【読書録】生活をおもしろがるという視点ー『そして生活はつづく』星野源ー
「キャリア」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。
多くの方が、「職歴」をイメージするかもしれない。たしかに僕自身が受けてきた「キャリア教育」や「キャリアデザイン」の講座なんかでいう「キャリア」は、仕事にひもづくものだった。
「キャリア=職歴」ってわけでもない
でも、実際のところ僕らの人生って、仕事だけしてればいいわけじゃないではないですか。どんなに忙しい社長も、スポーツ選手も、大学教授も靴磨き職人も、家に帰れば生活があるわけで。あるいは休日には趣味を楽しんだり、通信講座で資格の勉強をしていたりする。
つまりなにが言いたいかというと、「キャリア=職歴」と考えてしまうと、キャリアについて考えることの射程範囲は、ずいぶん狭いものになってしまうのよなぁ、ということを、ぼんやりと思っていたわけです。
「生活」を発見した星野源さん
ところで最近、星野源さんが気になっている。なんで気になるのか不思議だったので、この前の休日になんとなく本屋で見つけた源さんのエッセイを手に取ってみた。
『そして生活はつづく』は、星野源さんが2013年に出版した初のエッセイ集 。そのテーマは、「つまらない毎日の生活をおもしろがること」。
仕事の虫だった源さんが、なぜ「生活をおもしろがること」を意識するようになったのか。その理由がまた、すごくよいのだ。
源さんは、ある時働きすぎて、過労で倒れてしまう。その時に、次のことに気付いたそうだ。
「私は生活が嫌いだったのだ。……ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてけぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。」(29頁)
仕事に生きていた源さんは、過労をきっかけに「生活」を発見して、自分の人生のなかでその意味づけを変えていこうとしたのだ。
スーパーの「ライフキャリアレインボー」とは
キャリアに関する理論のなかで、1950年代にドナルド・E・スーパーが提唱した「ライフキャリアレインボー」というものがある。
ライフキャリア・レインボーの理論では、キャリアをさまざまな役割(ライフロール)の組み合わせだとしている。具体的には、息子・娘、学生、余暇を楽しむ人、職業人、市民、配偶者、家庭人といった役割が組み合わさり(まさに虹のように)、さらにキャリアの段階によってその比重を変えながら、キャリアは形成される、という考え方だ。(参考:「ライフキャリア・レインボー」とは? - 『日本の人事部』)
源さんの「生活の発見」は、まさにこのライフロールの組み合わせを、職業人ばかりだったのから家庭人、あとは余暇を楽しむ人などの比重を高めていったということだ、と受け取れるんじゃないだろうか。
これは偏見かもしれないけれど、日本人の多くは、「キャリア=職業」というステレオタイプを持っていたように思う。でも、ちょっと前の「ていねいな暮らし」ブームや周りの人の話を聞くにつけ、そうした日本人の一定割合が、最近星野さんのように「生活の発見」をしているんじゃないかとも思う。つまり日々の暮らしを大切にする方向にシフトしつつあるのだ。
「生活をおもしろがる」
源さんの「生活をおもしろがる」という視点は、すごく大事にしたいなぁ。個人的には、仕事だけの人生は歩みたくないし。生活を含めたキャリアデザインをしなきゃ。
……なんて、そんなことを考えるきっかけを与えてくれる、源さんのエッセイに感謝。