働きかたを編集する

働きかた編集者 山中康司の備忘録

「○○したら人生変わった」と言いたいボーイ

 ねがわくば、もっと思いやりのある人間になりたい。

 

もっと一つの物事を突き詰められる人間になりたいし、凶悪な敵をまなざしだけで圧倒する、そんなたくましい人間になりたい。

そんなことを20歳過ぎくらいから思い続けてきてる。

 

思い続けて、海外を旅してみたり、名作と言われる映画を見たり、本を読んだり、相田みつをミュージアムで名言に触れてみたり。

が、結局どの人間にもなれずに28歳になってしまった。

 

世界一周をしようと、映画を100本観ようと、偉人の名言に触れようと、自分を変えられない人は変えられねんだなぁ。人間だもの。そんな簡単に人が変われるなら、自己啓発本は今みたいに売れたりしないはずだもの。

 

でも、なかには何気ない出来事から啓示のようなものを得て、自分を変えらる人もいるらしい。

嘘か本当か、村上春樹は、こう言っていた。

 

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。(中略)そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。ヒルトンは素速く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。
(引用:『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫、49-50頁)

 

僕はといえば、2015年6月7日神宮球場で開催されたヤクルト対ロッテ戦の左翼席にいて、7回裏3対3・1アウト満塁の場面でミッチ・デニング(オーストラリアから来た僕と同い年の外野手だ)が放った右翼席中段への満塁ホームランを外野席から見ていたが、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立つことはなかった。

 

変わる人、変わらない人。その違いはなんなのだろう。

 

思うに、小さい頃は、すべての出来事が新鮮で、新しい気づきばかりだった。まるで真っ白いキャンパスの上に絵の具で描かれていくように、あらゆる経験が「自分の人生はこのようなものだ」という世界観を塗り替える色彩を持っていたのだ。

 

けれど、28歳になった今、もうそうはいかない。何か新しい経験をしても、これまでのさまざまな経験から得たものごとのとらえ方の枠のなかで見てしまうから、自分を変えるような新しい発見になりづらい。

 

絵のたとえでいえば、自分のキャンパスに描かれた「自分の人生はこのようなものだ」という世界観は、これまでのさまざまな経験によって塗り固められてしまって、上書きするのは簡単じゃないのだ。

 

それでも変わりたいと思ったら、塗り固められた世界観をリセットする必要がある。言い換えれば、もう一度赤ちゃんとして生まれ変わって、本や映画や知らない土地やデニングのホームランと出会ってみたら、「自分の人生はこのようなものだ」という世界観は塗り替えられるかもしれない

 

じゃあ、どうしたら世界観をリセットできるのか。

 

まだ「これ!」といった方法は見つかっていないのだけれど、とりあえず、合言葉を持つことにした。自分がものごとを枠にはめてとらえてしまっているなと感じたら、「エポケー」と唱えてみるのだ。

 

「エポケー(epokhe)」とは、判断停止、判断保留といった意味で、ドイツ出身の哲学者エトムント・フッサールが、純粋な事象そのものへ至るために素朴な自然的態度を……とか難しいことはこの際あんまり大事じゃない。

 

要は「ものごとの判断を括弧に入れる」といった意味で、大事なのはなにか新しいものごとと出会った時、凝り固まった見方をしてしまっているなと感じたら「いっけね!エポケーエポケー」と唱えることで、まっさらな気持ちで向き合うことを意識できるようになることだ。だから別に「エポケー」じゃなくてもいい。「アッチョンブリケ」でも「うんこ」でもいい。(いずれにせよ、声に出すのはオススメできない。)

 

しばらく、この「エポケー」を試してみようと思う。いきなりスンバラシイ人間に買われたりはしないまでも、毎日を新鮮な気持ちで過ごせるようになったらいいな。季節の移り変わりをしっかり感じとれるとかね。

 

 

そういえばデニングはその後、四国アイランドリーグでプレーした後、2016年7月に退団した。今頃どこで何をしているんだろうか。