【ネタバレ有】映画でキャリアを語りたい- vol.1『横道世之介』-
いかに生きるべきか。
みたいな、自分のキャリアことを考えていると、眉間にシワがよってくることがある。
就活のときとか、転職のときとか、考えなきゃいけないタイミングは人生のなかで訪れるんだけど、「あなたの軸は?」「哲学は?」って聞かれても、ぐむむとなってしまう経験って、僕以外にも多くの方があるんじゃないかな。
この映画の主人公は、軸がない。大学生である横道世之介は、フィジカルな意味でも、歩くときに身体がナナメになってて、正直気持ちわるいのだ。(高良健吾が演じているから超イケメンなのに、ちゃんと(?)気持ち悪く見えるから、その演技力たるや!)それに、言動を見ていても、特に自分の哲学的なものはなさそうである。就活的に言えば、「自分の軸がない」。これじゃのぞむ仕事は得られない。
と思いきや、作中では明確に描かれないけれど、世之介は自分の仕事をちゃんと見つけるのだ。それは、アパートの隣人との思わぬハプニングがきっかけになっている。
それを単なる偶然と言ってしまえばそれまでなのだけれど、僕らのキャリアって、実はこうした偶然の積み重ねによってつくられるものだ。偶然行ったイベントで出会った人が、仕事を紹介してくれたり、偶然見た本が転職のきっかけになったり。
キャリアの理論でも、「そうした偶然を活かしてキャリアをつくっていきましょうよ」というものがある。ジョン・D・クランボルツの「計画された偶発性理論」というもので、クランボルツ氏によると、次のような特性を持っていると、偶然を引き寄せやすいのだとか。
(1)「好奇心」 ―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
(2)「持続性」 ―― 失敗に屈せず、努力し続けること
(3)「楽観性」 ―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
(4)「柔軟性」 ―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
(5)「冒険心」 ―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと
(参考:『その幸運は偶然ではないんです!』ジョン・D・クランボルツ、A.S.レヴィン著 花田光世ら訳 ダイヤモンド社 2005)
世之介はいろんなことに首をつっこむし、楽観的だし、軸がないぶん柔軟だ。だからこそ、キャリアを変える思わぬ偶然を引き寄せることができた。
自分の軸をつくろうとして眉間にしわを寄せているのもいいけれど、キャリアデザインについて世之介から僕らが学ぶことは多いんじゃないかな。
目標は、ちいさく
モチベーションに関して、ずっと不思議に思っていたことがあるんです。
それは、「スポーツは超やる気が出るのに、仕事となると憂鬱になるのはなぜだろう」ということ。
学生生活を振り返っても、僕はスポーツに関してはすっごく自信がありました。
サッカーでも、野球でも、テニスでも、そこらのやつらよりはできる。
体育祭だって、アンカーは当たり前で、走るのが楽しくて楽しくて。
で、暇な時、自分がリレーのアンカーでみんなをごぼう抜きするシーンとか、
サッカーですごいシュートを決めるシーンとかを妄想して、ワクワクするんです。
皆さんもそういう経験って、もしかしたらあるんじゃないかな?
音楽が得意な人なら音楽で、勉強が得意な人なら勉強で。
今思い返すと、それって自己効力感が高まる、プラスのスパイラルだったんだなぁと思います。
つまり、
「自分は成功できる」と思う
↓
モチベーションが上がって努力する
↓
成功する
↓
「自分は成功できる」と思う
っていうサイクルが回っていたんですね。
一方で仕事はというと、その逆。
「自分は失敗する」と思う
↓
モチベーションが下がって努力しない
↓
失敗する
↓
「自分は失敗する」と思う
というマイナスのスパイラルが回ってしまって、なかなか抜け出せずにいるなぁと、
今日はなまるうどんでうどんを食べていたら気づいたんです。
(うどんの効果かな)
じゃあ裏を返せば、プラスのスパイラルに入れば仕事もスポーツみたいにうまくいくようになるかも!なんて思って、どうしたら自己効力感を高められるか調べたら、
自己効力感を高める方法として、成功体験 、代理体験(同じような能力の人間が努力し成功しているのを見る)、 言語的説得(励まされる)、生理的状態(心身の状態が良好なこと)の4つが挙げられる。
らしいです。なるほど。
特に成功体験を得ることが大きいみたいなので、
小さい目標(例えば朝6時に起きるとか、本を20ページ読み進めるとか)
を立てて、達成していくのがいいかもと思っています。
そういえば、上原浩治さんも、目標を小さくするってことを言ってたな。
果たして効果が出るのかどうか。
またあらためて報告しますね。
今日から、自分を好きになってあげよう -『うつヌケ』田中圭一-
ぼくは気持ちの上がり下がりが結構はげしい方です。重めの仕事があるとき、苦手な人と関わらなきゃいけないとき、そして気圧が急激に下がったとき、朝からズーンとゆううつな気持ちになることがしょっちゅうで。
そんな後ろ向きな自分をなんとか変えたいと、『プロフェッショナル』みたりとか、すごく頑張っている毎日イメージトレーニングをして、「こうあらねばならない」ってイメージを自分の中に定着させようとしてたんですが、なかなかうまくいきませんでした。それで、「やっぱ自分ダメじゃん」って思っちゃったりして。悪循環。
でも最近、『うつヌケ』を読んだら、結構心が晴れたんです。
『うつヌケ』は自らもうつを経験した田中圭一さんが、うつトンネルを抜けた人たちにどうやってうつと向き合ったかを取材し、漫画にしてまとめた本。
ぼく自身は倦怠感や無気力といった症状がずっと続くというわけではなく、たまに(特に天気の変わり目に)そうなるという感じなので、うつ病ではないと思うのですが、それでも読んだ後気持ちが軽くなったんです。
それは、「ありのままの自分を受け入れればいいんだ」ということに気づけたから。本でも書かれているように、うつになってしまう要因として、自分を嫌いになることが大きいんですね。「自分なんかダメだ」と。
人間は本質的に、
- 自分が好き
- 肯定されたい
- 必要とされたい
→これに抗うとうつになる。
(161頁)
という、メカニズムはすごくシンプルです。
ぼくの場合、まさにそんな本能に抗っているとき、気持ちが憂鬱になっていました。
「メールはすぐ返さなければならない」
「ゲームをする時間があったら、読書して教養をつけなければならない」
「毎日決まった時間に早寝早起きしなければならない」
「仕事でプロフェッショナルにならなければならない」
みたいな思いがあって、それをできないと「自分はダメなやつだ。嫌い。」って責めちゃう。心が責めちゃうけど、体は「ゲームしたいよー」ってなってるから、反抗する。そんな心と体の対立が、調子の悪さにつながってたんですね。
だから、「ねばならない」思考は捨てたほうがいい。捨てた上で、自分を受け入れてあげる。「ゲームしちゃお! そんな自分もありだよね!」「別にプロフェッショナルにならなくたって、自分は自分だよね!」って、自分を受け入れてていいんです。
そう考えたら、ずいぶん楽になりました。
この本は、別にうつ病に悩んでいる人でなくても、「自分はネガティブなとこあるなー」って思う人にはオススメ。
それに、今の時代誰もがいずれうつ病などの気分障害を抱えるリスクは持っているし、ましてや周りの誰かがうつ病になることはかなりの確率であるのだから、こうした本を読んで「うつ病ってこんな感じなのか」って知っておくのはいいですよ。ぜひぜひ読んでみてください。
「働く」と「アイデンティティ」
20歳から25歳くらいまで、働けない時期がありました。働くことがすごく怖かったんですね。
もうちょっと詳しく言うと、「賃労働で発生する、お金を介したコミュニケーション」が幽霊より雷より怖かったのです。
俺はなにもできない、価値のない人間だ
当時セブンのバイトをしていたのですが、レジに立つと動悸が早くなるわ、汗はだらだらかくはで大変なんです。だから僕が好きだったのは、裏でフライヤー(チキンを揚げたりするやつです)を掃除する仕事。それをしているうちは誰の目にも触れなくていいですから、楽なんです。
でも、だからってずっと裏でフライヤーを掃除してるわけにはいかない。お客さんがきたらレジに立たなきゃいけないわけで、その度に焦ってミスをする。ミスをするからもっと焦る…という悪循環。
結局3ヶ月くらいしか続かなくて、辞めちゃいました。「俺はコンビニのバイトすらできないのか」って愕然として。「俺はなにもできない、価値のない人間だ」って自信をなくしてました。
いや、自信をなくしてた、と言うとちょっと状況を十分に伝えきれていないかもしれない。「もう生きていってもしょうがないな」くらいは思ってました。ほんとに。
「働く」と「アイデンティティ」
そのときに強く学んだのは、「働く」と言うことと「アイデンティティ」は強く関係しているんだな、ということ。
なぜなら、「働く」ということはお金を稼ぐ意外に、「他者と関わる」という役割も持っています。「働く」が「傍(はた)を楽(らく)にする」ことだとはよく言われますし、マルクスも「人間は労働を通して社会的存在になる」と言っています。
そして、G.H.ミードが自我は他者とのコミュニケーションを通してつくられると言ったように、「アイデンティティ」の形成にとって他者との関わりは欠かせません。
これらをふまえると、働くことを通じて他者と関わることは、個人のアイデンティティをつくるうえで非常に大切になってくるといえそうです。
そして、とても重要なことは、僕がそうであったように、「働くことができない」という状況は個人のアイデンティティを危機に追い込むことがあるということ。
ニートの若者に対して、「働かないのは怠けているからだ」といった自己責任論を振りかざす方もいますが、働けないことというのがキリキリと一人の人間の心を締め付けていくことがある、ということは頭の片隅に置いておいて欲しいと思います。ただでさえ苦しんでいる人に対して、他者がダメ押しをするのはあまり褒められた行為じゃありません。
働く機会づくりを通じたインクルージョンを
「働く」と言うことと「アイデンティティ」は強く関係している。ということは裏を返せば、働く機会を生み出すことは、個人が「自分らしさ」を感じながら生きる機会を生み出すことにつながるはずです。
それっぽい言葉で言うと、働く機会の創出を通じた「ソーシャルインクルージョン」でしょうか。
「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念
(引用:障害保険福祉研究情報システム:ソーシャルインクルージョン)
たとえば、徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」は、地域のおばあちゃんたちの働く機会を生み、生きがいを作り出した事例ですね。
ソーシャルインクルージョンは障害のある方や高齢者、子育て中の方や難民、ニートなど、限られた方を対象とした考え方ではなく、すべての人を対象にした考え方だと僕は思っています。
個人のキャリアを支援する人間としては、自分が支援に関わった方が仕事と出会うだけでなく、その仕事を通して自分らしく、笑顔で働けている姿を見たとき、なににも変えがたい喜びを感じるのです。
北欧の大人の学校、フォルケホイスコーレとカオスパイロット
北欧いきたいなぁと念じてたら、北欧に関するイベントのファシリテーターをやらせてもらう機会を得ました。(念じてみるものですね。行く機会はまだなさそうですが)
「フカボリ!デンマーク」と題して、今話題のデンマークのことを深掘りする企画。今回は、「フォルケホイスコーレ」と「カオスパイロット」という、世界が注目する2つの「大人の学校」の経験談を、フォルケに行った寺崎 倫代さん、カオスパイロットに行った中村幸夫さんをお招きして語っていただきました。
「フォルケホイスコーレ」と「カオスパイロット」。僕もあまり知らなかったんですが、これが日本の成人教育とはかなり違って、すごく面白いんです。
フォルケホイスコーレは、 デンマーク国民の父と呼ばれるN. F. S.グルンドヴィさんという方が始めたもので、人間同士の対話を通した人格形成を大事にしています。
もうちょい詳しくいうと次のようなもの。
フォルケホイスコーレは、現在デンマーク国内に68校あるデンマーク生まれの全寮制の成人教育機関。主に4か月から6か月のコースで、文学、語学、音楽、環境、哲学、スポーツなど、学校ごとに複数のコースが定められ、教科は多岐にわたる。
教師と学生が平等な関係の中で相互に学ぶことが重要な理念のひとつであり、授業では自由な対話が重視される。入学試験を含めたテストや成績評価はない。また全寮制であるため、授業外でも学生や教師が生活の多くの時間を共にする。
政府から思想的に独立した私立学校だが、デンマーク政府の助成を受けているため、国籍にかかわらず、学生は学費の一部のみを負担する。17歳半以上であれば国籍、宗教、民族とは無関係に入学可能で、国外からも多数の学生を受け入れている。
(引用:デンマークの自由すぎる教育機関『フォルケホイスコーレ』が個人と社会を幸せにする理由 – EPOCH MAKERS - デンマークに聞く。未来が変わる。)
ちなみにフォルケはデンマークに限らず、北欧全体にあるようです。
一方、カオスパイロットは次のようなもの。
「カオスパイロット」は世界で最も刺激的なビジネススクールとも言われているようです。
デンマークの第二の都市、オーフスに位置する3年制のビジネスデザインスクールです。Ode magazineが2007年に“型破りな名前だが、世界で最も刺激的なビジネススクール“と評し、Business weekでは2008年に世界のベストデザインスクールとして紹介されています。
型破りな名前は、「カオス的な混乱した状況でもパイロットのようにナビゲートできる人材を育てる」ことに由来します。
(引用:世界で最も刺激的なビジネススクール「The Kaospilots」の授業とは? | 幸福大国デンマークのデザイン思考 | ダイヤモンド・オンライン)
「カオス的な混乱した状況でもパイロットのようにナビゲートできる人材を育てる」というのが面白いですね。
イベントに登壇した中島さんいわく、カリキュラムは非常に実践的。実際にプロジェクトをチームで担当する事を通して、カオスな状態でも上手に乗り越えていける実践知を身につけていけるようです。
2つの学校に共通しているのは、対話を非常に大切にしていること。フォルケの場合は対話することを通してそれまで気づかなかった自分に気づき、カオスパイロットは対話を通して予測不可能なプロジェクトを協力して進めていく。
キャリアデザインでも、エンカウンターグループなど対話を通して気づきを与え合う方法がありますが、そうした方法がとても一般的になっているのがデンマークなのかもしれません。一度行ってみたいなぁ。
ローカルが豊かになると、生き方の選択肢も増える
「ちまたではローカルローカルいうけど、ローカルのなにがそんなにいいんだ」
なんて思っている人も、なかにはいるはず。僕も田舎暮らしに憧れがあるし、いずれは移住したいと思ってるけれど、「みんな都市に集めた方が効率的じゃないですか」みたいなこと言われたら、まごまごしちゃってたと思うんですよね、実際。
今日参加した「green drinks Tokyo 本当の「ローカル」ってなんだろう?」は、「ローカルのよさ」ってこういうことかもと、自分なりに腹落ちするきっかけになりました。
特に面白かったのは、グリーンズ鈴木 菜央さんが紹介してくださったアメリカでのクラフトビールのはなし。日本ではビールといえばアサヒとかサッポロとか、ナショナルビールをイメージするけども、全米のビール市場の12.3%はクラフトビールが占めていて、その売り上げは年間2兆5000億円。これは日本のビール市場と同じなのだとか。そうしたクラフトビール志向の背景には、ローカル志向があるのだそう。つまり、地域で作られたビールを飲むことで地域内で経済が循環し、地域に雇用が生まれる。「だったらクラフトビール飲もうよ!」ってことらしい。
つまり、これはビールの事例だけども、食材でもエネルギーでも地域内で自給できるようになるほど、地域で経済がまわるようになり、そうすると地域に雇用が生まれ、そこに住む人が増えるんですね。
働きかた編集者の立場からいえば、これってすごくいいこと。やはり「この地域に住みたいけど、仕事がないから」という理由で離れてしまう人はいるんですよね。だから地域に雇用がある(あるいは自分でつくれる)ということは、人生の選択肢が増えるということ。
ローカルが豊かになるということは、人生の選択肢が増えるということなのですね。
「みんな都市に集めた方が効率的じゃないですか」というのは、それはシステム側の論理から言えばそうかもしれないけど、僕ら人間は研究室で培養されている菌ではないわけで、一人ひとり生きたい人生を選択する自由があるはず。その選択肢はきっと多い方がいいと考えると、やはりいろんなローカルが存在していて、自分にあった地域はここだな、って選べる方が、豊かな社会じゃないかな。
Be→Stand→Have→Doの順番で考える「内発的キャリア選択」について
『シゴトゴト』で「仕事は人びとを幸福にするか」という連載をしています。
仕事と幸福の関係についていろいろな分野の専門家にインタビューしているのだけど、僕自身「なるほど」と思うことばかりで、とても勉強になる企画です。
そのなかで思ったことの一つが、キャリアを選択する時の、考えることの順番。それを今日はちょっと紹介してみます。
キャリアを考える時の補助線
神宮球場で野球を観戦している時に「小説家になろう」と思った村上春樹みたいに、突然のインスピレーションだったり、本田圭佑みたいに小さい頃からの夢が根っこにあったりと、キャリアを選択する時に何に基づいて考えるかは人それぞれでしょう。だけど、考えることに行き詰まったときにヒントになる、補助線みたいなものがあると、キャリアの選択は楽になるだろうと思います。
キャリアを考える時の補助線としては、「仕事は人びとを幸福にするか」のなかでもいくつもヒントをいただくことができました。
例えば成瀬まゆみさんは「『Be(どういう状態でいれば幸福なのか)→Have(そのためになにが必要なのか)→Do(そのためになにをすべきか)」という順番で考えると、行動がBeで貫かれるので、一貫性が出る』と言っています。
(「幸福を”Be→Have→Do”で考える。」成瀬まゆみさんが語る、働き方に悩んだ時にすべきこと-仕事は人びとを幸福にするかvol.4- - シゴトゴト|仕事旅行)
シゴトゴトの記事ではないけれど、兼松佳宏さんが言う「BEとしての肩書き・DOとしての肩書き」という考え方にも通じると思います。
(DOとしての肩書き、BEとしての肩書き | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。)
さらに、『次の時代を、先に生きる。 - まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ -』の著者である髙坂勝さんへのインタビュー(近日公開予定)では、必ずしも貨幣経済のなかで生きる必要はない、ということが語られます。
確かに世の中は貨幣経済だけでできているのではなく、自給自足経済や物々交換経済で成り立っているコミュニティもあるので、ひたすら消費と成長を目指す貨幣経済が息苦しければ、距離をおいたっていいのです。
Be→Stand→Have→Doの順番で考える
こうした考え方に触れて、あるひとつのキャリアの選択の順番があるんじゃないか、と思うようになりました。
それが、「Be→Stand→Have→Do」です。順番に見ていきましょう。
Be
自分がこうありたいと思う”あり方”のこと。”根っこ”や”価値観”と言ってもいい。
兼松さんや成瀬さんが言うように、どういう自分でいたら気持ちがいいか、自分を好きでいられるか、と言った問いを自分に投げかけることで探っていきます。
と言っても、4つのフェーズのなかで多分一番難しいのがおそらくこれ。アイデンティティに関わることなので、自分のことを深く掘り下げないといけません。その分、「Be」が見つかったら、それに紐付いて「Stand→Have→Do」は自然に出てくるかもしれないですね。
Stand
どこに立ち位置を取るか、ということ。もっと具体的に言えば、「貨幣経済、自給自足経済、物々交換経済、あるいはそのハイブリッド経済、どの仕組みを大事にするコミュニティにに立ち位置を取るか」ということです。
鯉は地上で生きられない。ライオンは深海で生きられない。それぞれの存在にはそれぞれの生きる場所があります。もし生きることに苦しさを感じたら、それは生きる場所、とっている立ち位置が間違ってるのかもしれません。
だとすると、例え転職をしても貨幣経済にどっぷり浸かっていたら苦しさは変わらない可能性があります。その場合、貨幣経済ではないコミュニティがある地方に移住する、という選択肢を取るのもひとつの手になるでしょう。
Have
何を持つのか考えるというフェーズ。髙坂さんが提唱している、「ミニマルライフコスト」のような考え方です。つまり、まず自分が望むライフスタイルを実現するには何が必要なのかを把握するのです。次に、そのモノやサービスを手に入れるにはいくら必要なのかを弾き出す。そうすると、生活に必要な「ミニマルライフコスト」がわかります。
髙坂さんがいうように、消費者マインドから距離を置いて、自分で農作物を作ったり必要以上のものは買わないように心がければ、以外とミニマルライフコストは少なくて済むはずです。
Do
その上で、初めてDo(なにを仕事にするか)を考える。「Be→Stand→Have」までは考えてあるので、自分の価値観に沿って、心地よい場所で、必要なだけ働ける仕事を選ぶことができるはず。
万能ではないけれど
もちろん、誰もがこうした考え方の順番を取るべきだ、ということじゃありません。一瞬のひらめきでキャリアを決めて、うまくいった人もいるし、夢を貫く人もいますよね。
ただ、キャリアの選択に行き詰まったときに、こうした順番で考えたら視界が開けるかもしれない、ということです。
特に、この考え方だとまずBe(あり方)から入り、それをベースに考えていくので、根っこがしっかりしたキャリアを作れるんじゃないかと思うんですよね。その意味で、「内発的キャリア選択のステップ」とでも言いましょうか。(いや、しかしカタいな…)
ただ、このアイデアはまだ実践されていないので、あくまでも「こんなのもアリかも」というもの。なので僕自身が一度、この考え方でキャリアを棚卸ししてみようかな。機会があれば、その結果もお伝えします。