キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

【読書録】キャリアの相談をされたら、どう向き合えばいいか-『私の個人主義』夏目漱石-

先日、作家・堺屋太一さんの記事が話題になりました。

 

www.sankei.com

 

堺屋太一さんは次のように述べています。

 

現在の日本社会の最大の危機は、社会の循環を促す社会構造と若者層の人生想像力の欠如、つまり『やる気なし』である。『欲ない、夢ない、やる気ない』の『3Yない社会』こそ、現代日本の最大の危機である。

 

いわゆる「”最近の若者は”論」の典型のようなこの主張。個人の生き方やキャリアを一つの価値観にあてはめて批評する考え方に、twitterはてブでは違和感を表明するコメントが多く見受けられました。

 

ぼくは他人のキャリアに関わる人間として、堺屋さんを反面教師にして学べることがありそうだな、と思いました。今回は「他人のキャリアとどう向き合うか」について、夏目漱石の講演をまとめた『私の個人主義』のうち、タイトルとなっている「私の個人主義」の章を補助線にして考えてみます。

 

夏目漱石のキャリア形成

「私の個人主義」の章では、漱石が抱えていたキャリアに関する悩みが明らかにされます。東京大学を卒業してから教師として松山に赴任し、その後英国に留学たのち30歳過ぎまで、自分がどんなキャリアを歩むべきか、悩み続けていたというのです。

 

「この世に生まれた以上はなにかしなければならん、といってなにをして好いか少しも見当が付かない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。」(132頁)

 

あの漱石でも、こんなふうに悩んでいたんですね。

 

英国留学中のあるときはあることに思い至ります。漱石は、それまでの自分は「他人本位」、つまり人真似をしようとしていたと。

 

具体的には、漱石は英文学を学んでいたのですが、英国の批評家のことばを鵜呑みにして、自分もその批評家のように語ろうとしていたのだそうです。しかしどうしても、英国人のようには英文学と付き合えない。そこには言葉の壁や、価値観の壁が横たわります。そのため、漱石はずっともんもんとした日々を過ごしていたようです。

 

あるとき漱石は、「他人本位」ではなく、「自己本位」になろうと決めました。

 

「自己が主であり、他は賓である」(137頁)

 

そんな考え方に思い至ったのです。それから漱石は、他の誰かのように文学を語ったり、文章を書いたりするのではなく、”自分で文学の概念を根本的に作り上げる”ことを始めます。それ以来、生き方の指針ができ、自信を持てるようになり、不安が消えたといいます。

 

「今まで霧の中に閉じ込められたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んでいくべき道を教えられた」(136頁)

 

そんなふうに当時を振り返っています。

 

だれかのようになろうとするのではなく、自ら道を自ら作っていった漱石。自らのそうした経験から、漱石は「悩んでいる人間は、どんな犠牲を払っても進むべき道を見つけるべき」と語ります。

 

ここだけ切り取ると、なんだか堺屋さんと同じように「欲出せ、夢持て、やる気出せ!」と言っているようにも思えますね。

 

夏目漱石の考える「個人主義」とは?

 しかし、ここからが「私の個人主義」のキモ。漱石は、個人主義は自分のわがままに人を巻き込むことではないと言っています。

 

私のここに述べる個人主義というものは……他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。(150頁) 

 

つまり、ひとりひとりが自由に個性を伸ばしていく、とくに仕事という点においてはその人の個性を発揮できる仕事に就くことがその人の幸せにとって大事……なのだけれど、だからこそ、 他の人の個性を発揮する自由も尊重しなきゃいけない。

 

言葉を換えれば、漱石は「自由には義務が伴う」ということを言っています。文脈に沿えば、「他人の自由を尊重する義務」です。そんなことを、漱石は大切だと考えていたようです。

 

答えを示すのではなく、選択肢を示す

ここであらためて、冒頭にあげた「他人のキャリアとどう向き合うか」という問いに立ち返ってみます。

 

堺屋さんのように、ひとりひとりのキャリアをある価値観に当てはめて、「こうするべきだ!」と答えを示すのは、漱石個人主義の考え方からするとよろしくない。なぜなら、相手の自由を尊重していないからです。

 

たしかに、「こうするべきだ!」という人にはその人なりの経験と、それに基づく哲学があるのでしょう。ぼくも、自分が経験ことに関してだれかに相談された時、「こうするべきだ!」といってしまうことがあります。

 

でも、そうすることで、相手の自由を損ねてしまっていないかということは、注意していたいな、と思うのです。現代のように、キャリアに関して価値観が多様化していればなおさら、です。自分はその方法を通して成功したかもしれない。でも立場も違えば環境も人間関係も持っているお金も異なるなかで、同じ方法によって相手も成功する保証はないのですから。

 

自分の価値観を押し付けるのではなく、選択肢を提示する。選択肢のひとつとして、「ぼくの場合こうしてきたよ」と自分の経験を提示する。そうすることが、相手の自由を尊重し、本当に相手にために自分がやることができることなのかもしれない。堺屋さんの記事と、『私の個人主義』を通して、ぼくがちょっと考えたことでした。