キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

人はなぜ働くのか、について考えた

プレミアムフライデーホワイトカラーエグゼンプション、育休、週休3日…。

 

日々、新しい働き方に関するニュースを目にしない日はない。

 

でも、いろんな制度や働き方の是非を問う前に、一度立ち止まって「なぜ働くのか」を考えてみたいなー、と思う今日この頃である。

 

イデアが環境をつくる

 

「なぜ働くのか」。

 

哲学的な問いで、答えが出ない。そんなことを考えるより、手を動かせ。足を動かせ。とにかく稼ごうぜ。そんな声も聞こえてきそうだけれど、

 

バリー・シュワルツ氏は、私たちの行動や規範、制度の背景にある「アイデア・テクノロジー」の重要性について述べている。

 

科学はモノだけでなく アイデアも生み出します 科学は理解する方法を 生み出します そして社会科学が生み出した 理解の方法は 我々自身を理解する方法です そしてそれは 私たちがどう考え 何を望み どう振る舞うかに 大きな影響を及ぼしています

 

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改めて「なぜ働くのか」を考えたほうがいいというのは、シュワルツ氏が述べているように、「誤ったアイデアはそれを正しくするような環境をつくりだす」からだ。

 

「人は基本的に怠惰で、報酬がなければ怠ける」というアイデアは、アメとムチによって人を動機づける環境を生み出すし、「できるだけお金を稼いだほうがいい」というアイデアは、できるだけお金を多く稼げるようなゴリゴリの環境を生み出すし、「美味しいご飯があれば仕事を頑張れる」とアイデアは豪華な社食を生み出すかもしれない。

 

社会全体で、「なぜ働くのか」についての共通の答えを導き出すことは、これだけ価値観が多様化した今、不可能だし避けるべきことだと思うけれど、職場単位で「私たちはなぜ働くのか」という問いに対する、みんなが納得するような答えを用意するステップは、さまざまな制度を整える前にあってもいいのかもしれない。

 

なぜ働くのかに対する答えの例

 

「なぜ働くのか」という問いに対しては、アリストテレスの時代から、マックス・ウェーバーマルクス、ハンナ・アレントウィリアム・モリス、ジョン・ラスキン二宮尊徳など、古今東西さまざまな答えが用意されてきた。

 

例えば、次のような答えがある。

 

・働くことで、勤労・倹約を実現し、神の恩寵を得ることができるからだ

・働くことで、個人はお金を稼ぐことができ、社会という視点で見れば経済が成長するからだ

・働くことで、自分の労働で生まれた生産物を他人に与えるで幸福を感じることができるからだ

・働くことによる成果の美は、人間にとっての喜びだからだ

・働くことで他人からの賞賛を得られるからだ

・働くことで、それぞれ異なる存在である人間同士が尊重されるからだ

・働くことで人間は人生に意味を作り出していくからだ

 

また、「そもそも働くことは食べるための糧を得るためにすぎず、苦痛なことであり、そこに意義を見出そうとすることは間違っている。だから、なるべく働かないほうがよく、余暇のほうが大事だ」という考え方もある。ポール・ラファルグが「労働は、一日最大限三時間に賢明に規制され制限される時はじめて、怠ける喜びの薬味となる」と言っているのが象徴的だ。

 

働くことで人間は人生に意味を作り出していく

 

では、僕はどの考え方が好きかというと、「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方。なぜなら、自分自身がニートだったとき、「働くことができない自分の人生は、本当に意味がないな」と思うようになってしまった体験があるからだ。

 

それまではどこかで自分は他の人より優れていて、選ばれた人間で、意味ある人生を与えられているのだ、という考えがあって、その鼻っ柱が根こそぎ折られた。でも、こう思うようになった。確かに僕の人生に意味はないかもしれないけど、これから意味を作っていけばいいじゃないか、と。

 

「人生に意味を問うてはいけない。人生が自分自身に意味を問うているのだ」とヴィクトール・フランクルは言った。つまり人生それ自体にもともと意味があるのではなく、人生を通して「僕の人生はこんな意味がある」というように意味を作り出していく、という考え方で、そんな考え方は僕にとっては救いだった。

 

「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方の優れた点は、その意味はそれぞれの人が自分なりに見出していくことができる点にある。A君は神の恩寵を得るためかもしれないし、Bさんは彼女に褒められるためかもしれないし、C君はお金を稼ぐためかもしれない。それぞれの考え方が尊重される。それがいい。「寝る間も惜しんで働くべきだ」とか、「いやなるべく働かないほうがいい」とか、どんな考え方にせよ、ある価値観を押し付けられるのは息苦しい。

 

僕が「キャリアの物語を紡ぐ」と言っているのは、言い換えれば、「働くことで人間は人生に意味をつくりだしていく」というアイデアの上に立って、一人ひとりが自分なりの意味を見出していくお手伝いをする、ということだ。ある決められた答えがなく、自分で答えを見出していく(しかも、一度出した答えが年月を経て変わることもある!)ことは、結構苦しいこと。だからこそ一人でその作業をするのではなく、お手伝いをする存在になりたいと思っている。なにより、十人十色の意味のある人生の、その物語に触れられることは、本当に楽しいことなのだ。

 

参考

『働くことの意味』橘木俊詔 編著 ミネルヴァ書房