キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

先生が教えてくれない「木を見て森を見る」の意味

「木を見て森を見ず」

 

という言葉があります。近視眼的になっちゃってる、という意味ですね。

 

逆に、「森を見て木を見ず」みたいな言葉はないけれど、そういう状況もあります。マクロの環境ばかりに注目してしまって、ミクロの存在やその動きに目が届かない、って状況。だから、理想的なのは、「木を見て森も見る」、つまりミクロもマクロもちゃんとわかっていること。

 

…なんて思っていたのですが、「あ、これ、ちょっと違うかも」って気づいたのです。

 

そのきっかけは、今日日本財団で行われた「ローカルベンチャーサミット」という、全国でローカルベンチャー(地域での起業や新規事業)を推進する自治体や組織が一堂に会する年に1度のイベント。

 

僕は撮影スタッフをさせていただいていたため、各自治体の首長や団体のメンバーのお話をじっくり聞くことができたのですが、その時に思ったのが、「ローカルベンチャーを巡る状況って、『木を見て森も見る』だけではどうも掴みきれないな」ということ。

 

抽象的なのでもうちょっと詳しく言うとですね。

 

「木」をローカルベンチャーの実践者、「森」をそれらを支援する自治体だとします。すると、たしかに「木を見て森も見る」的に、その両方の視点に立つことは大切なのだけど、それだけだと見落としてしまうものはあるなぁと。ローカルベンチャーの動きはローカルベンチャーの実践者、それを支援する自治体の動きだけでは捉えきれないのです。

 

そこにはローカルベンチャーの実践者を支援する企業の存在があり、自治体にお金を出す政府の存在があり、それらのつながりを媒介する組織の存在があり、そしてそれらが影響を与え合いながら生かし合う、関係性の網の目がある。

 

つまり、”生態系”なんです。

 

これって、ローカルベンチャー以外にも言えることなはず。現代はいろんなことの境界がなくなっていきつつある時代です。国という境界、会社という境界、AIと人間という境界…みたいな境界があいまいになる中で、関係性が複雑に絡み合って、”ミクロとマクロ”という視点だけではその事象を捉えきれなくなってきた。

 

”ミクロとマクロ”ではなく、それぞれの存在が複雑に影響し合う”生態系”として捉えた方が、しっくりくるように思うんです。

 

で、「木を見て森を見る」という言葉のはなし。僕は「ミクロもマクロもちゃんとわかっていること」って思ってたんですが、そうじゃないのかも、と。

 

視点の狭さ・広さの話なんじゃなくて、生態系として見る視点を持っているかどうか。その事象に潜む関係性の網の目をみることができているか、ってことなんじゃないのかと、そう思ったわけです。

 

…だとしたら、「木を見て森を見る」って超ムズいじゃん。関係性の網の目がどうなってるかなんてwilipediaに載ってないし。すぐ変わりそうだし。かんべんしてよ。

 

ってスネちゃいそうになるのですが、ムズいからこそ、「木を見て森を見る」ことができたら強い。なんなら関係性の網の目を編集することすらできるわけですから。

 

僕も「働きかた」という森で、「木を見て森を見る」存在でありたいものです。