キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

僕はプロフェッショナルにはなれないと気付いた話

『プロフェッショナル 仕事の流儀』が好きだ。

 

プロスポーツ選手や料理人や企業家など、ある分野で一流になった人たちを紹介する、言わずと知れたNHKの人気番組。この番組を観て「よし! 自分もいつかはプロフェッショナルになったるで!」と考えた人は僕だけじゃないはず。

 

でも、最近気付いてしまった。

 

「僕は、プロフェッショナルにはなれないかもしれない」

 

漫画『シャーマンキング』で主人公の父幹久が言っていたように、大人になると自分の成長の限界が見えてくる。プロフェッショナルと呼ばれる人物はすべからく、プライベートを犠牲にしてまでとてつもない努力をしているのだと思うけれど、僕にはそんな努力はできないな、なんて思ってしまう。

 

だって土日はしっかりお昼くらいまで寝たいし、できることなら毎日縁側で猫と戯れて、晴耕雨読で暮らしたいもの。こんな発想でいる人間が、プロフェッショナルになれるほど世の中甘くない。

 

ただ一方で、こんなふうにも思う。周りからの評価と、本人の幸福感はかならずしも一致しないんじゃないかと。

 

もちろん、プロフェッショナルと呼ばれる人が幸福でないというわけじゃない。でも、プロフェッショナルにならなければ幸福になれないわけじゃないはずだ。

 

思うに、「いつかはプロフェッショナルになったるで!」的発想の自分は、周りからの評価を気にしていたように思う。周りから、「すごいねー、プロだね! 」と言われるようになりたいと。でもたぶん、それって本質的じゃない気がしてきたのである。

 

「自己概念」という考え方

心理学には、「自己概念(concept of self)」という考え方がある。カウンセリングの祖、カール・ロジャースの概念で、「自分はこういう人間だ」とか「こういう人間っていいな」といった、自分に対するイメージのこと。この自己概念と経験(experience)が一致している状態を、ロジャースは「自己一致」と呼び、健全な状態とした。

 

さらに、ドナルド・E・スーパーは、個人は仕事を通じて「自己一致」を目指す(「職業的自己概念」を実現する)ということを言った。

 

みなさんも、自分の「こうありたい」という思いが、実際の今の自分と重なったとき、自分が自分でいることができているような、満ち足りた気持ちになったことはないだろうか(僕はある)。幸福感を得るうえで大事なのは、周囲から評価されることではなく、自分が思い描く「こうありたい」自分と、実際の自分が重なっていることなのだ。

 

そうなってくると、まずは自分が思い描く「こうありたい」自分を明確にする、という作業が必要になってくる。就活の時にやる自己分析ってやつだ。これがなかなか難しい。どうやってこの難しい自己分析をやるのかという話は、またあらためて。