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Social Career Note

働き方編集者 山中康司の備忘録

【偉人に学ぶ働き方】渋沢栄一に学ぶ、”徹底して現実主義であること”

日々をすごすなかで、「この人のように生きれたら」という人物がいることは大きな指針になります。かつては船で航海するとき、北極星を見て位置や方向を確認していたといいますが、人生においてもなにか選択を迫られたとき、まるで航海者にとっての北極星のように、進むべき方向に導いてくれるのが、「この人のように生きれたら」という人物、つまりロールモデルとなる人物です。

 

渋沢栄一という人物

僕にとっても、ロールモデルとなる人物が何人かいます。その一人が、今回紹介する渋沢栄一という人物。教科書にも出てくるので、言わずと知れた…と言ってしまっていい人物かもしれませんね。「何をした人かわからない」という方も、その名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

渋沢栄一(1840-1931)は、日本に「株式会社」というしくみを持ち込み、生涯に約500の企業の育成に関わった「日本資本主義の父」と呼ばれる人物。「道徳と経済はどちらが欠けてもいけない」という「道徳経済合一説」を唱え、約600の社会公共事業に関わりました。

 

今でこそ、企業のCSRCSVなどの言葉が一般的になり、個人の働き方としても社会的な取り組みをすることが一つの選択肢になっていますが、少し前、とくに高度経済成長期には企業も個人も「お金を稼ぐこと」が大きな価値の基準だったかと思います。それが、日本に資本主義を取り入れた人物が、そもそも「経済と道徳(社会のために良いことをすること)は車の両輪で、どちらが欠けても持続できない」ということを言っていたのですから、その先見の明には驚かされます。

 

徹底した現実主義者

渋沢栄一という人物が為したことは、とうてい僕のような人物には真似できません。ただ、渋沢栄一ロールモデルとしたとき、なにか自分にも指針となるようなことが見えてきそうです。

 

いったいなぜ、渋沢栄一は100年後の未来でも通用するような考え方を、近代日本の黎明期に持つことができたのか。渋沢栄一に関するいくつかの文献を読むと、”徹底した現実主義者だったことが、その背景にあるんじゃないかと思うようになりました。

 

守屋淳は、渋沢栄一の人生は5つの異なるステージに分けられると述べています。

 

1.尊皇攘夷の志士として活躍した時期

2.一橋家の家来となった時期

3.幕臣としてフランスに渡った時期

4.明治政府の完了となった時期

5.実業人となった時期

(引用:『現代語訳 論語算盤守屋淳

 

さらにこれらの転身は、当時の「尊皇攘夷」「文明開化」「明治維新」「殖産興業」という大きな流れのなかでのことだったといいます。

 

特に劇的なのは、高崎城の焼き討ちという、現代でいえばテロにあたる計画を主導していた尊皇攘夷の志士であったのに、いち志士の力では時代は動かせないとみるや幕府側であった一橋家の家来となり、さらには討つべき相手であるはずの外国人が住む土地、ヨーロッパへ渡るまでに至る転身。一見すると一貫性がないように思えますが、”この国をいかによくするか””そのなかで自分の力をいかに発揮できるか”という点をつきつめ、時代の趨勢と照らし合わせて現実的は判断をした結果が、こうした転身に結びついていったのでしょう。

 

 『論語算盤』で語られた「道徳経済合一説」にしても、現実的な判断からみちびきだされています。この説は、「利益を追求するだけでなく、倫理的に良いことをしよう」といった感情的な呼びかけではありません。「社会がより良いものになるためには、経済が豊かになることが必要だ。一方で、経済が持続するためには倫理が必要だ」という、現実的な判断にもとづく考え方なのです。

 

「みんながこうしているから」は判断基準にならない

 自分自身をかえりみてみると、つい感情的な判断をしがちです。特に多いが、「みんながこうしているから」という理由で判断すること。でも、「みんながこうしているから」というのは、その判断が間違っていたときの言い訳にはなっても、その判断か正しいかどうかとはあまり関係がありません。

 

生きていると、大きな判断に迫られる場面がやってきます。その時、「みんながこうしているから」ではなく、自分の意見とは反する情報まで徹底して集め、偏見を持たず、冷静に判断する。そのことが、人生を望む方向に進めるために大事なのだと、渋沢栄一の生き方は気づかせてくれます。