワークが広がっているとのことです。

 

とってもベンチャーな渋谷区

さて、green drinks Shibuyaでは特に渋谷区副区長である澤田 伸さんのピッチが強烈に面白かった。
 
ダイバーシティの尊重やシビックプライドの醸成、オープンイノベーションの実現を、お題目だけでなく、しっかりとしたマーケティング戦略を持ちながら民間も市民も巻き込んでゴリゴリやっている。行政は基本的にお堅いイメージがあったので、こんなにアントレプレナーシップを持ったベンチャー自治体があるのかと衝撃を受けた。(横文字ばっかになってしまった)
 

日本における人材の心臓の機能を担う渋谷区?

日本列島を人間のからだ、東京を心臓だとすると、人材の東京一極集中というのは血液が心臓にきたまま滞って、手や足の毛細血管に流れていない状態。

 

なので東京以外の地域で住みたい、働きたいという人を適切に送り出すポンプ機能と、そうした人に地域では得られない人脈や知識、アイデア、経験を付与するという浄化作用、この2つの心臓の作用を取り戻すことが、全国の地域の活性化にとって重要なのだと思う。(漢字ばっかになってしまった)

 

その機能のうち2つめの浄化作用、つまり人脈や知識、アイデア、経験を付与する機能は、多種多様な人がオープンにつながりあっている渋谷だからこそ担える機能なんじゃないか。そういう意味で、冒頭の「全国の地域の活性化のキモは渋谷なんじゃないか」になるわけです。

 

 渡り鳥的「シブヤ人」が地域を盛り上げるかも

 

「シブヤ人」は必ずしも渋谷在住でなくてもいいらしいので、全国各地で活動する人が渋谷に集まって出会い、それぞれが新しい人脈や知識、アイデア、経験を得て地域に持ち帰る。そんな渡り鳥的「シブヤ人」が増えて、各地が盛り上がっていく--。

 

そんな可能性をすごく感じたイベントでした。

節目の時だけ、キャリアをデザインする-『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏-

自分のキャリアをいつも考えているのは大変だ。

かといって、全く考えないと望んだ方向に進むことはできない。

僕たちはキャリアについて、いったいいつ、どのようなことを考えればいいんだろう。

 

そんな問いへの答えを与えてくれるのが、金井壽宏さんの著書『働くひとのためのキャリア・デザイン』である。

 

節目の時だけは、キャリアをデザインする

本著のメッセージをもっとも端的に言うとしたら、「節目の時だけは、キャリアをデザインする」ということになる。

 

現代は、一人ひとりが自らキャリアデザインをすることが求められている時代だ。

バウンダリーレス・キャリア(マイケル・アーサー)」「プロティアン・キャリア(ダグラス・T・ホール)」といった考え方であらわされているように、かつてのキャリアに比べて企業や職種などといった境界が不確かなものになり、キャリアの不確実性が増している。そうした状況の中で、自らキャリアの舵取りをしていかないと、自らが「これでよかった」と思えるキャリアは歩めないかもしれない。

 

ただ、著者も言うように、人生のあらゆる局面でキャリアについて考えていることは現実的ではない。あれやこれやと迷っている間に、人生の終盤に差し掛かっていた……という顛末はできれば避けたいものだ。

 

そこで著者が提唱しているのが、「キャリアデザインは、節目=トランジションにのみ行えばよい。それ以外は、ドリフトしてもいい」ということである。

 

だれのキャリアにも節目はある。著者はブリッジズ(トランジションは「終わり」→「中立圏」→「はじまり」の3ステップだとした)やニコルソン(トランジションの「準備」→「遭遇」→「順応」→「安定」というサイクルを明らかにした)のトランジション論を土台にしながら、トランジションでのキャリアデザインの意義と方法をまとめている。

 

不確実性が高まっている時代だからこそ、トランジション(結婚や就職、仕事が辛いと感じる時期や、逆にゆとりや楽しさを感じるようになった時期など)において自分の来し方行く末に思いを巡らせ、人生の方向性を決める。ただ、これも不確実性が高まっている時代だからこそ、一旦方向性を決めてその方向に歩み始めたら、時には偶然の出会いや出来事を受け入れながら歩みを進めていく。

 

クランボルツの「計画された偶発性理論」で示されているように、僕たちのキャリアは偶然の積み重ねによって築かれていることを考えれば、不確実性が高まった現代では偶然の出来事をどれだけ自分のキャリアに取り込めるがが重要なのだ。

 

節目=トランジションをどうすごすか

 

個人的な意見だけれど、今の日本ではトランジションを有効にすごす環境が十分に整っているとは言い難いんじゃないか。トランジションで必要なのは、自分自身と向き合う時間と空間、そして他人からのフィードバックだと思うが、それらを確保できる機会があまりなかったように思う。

 

たとえば北欧には、人生のどのタイミングでも入学可能な「フォルケホイスコーレ」という学校があり、講義や対話、日常生活を通して人生を見つけ直す機会を人々に提供している。

www.ifas-japan.com

 

 

こうした「フォルケホイスコーレ」にあたるような、トランジションを有効にすごすための機会は日本ではあるのだろうか。ちょっと調べてみたい。

【映画から考えるしごと論】人生”追われてる感”、”追われてない感”の違いについて-『人生フルーツ』-

以前読んだ時間管理術に関する本で、びっくりした箇所があった。

 

著者は、ご飯のときに「ご飯をよそう」「皿を重ねて片付ける」みたいなことまで、何分何秒かかるかを見積もって、タスク管理表に書いて管理しているのだという部分。「うげぇ、ホントかよ」と唖然としたのを覚えている。(めっちゃうろ覚えだから、違ったらごめんなさいだけど)

 

そこまで極端ではないまでも、僕も割ときっちりとタスク管理をしているほうである。タスク管理用のwebサービスを使って、15分刻みくらいで「メール処理」とか「記事の構成を考える」とかいったタスクを書いて、終わったらチェックをつけている。

 

そんなふうにきっちり時間を管理しているのだけど、なんだか自分の時間を生きている感覚がないのだ。なんと言えばいいのかわからないのだけど、タスクに追われている感じがする。プライベートでも、流行に追われている感じがする。

 

この”追われてる感”、どこから来るんだろうか。

 

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先日、友達にすすめれられて『人生フルーツ』というドキュメンタリー映画を観たら、もう超感動してしまった。戦後数々の住宅、団地、ニュータウンの造成に関わり、自らも愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンに暮らす津端修一さん90歳と、妻の英子さん87歳の夫婦の暮らし、そして人生を追った物語。「あぁ、こんな夫婦になりたい」って心から思えるようなあたたかい映画だ。

 

この夫婦、”追われてない感”がすごい。

 

家庭菜園や果実の木々でいっぱいの庭で、枝に頭をぶつけて怪我した頭のてっぺんに、英子さんにマキロンぬってもらってる、いかにもほんわかした好々爺の修一さん。だが、実はかつて高蔵寺ニュータウンの設計を任された一流の建築家である。

 

高度経済成長期に、増大する都市人口の受け皿として各地でニュータウンが造成された。経済優先の当時、いかに小規模の土地に多くの人を居住させるかが最優先事項で、高蔵寺ニュータウンも例外ではない。

 

しかし日本住宅公団の創設期の中心メンバーだった修一さんの基本設計は意外なものだった。自然の地形を生かして建物を配置し、建物の間には雑木林があり、ニュータウンの間を風が吹き抜ける--。修一さんは、”いかに精神的に豊かな生活ができるか”を優先してこのニュータウンを設計したのだった。

 

しかしこの設計は、経済を優先させる時代の流れのなかで実現せずに終わる。しかしそれならばと、修一さん・英子さん夫婦は高蔵寺ニュータウンのなかに構えた平屋の自宅の庭に雑木林を設け、野菜や果実を育てた。「ひとつひとつの家が庭に林を持てば、豊かな環境は整う」と。

 

それから40年。2人は自分たちのペースで暮らし続けている。

 

その象徴が、2人があまりものを買わないことだ。英子さんがつくる料理を彩る野菜や果物は、自宅で採れたもの。なんと、約100種類もの野菜や果実が育っているそう。魚や肉や自宅で採れなかった野菜は、月に一度、何十年も通っているスーパーでまとめ買いして冷凍保存。買ったものを食べたら、どんな料理にして、どんな味だったかを、修一さんがかわいらしいイラストつきの手紙にしたためて送るという、丁寧なコミュニケーションも欠かさない。(ちなみに「コンビニには行ったことがない」と英子さんはいう。)

 

鍋などは40年もの。つまり引っ越してからずっと同じものである。孫がシルバニアファミリーの家が欲しいと言ったら、「プラスチックは良くない」と言って、修一さんがでかいやつを作っちゃう。

 

そんな2人の暮らしの様子は、すごくゆっくりとしている。僕の”追われてる感”のある暮らしとはえらい違いだ。

 

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宮崎県日南市役所でマーケティング専門官を務める田鹿 倫基さんは、ブログのなかで「日本国内に存在する経済活動のパターンは『貨幣経済』『物々交換経済』『貸し借り経済』『自給経済』の4つ」であると言っていて、なるほどなぁと思った。

 

貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」は、それぞれ次のようなものだという。

 

・ 貨幣経済・・・・・貨幣を介して商品やサービスが提供される一般的にイメージされる経済。
・ 物々交換経済・・・農家と漁師が野菜と魚を交換するといった物々交換から生まれる経済。
・ 貸し借り経済・・・誰か大事な人を紹介してくれたとか、トラブルに遭遇したときに助けてくれたとか、「恩」に紐づく貸しと借りで成り立つ経済。世代を超えて家系で引き継がれていくこともあり、「彼のおじいさんには大変お世話になったから、彼にはなんでも協力しろ」みたいに100年単位で続くこともある。
・ 自給経済・・・自分の家で畑を持っていて作物ができるとか、家で味噌や醤油を作っているとか、物を購入しなくても自給でまかなえる経済、というものです。

(引用:アジアを味わうたじぃログ :なぜ地方の人は残業しないのか。

 

そして、「地方に行けば行くほど経済のパターンが複数化し、安定したポートフォリオが組めるようになる」と付け加えている。

 

なるほど、この考え方でいうと、修一さん・英子さん夫婦は、自給経済8割、物々交換経済1割、貨幣経済1割のようなポートフォリオで暮らしていた。一方僕は、貨幣経済が9割9分だ。(この前陶芸にチャレンジして器をつくったから自給経済も1分はあるかもしれない)。

 

ここが”追われてる感”、”追われてない感”の違いなんじゃないか。

 

僕は貨幣経済の時間の流れに乗って生きている。シーズンごとに流行がつくり出され、山手線は分刻みのスケジュールで労働者たる僕を運び、移り変わる株価に一喜一憂してたりする。お金という実態がないものの動きに国境も昼夜も春夏秋冬も関係ないから、そのスピードに追われている感が拭えない。

 

一方、修一さん・英子さん夫婦がいる自給経済の世界で流れているのは、自然の時間だ。

 

『人生フルーツ』で繰り返し語られる言葉がとても象徴的。

 

風が吹けば、枯葉が落ちる。

枯葉が落ちれば、土が肥える。

土が肥えれば、果実がみのる。

こつこつ、ゆっくり。

(引用:作品解説 | 人生フルーツ

 

自分たちが食べるものを自分たちで育てている修一さん・英子さんは、そんなゆったりとしたサイクルのなかで生きている。僕が映画から感じた”追われてない感”は、そこからきているようだ。

 

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貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」、どれが一番良いということはないはず。ただ、僕なんかは「貨幣経済」のなかでどうやって稼いでいくかっていうことをなんの疑いもなしに考えていて、ちょっと息苦しくなっていたから、修一さん・英子さん夫婦の暮らしに触れて、ずいぶん楽になった。

 

2人のような、8割自給の暮らしまでいかなくとも、いくらか自分の生活のなかに自給経済を取り入れて、自然が持つ時間の流れを持つことで、”追われてる感”は和らいでいきそうだ。自分がいちばん幸せを感じる、貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」のバランスはどんな塩梅なのか。ちょっと立ち止まって考えてみよっと。