働きかたを編集する

働きかた編集者 山中康司の備忘録

履歴書の空白は、人生が発酵している時間

僕の履歴書には空白がある。

 

大学を卒業してから大学院に入るまで、ぽっかり1年あいているのだ。

 

人と接することが極端に苦手だった僕は、就活をせずに大学を卒業。フリーターになり、大宮の韓国風居酒屋でバイトをしていた。空白というのは、その時期のこと。

 

「要するにあれだね、社会人にならずプラプラしてたんだね」と、履歴書から目を挙げて言う面接官の顔が目に浮かぶ。僕は、「あ、はい。プラプラしてたんです…」と申し訳なさそうに答えるはずだ。以前の僕ならば。

 

 

でも、履歴書の空白の時期がなかったら今の自分はないな、と、今では思う。

 

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そもそも居酒屋のバイトは、対人恐怖を克服するための「リハビリ」として、崖の上から飛び降りるくらいの気持ちで始めたものだった。

 

たかが接客と侮るなかれ。お客さんの前に立つと動悸や汗がひどくなり、手が震え、僕にとっては相当にしんどいものだった。勤務時間前に心を落ち着かせる薬を飲んでから、ホールに立つこともあった。

 

そんな状態だから、やっぱりミスもする。ビールをこぼしたり、オーダーを間違えたりは日常茶飯事。本当にダメダメだったのだけど、「おうにいちゃん!気にすんな!」なんて、いかついおじさんに声をかけられたりすることがあったりして、だんだんと「あ、意外と人って怖くないかも」と思うようになったのだった。

 

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この時期は、履歴書の上では「大学から大学院までの間の、空白の時期」となるはずだ。

 

あえて書くならば「アルバイトとして居酒屋のホールを担当」となる。履歴書の役割は、「私は”仕事人”としてこれだけ価値を提供することができますよ!」ということをプレゼンテーションすることだと考えると、とくべつ評価されそうな経験ではない。むしろ履歴書の空白として、ネガティブにとらえられてしまうかもしれない。

 

でも、僕はこの履歴書の空白期を、ひそかに誇らしいと思ってる。

 

僕は、というかだれもが、”仕事人”としてのみ生きてるわけじゃない。”家庭人”とか”恋人”とか”友人”とか”地域人”とか、いろいろな役割が合わさって、その人を構成してるはずだ。

 

と考えると、”仕事人”としての価値をしめす履歴書に空白があるからとって、その人の価値が下がるわけじゃない。少なくとも僕は、あの空白の時期があったからこそ、少しやさしくなれた気がする。

 

どちらがいいというわけじゃないけど、欄全てが輝かしい経歴で埋まっている人の人生とおなじように、空欄がある人の人生だってすばらしいよね、と思うのだ。

 

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僕もそうだったけれど、履歴書に空白があることを情けなく思う人もいるはず。でもその時間こそが、次に大きくジャンプするための助走期間だったり、自分の考え方や哲学がポコポコと発酵して、人生がおいしくなっている期間だったりする。

 

なので、情けなく思う必要ないぜ。むしろ履歴書の空白を誇ろうぜ。

なんて、昔の自分に伝えてあげたい。