キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

人はなぜ働くのか①-橘木 俊詔「人にとって『働く』とはどういうことか」-

本屋にいくと、「なぜ働くのか」に関する本がたくさんある。それだけ、「なぜ働くのか」というテーマはみんなの関心ごとになっているんだろう。

 

この「なぜ働くのか」という問いは、現代の日本でだけ問われているわけでは、もちろんない。それこそ古代ギリシアの時代から問われていて、時代や文化とともに、その問いに対する答えは変わってきたみたいだ。

 

例えば、今は「働くことは生きることだ」という考え方が広く受け入れられているような気がするけれど、「働くとか、しなきゃしない方がいいよね」という考え方が一般的だった時代と場所もある。

 

そういった多様な労働観を知っておくことは、現代の労働観を相対化できることにもつながる。だから今日は、橘木俊詔編著『働くことの意味』(ミネルヴァ書房)のうち、古今東西の労働観を紹介した「人にとって『働く』とはどういうことか」から、さまざまな労働観をピックアップしてみる。


労働は呪いである(古代ギリシアの労働観)

古代ギリシアでは、労働は奴隷や戦争に負けた国の人がするもので、呪われたものであるとみなされていたという。そうした労働する人々と市民は区別され、市民は労働従事者がつくる農作物や手工業製品に支えられながら暮らしていた。

 

アリストテレスも、「労働から解放された人間だけか思索の自由を得ることができる」と、こうした区別をみとめていた。


労働は尊い行いである(中世キリスト教的労働観)

生きていくために働くことは尊いことだと唱えたのは、中世のキリスト教神学者たちだ。中世のキリスト教の狭義には、禁欲の教えがあったため、労働をして自分の生活に必要なものを得ることを尊いことだとした。

 

たとえば、6世紀の修道院では農作物や工業製品を自給自足していた。このことが一般の人にも広がっていくことになる。12.13世紀になると職業のなかに貴賎の差が生まれたり、14-17世紀になると外国との貿易が盛んになることで富裕層が生まれることになる。

 

さらに、16世紀の宗教改革で生まれたプロテスタントの教義では、勤勉さと倹約が美徳とされ、働かないことは罪とみなされた。


労働は尊い行いであり、利益を上げる行いである(近現代的労働観)


17.18世紀の市民革命によって、絶対君主にかわり市民が支配階級となり、さらに18世紀後半の産業革命によって、そのなかから資本家が登場した。つまり、資本家と労働者という区別が生まれ、資本家にとっては利益を上げるため「労働者にいかに働いてもらうか」が考えるべきことになった。

 

マックス・ウェーバーが「プロ倫」で述べているように、それ可能にしたのが、プロテスタンティズムの勤勉倹約の倫理だった。つまり労働者自身も勤勉に労働に励み、倹約をすることで神の恩寵を得られると考えたため、頑張って働いてほしい資本家の考えと利害関係が一致したのだ。

 

労働は美を生み出す行為である(ラスキン・モリスの労働観)

職人芸の立場から、労働を喜びとした労働観もある。それが、ウィリアム・モリスやジョン・ラスキンの考え方だ。モリスは、自分の才能が発揮できるような仕事に就いて製品を生み出すことが、労働の喜びにつながると考え、職人芸を賛美した。また、ラスキンは、労働を知性の発露の場とみなした。

 

労働は生産することであり、生産することは人間の本質である(マルクス主義的労働観)

また、マルクスは、労働は自己の個性と能力を発揮して自然に働きかけて生産物を作り出す、やりがいに満ちた活動であると考えた。しかし、資本主義によって資本家と労働者という階級ができ、労働者はそうした人間の本質たる労働から疎外されてしまっていると指摘した。


労働は自らの意思で他者に役立つ行為である(仏教的労働観)

ここまで西洋の考え方をあげてきたが、「人にとって『働く』とはどういうことか」では東洋の労働観も取り上げられている。たとえば日本における仏教的な労働観では、働くことは誰にも強制されることなく、自発的に他人に役立つことだと考えられてきた。

 

これは「はたらく」の語源が「傍(はた)を楽にする」だ(諸説あり)ということにもつながってくるかも知れない。

 

 

まとめ

労働観については、ここで紹介した以外にもたくさんある。が、少なくとも言えるのは、宗教と労働は密接に関わっている、ということだ。宗教は労働に意味を与えてきたのだ。

 

しかし現代ではフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールが「大きな物語の終焉」という言葉で指摘したように、社会全体で共有されるような価値観の力が弱まり、一人ひとりが自分の物語をもつことが必要になってきている。

 

そうしたなかで、労働観についても、「自分はなぜ働くのか」を自分自身で考える必要があるようになってきている。それを大変だと考えるか、自分のキャリアをデザインできる楽しい時代だと考えるかは、人それぞれだけれど。

 

参考文献


橘木 俊詔「人にとって『働く』とはどういうことか」『働くことの意味』ミネルヴァ書房