キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

キャリア支援をケイパビリティ・アプローチから考えてみる

記事を書いたり、イベントのファシリテーターをやったり、求人サービスのプロジェクトマネージャーをやったり。今年の7月に独立して以来、あれやこれやと”働きかた編集者”の仕事をしています。

 

はたから見ると、あれやこれやかたっぱしからやってるなー、と思われるかもしれないですが、一応自分のなかではすべての取り組みを貫く”旗印”みたいなものがあります。

 

それが、「キャリアのケイパビリティを高める」ということです。今日はちょっとそのお話を。

 

ケイパビリティとは

 

「ケイパビリティ」は、1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した考え方。すごく大雑把に言ってしまうと、「生きていくうえでの選択肢の幅」のことです。

 

センがこの考え方を提唱したのは、1980年半ばのこと。それまでは豊かさをはかる指標として、国民総生産が一般的でしたが、センは疑問を投げかけます。国が経済成長をしているからといって、格差が解決されているわけではない、と。たしかに現代の日本をみても、GDPは世界の3位であるものの、たとえばひとり親世帯の貧困率は5割を超えOECD加盟国の中では最低水準と、依然として格差は存在しています。

 

そこで、センが国民総生産にかわる豊かさの指標として注目したのが、「○○できる(to do)。○○である(to be)」という自由や能力の平等性(the equality of basic capabilities)でした。

 

たとえば、長生きをすることや、教育を受けること、コミュニティに参加すること、幸福であること、自尊心を持っていることなど、「○○できる(to do)。○○である(to be)」といったことは、望めば誰でも選択できるわけではありません。お金がなかったり、学習の機会がなかったり、情報がなかったりと、さまざまな制約によって実現できないということが考えられます。大事なのは、お金がないこと以外にも、選択を阻む要因はあるということです。

 

センは、こうした「○○できる(to do)。○○である(to be)」を、やりたいと思えばできる現実的な選択の機会のことを「ケイパビリティ(capabilities)」と呼び、ケイパビリティが高まることを「発展」と定義付けました。「経済成長=発展」という考え方からすれば大きなパラダイムシフトですね。

 

 

キャリア支援とケイパビリティ

 

こうしたケイパビリティの考え方は、キャリア支援の仕事をする上でとても重要だと僕は思っています。

 

つまり、「大企業で高い年収を得よう」「NPOで社会貢献しよう」「地方に移住しよう」など、その人が「こういうキャリアを歩みたい」と願える、そして願った上で実現できるという、「生きていくうえでの選択肢の幅=ケイパビリティ」を高めることが、やるべきことなのではないかと思うのです。

 

たとえば、就活中の大学生を例にして考えてみましょう。雑誌では就活生の人気企業ランキングや、初任給ランキングなどを見かけますが、必ずしも新卒でいいお給料をもらえる有名企業に入れたら幸せになれる! とは言えないですよね。

 

もちろん、「大企業に入ったら幸せになれない!」とも言えない。大事なのは、選択肢の幅なのではないかと思うのです。就活生は、大企業から中小企業、ベンチャー、あるいは起業も含めて幅広く情報を得ることができる環境にあるのか。また情報を得れたとして、その中から自分が望む選択ができる機会・能力はあるのか。大学での学習の機会や学歴が就職に大きな影響を与えるとすれば、親の所得に左右されずに大学を選び、学べるようになっているのか…。

 

ケイパビリティの考え方をとると、そうした問いが浮かび上がってきます。これらの問いは、「新卒で有名企業に入って高い初任給を得る=就活成功」という考え方をとった場合には見えてこない問いかもしれません。

 

就活生に限らず、女性活躍推進や障がい者雇用、長時間労働の是正、ホワイトカラーエグゼンプションダイバーシティマネジメントなど、ケイパビリティの考え方を取ることでこれまでと違った見え方が浮かび上がるのではないでしょうか。

 

選択肢があることのリスクもある

 

個人的にケイパビリティの考え方が好きなのは、”開かれている”から。なにかの価値観を押し付けたり、押し付けられたりするのは、どうにも好きになれないんですよね。特にキャリアコンサルタントのような仕事だと、ともすると「キャリアについて教えてやってる」というスタンスになりかねない。僕もキャリアコンサルティングを受ける側だった時、そんなキャリアコンサルタントに出会ってげんなりした覚えがあります。

 

そうではなくて、多様な価値観に対して”開かれている”。それが素晴らしいなと思うのです。

 

とはいえ、”開かれている”ことのリスクもあると思っています。エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘したように、選択の自由があることは不安が伴うからです。うどんかそばかだったら選べるけど、ビュッフェになったら何を選んでいいかわからない。いっそ決めてくれた方が楽なのに! なんて、心の弱い僕なんかは思ってしまいます。そういうことです。

 

選択の自由には不安が伴う。特に、人生において大きなウェイトを占める「仕事」に関してとなれば、不安になるのは当然です。不安になったら、人は決めてくれる存在になびきやすくなります。そんな人を舌舐めずりして待ち構えているのは、ネットワークビジネスやいかがわしい宗教。そしてその極め付けは、『自由からの逃走』で描かれたナチズムへの傾倒でした。

 

「生きていくうえでの選択肢の幅」を広げつつ、 決めてくれる存在になびくのではなく、自分で自分の人生を選択することを支援する。それが”働きかた編集者”としてやっていきたいことなのですが、具体的にどういう方法に落とし込めばいいのか。カウンセリング、メディアでの情報発信、求人サービスなど、いろいろとやりながら模索中です。

 

日本社会全体を変えるのはちょっと僕の力では難しいので、自分の手の届く範囲で、ですが、地道にやっていこうと思います。