キャリア支援をケイパビリティ・アプローチから考えてみる
記事を書いたり、イベントのファシリテーターをやったり、求人サービスのプロジェクトマネージャーをやったり。今年の7月に独立して以来、あれやこれやと”働きかた編集者”の仕事をしています。
はたから見ると、あれやこれやかたっぱしからやってるなー、と思われるかもしれないですが、一応自分のなかではすべての取り組みを貫く”旗印”みたいなものがあります。
それが、「キャリアのケイパビリティを高める」ということです。今日はちょっとそのお話を。
ケイパビリティとは
「ケイパビリティ」は、1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した考え方。すごく大雑把に言ってしまうと、「生きていくうえでの選択肢の幅」のことです。
センがこの考え方を提唱したのは、1980年半ばのこと。それまでは豊かさをはかる指標として、国民総生産が一般的でしたが、センは疑問を投げかけます。国が経済成長をしているからといって、格差が解決されているわけではない、と。たしかに現代の日本をみても、GDPは世界の3位であるものの、たとえばひとり親世帯の貧困率は5割を超えOECD加盟国の中では最低水準と、依然として格差は存在しています。
そこで、センが国民総生産にかわる豊かさの指標として注目したのが、「○○できる(to do)。○○である(to be)」という自由や能力の平等性(the equality of basic capabilities)でした。
たとえば、長生きをすることや、教育を受けること、コミュニティに参加すること、幸福であること、自尊心を持っていることなど、「○○できる(to do)。○○である(to be)」といったことは、望めば誰でも選択できるわけではありません。お金がなかったり、学習の機会がなかったり、情報がなかったりと、さまざまな制約によって実現できないということが考えられます。大事なのは、お金がないこと以外にも、選択を阻む要因はあるということです。
センは、こうした「○○できる(to do)。○○である(to be)」を、やりたいと思えばできる現実的な選択の機会のことを「ケイパビリティ(capabilities)」と呼び、ケイパビリティが高まることを「発展」と定義付けました。「経済成長=発展」という考え方からすれば大きなパラダイムシフトですね。
キャリア支援とケイパビリティ
こうしたケイパビリティの考え方は、キャリア支援の仕事をする上でとても重要だと僕は思っています。
つまり、「大企業で高い年収を得よう」「NPOで社会貢献しよう」「地方に移住しよう」など、その人が「こういうキャリアを歩みたい」と願える、そして願った上で実現できるという、「生きていくうえでの選択肢の幅=ケイパビリティ」を高めることが、やるべきことなのではないかと思うのです。
たとえば、就活中の大学生を例にして考えてみましょう。雑誌では就活生の人気企業ランキングや、初任給ランキングなどを見かけますが、必ずしも新卒でいいお給料をもらえる有名企業に入れたら幸せになれる! とは言えないですよね。
もちろん、「大企業に入ったら幸せになれない!」とも言えない。大事なのは、選択肢の幅なのではないかと思うのです。就活生は、大企業から中小企業、ベンチャー、あるいは起業も含めて幅広く情報を得ることができる環境にあるのか。また情報を得れたとして、その中から自分が望む選択ができる機会・能力はあるのか。大学での学習の機会や学歴が就職に大きな影響を与えるとすれば、親の所得に左右されずに大学を選び、学べるようになっているのか…。
ケイパビリティの考え方をとると、そうした問いが浮かび上がってきます。これらの問いは、「新卒で有名企業に入って高い初任給を得る=就活成功」という考え方をとった場合には見えてこない問いかもしれません。
就活生に限らず、女性活躍推進や障がい者雇用、長時間労働の是正、ホワイトカラーエグゼンプション、ダイバーシティマネジメントなど、ケイパビリティの考え方を取ることでこれまでと違った見え方が浮かび上がるのではないでしょうか。
選択肢があることのリスクもある
個人的にケイパビリティの考え方が好きなのは、”開かれている”から。なにかの価値観を押し付けたり、押し付けられたりするのは、どうにも好きになれないんですよね。特にキャリアコンサルタントのような仕事だと、ともすると「キャリアについて教えてやってる」というスタンスになりかねない。僕もキャリアコンサルティングを受ける側だった時、そんなキャリアコンサルタントに出会ってげんなりした覚えがあります。
そうではなくて、多様な価値観に対して”開かれている”。それが素晴らしいなと思うのです。
とはいえ、”開かれている”ことのリスクもあると思っています。エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘したように、選択の自由があることは不安が伴うからです。うどんかそばかだったら選べるけど、ビュッフェになったら何を選んでいいかわからない。いっそ決めてくれた方が楽なのに! なんて、心の弱い僕なんかは思ってしまいます。そういうことです。
選択の自由には不安が伴う。特に、人生において大きなウェイトを占める「仕事」に関してとなれば、不安になるのは当然です。不安になったら、人は決めてくれる存在になびきやすくなります。そんな人を舌舐めずりして待ち構えているのは、ネットワークビジネスやいかがわしい宗教。そしてその極め付けは、『自由からの逃走』で描かれたナチズムへの傾倒でした。
「生きていくうえでの選択肢の幅」を広げつつ、 決めてくれる存在になびくのではなく、自分で自分の人生を選択することを支援する。それが”働きかた編集者”としてやっていきたいことなのですが、具体的にどういう方法に落とし込めばいいのか。カウンセリング、メディアでの情報発信、求人サービスなど、いろいろとやりながら模索中です。
日本社会全体を変えるのはちょっと僕の力では難しいので、自分の手の届く範囲で、ですが、地道にやっていこうと思います。
人はなぜ働くのか、について考えた
プレミアムフライデー、ホワイトカラーエグゼンプション、育休、週休3日…。
日々、新しい働き方に関するニュースを目にしない日はない。
でも、いろんな制度や働き方の是非を問う前に、一度立ち止まって「なぜ働くのか」を考えてみたいなー、と思う今日この頃である。
アイデアが環境をつくる
「なぜ働くのか」。
哲学的な問いで、答えが出ない。そんなことを考えるより、手を動かせ。足を動かせ。とにかく稼ごうぜ。そんな声も聞こえてきそうだけれど、
バリー・シュワルツ氏は、私たちの行動や規範、制度の背景にある「アイデア・テクノロジー」の重要性について述べている。
科学はモノだけでなく アイデアも生み出します 科学は理解する方法を 生み出します そして社会科学が生み出した 理解の方法は 我々自身を理解する方法です そしてそれは 私たちがどう考え 何を望み どう振る舞うかに 大きな影響を及ぼしています
改めて「なぜ働くのか」を考えたほうがいいというのは、シュワルツ氏が述べているように、「誤ったアイデアはそれを正しくするような環境をつくりだす」からだ。
「人は基本的に怠惰で、報酬がなければ怠ける」というアイデアは、アメとムチによって人を動機づける環境を生み出すし、「できるだけお金を稼いだほうがいい」というアイデアは、できるだけお金を多く稼げるようなゴリゴリの環境を生み出すし、「美味しいご飯があれば仕事を頑張れる」とアイデアは豪華な社食を生み出すかもしれない。
社会全体で、「なぜ働くのか」についての共通の答えを導き出すことは、これだけ価値観が多様化した今、不可能だし避けるべきことだと思うけれど、職場単位で「私たちはなぜ働くのか」という問いに対する、みんなが納得するような答えを用意するステップは、さまざまな制度を整える前にあってもいいのかもしれない。
なぜ働くのかに対する答えの例
「なぜ働くのか」という問いに対しては、アリストテレスの時代から、マックス・ウェーバー、マルクス、ハンナ・アレント、ウィリアム・モリス、ジョン・ラスキン、二宮尊徳など、古今東西さまざまな答えが用意されてきた。
例えば、次のような答えがある。
・働くことで、勤労・倹約を実現し、神の恩寵を得ることができるからだ
・働くことで、個人はお金を稼ぐことができ、社会という視点で見れば経済が成長するからだ
・働くことで、自分の労働で生まれた生産物を他人に与えるで幸福を感じることができるからだ
・働くことによる成果の美は、人間にとっての喜びだからだ
・働くことで他人からの賞賛を得られるからだ
・働くことで、それぞれ異なる存在である人間同士が尊重されるからだ
・働くことで人間は人生に意味を作り出していくからだ
また、「そもそも働くことは食べるための糧を得るためにすぎず、苦痛なことであり、そこに意義を見出そうとすることは間違っている。だから、なるべく働かないほうがよく、余暇のほうが大事だ」という考え方もある。ポール・ラファルグが「労働は、一日最大限三時間に賢明に規制され制限される時はじめて、怠ける喜びの薬味となる」と言っているのが象徴的だ。
働くことで人間は人生に意味を作り出していく
では、僕はどの考え方が好きかというと、「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方。なぜなら、自分自身がニートだったとき、「働くことができない自分の人生は、本当に意味がないな」と思うようになってしまった体験があるからだ。
それまではどこかで自分は他の人より優れていて、選ばれた人間で、意味ある人生を与えられているのだ、という考えがあって、その鼻っ柱が根こそぎ折られた。でも、こう思うようになった。確かに僕の人生に意味はないかもしれないけど、これから意味を作っていけばいいじゃないか、と。
「人生に意味を問うてはいけない。人生が自分自身に意味を問うているのだ」とヴィクトール・フランクルは言った。つまり人生それ自体にもともと意味があるのではなく、人生を通して「僕の人生はこんな意味がある」というように意味を作り出していく、という考え方で、そんな考え方は僕にとっては救いだった。
「働くことは人間の人生に意味を与える」という考え方の優れた点は、その意味はそれぞれの人が自分なりに見出していくことができる点にある。A君は神の恩寵を得るためかもしれないし、Bさんは彼女に褒められるためかもしれないし、C君はお金を稼ぐためかもしれない。それぞれの考え方が尊重される。それがいい。「寝る間も惜しんで働くべきだ」とか、「いやなるべく働かないほうがいい」とか、どんな考え方にせよ、ある価値観を押し付けられるのは息苦しい。
僕が「キャリアの物語を紡ぐ」と言っているのは、言い換えれば、「働くことで人間は人生に意味をつくりだしていく」というアイデアの上に立って、一人ひとりが自分なりの意味を見出していくお手伝いをする、ということだ。ある決められた答えがなく、自分で答えを見出していく(しかも、一度出した答えが年月を経て変わることもある!)ことは、結構苦しいこと。だからこそ一人でその作業をするのではなく、お手伝いをする存在になりたいと思っている。なにより、十人十色の意味のある人生の、その物語に触れられることは、本当に楽しいことなのだ。
参考
「○○したら人生変わった」と言いたいボーイ
ねがわくば、もっと思いやりのある人間になりたい。
もっと一つの物事を突き詰められる人間になりたいし、凶悪な敵をまなざしだけで圧倒する、そんなたくましい人間になりたい。
そんなことを、20歳過ぎたくらいから思い続けてきてる。
思い続けて、海外を旅してみたり、名作と言われる映画を見たり、本を読んだり、相田みつをミュージアムで名言に触れてみたり。
が、結局どの人間にもなれずに28歳になってしまったよ。
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「世界一周をしようと、映画を100本観ようと、偉人の名言に触れようと、自分を変えられない人は変えられねんだなぁ。人間だもの」。なんてつぶやいてみたくもなる。そんな簡単に人が変われるなら、自己啓発本は今みたいに売れたりしないはずだもの。
でも、なかには何気ない出来事から啓示のようなものを得て、自分を変えらる人もいるらしいのだ。
嘘か本当か、村上春樹は、こう言っていた。
小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。(中略)そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。ヒルトンは素速く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。
(引用:『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫、49-50頁)
僕はといえば、2015年6月7日神宮球場で開催されたヤクルト対ロッテ戦の左翼席にいた。7回裏3対3・1アウト満塁の場面で、ミッチ・デニング(オーストラリアから来た僕と同い年の外野手だ)が放った右翼席中段への満塁ホームランを外野席から見ていて、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立った--。
なんてことはなかった。
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変わる人、変わらない人。その違いはなんなのだろう。
思うに、小さい頃は、すべての出来事が新鮮で、新しい気づきばかりだった。まるで真っ白いキャンパスの上に絵の具で描かれていくように、あらゆる経験が「自分の人生はこのようなものだ」という世界観を塗り替える色彩を持っていたのだ。
けれど、28歳になった今、もうそうはいかない。何か新しい経験をしても、これまでのさまざまな経験から得たものごとのとらえ方の枠のなかで見てしまうから、自分を変えるような新しい発見になりづらいんだな、たぶん。
絵のたとえでいえば、自分のキャンパスに描かれた「自分の人生はこのようなものだ」という世界観は、これまでのさまざまな経験によって塗り固められてしまって、上書きするのは簡単じゃないのだ。
それでも変わりたいと思ったら、塗り固められた世界観をリセットしなきゃいけない。そう、もう一度赤ちゃんとして生まれ変わって、本や映画や知らない土地やデニングのホームランと出会ってみたら、「自分の人生はこのようなものだ」という世界観は塗り替えられるかもしれない。
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じゃあ、どうしたら世界観をリセットできるのか。
まだ「これ!」といった方法は見つかっていないのだけれど、とりあえず、合言葉を持つことにした。自分がものごとを枠にはめてとらえてしまっているなと感じたら、「エポケー」と唱えてみるのだ。
「エポケー(epokhe)」とは、判断停止、判断保留といった意味で、ドイツ出身の哲学者エトムント・フッサールが、純粋な事象そのものへ至るために素朴な自然的態度を……とか難しいことはこの際あんまり大事じゃない。
要は「ものごとの判断を括弧に入れる」といった意味で、大事なのはなにか新しいものごとと出会った時、凝り固まった見方をしてしまっているなと感じたら「いっけね!エポケーエポケー」と唱えることで、まっさらな気持ちで向き合うことを意識できるようになることだ。
だから別に「エポケー」じゃなくてもいい。「アッチョンブリケ」でも「うんこ」でもいい。(いずれにせよ、声に出すのはオススメできないです)
しばらく、この「エポケー」を試してみようと思う。いきなりスンバラシイ人間に買われたりはしないまでも、毎日を新鮮な気持ちで過ごせるようになったらいいな。
季節の移り変わりをしっかり感じとれるとかね。
そういえばデニングはその後、四国アイランドリーグでプレーした後、2016年7月に退団した。今頃どこで何をしているんだろうか。
フリーランスになって、”人生に問われる”ようになった話
そもそも
我々が人生の意味を
問うてはいけません。我々は人生に
問われている立場であり我々が人生の答えを
出さなければならないのです。
僕たち人間は、人生から意味を問われているのだ--。オーストリアの精神医学者、ヴィクトール・E・フランクルはそう語りました。
フリーランスになって1ヶ月ほど。僕が最近感じているのは、「フリーランスは、問われる存在なのだ」ってことです。
「お前は何者なのだ」と。「お前の人生の意味はなんなのだ」「お前はまわりにどんな価値を与えることができるんだ」と、問われるんですね。人生から。
肩書きは、印籠のようなもの
たとえば、僕は大学院は東大に行っていたので、当時は「東大生なんですよね〜」といえば「え、ほんとですか!?」っていう反応があって、「いやいや、たいしたことないんですけどねぇ」とか言いながら、ちょっと鼻高々で、まんざらでもない気持ちでした。いやはや、みっともない話ですが。
だから「自分は何者なのか」なんて、考える必要なかったんですね。東大生っていう肩書きでもって、自分のアイデンティティがまもられていたんです。
そう、当時の僕にとって東大生という肩書きは、水戸黄門の印籠みたいなもの。その印籠を見せれば、周りは「あぁ、東大生の山中くんね」と納得してくれる。たとえ自分の中身が空っぽだったとしても、です。
フリーランスになって、人生に問われるようになった
が、フリーランスはそうはいかない。印籠のなくした黄門様を想像してください。「ひかえおろう!ひかえおろう!」って言われても、「なんでこんなニセモノかもわからん爺さんに頭を下げなきゃいかんのか、さっぱりわからん」ってなりますよね。
今の僕はそんな、印籠のない黄門様になった気分なんです。誰もが納得してくれるような”印籠的肩書き”は、僕にはもうない。自己紹介で「フリーランスで編集者をやってる山中です。」と言っても、「あぁ、そうなんですか…」で終わってしまう。
そんなふうに、寄りかかれる肩書きがなくなったとき、「自分って、何者なんだろう」「自分の人生って、どんな意味があるのだろう」って、考えるようになったんです。
フランクル的に言えば、「人生が自分に問いかけている」ということですね。
それに、フリーランスは選択の連続。もし会社員であれば、朝何時に出社して、どんな仕事をして、お給料はいくらで、何時まで働いて…など、ある程度会社側が決めてくれます。極端な話、自分は決めてもらえるのを待っていればいい。楽チンです。
それがフリーランスになると、それこそ今日何時から仕事を始めるのか、どこで仕事をするのか、この仕事でいくらいただくのか、誰と働くのか…あらゆる場面で選択が必要になります。そうすると、「自分は何者なのか」「人生の意味はなんなのか」を問わないことには選択ができないんですよね。シンプルな例で言えば、自分は「ワーク」を大事にする人間なのか、「ライフ」を大事にする人間なのかで、朝起きる時間から付き合う人から引き受ける仕事まで違ってくるはず。
だから、何度も何度も選択をするたびに、「自分は何者なのか」「人生の意味はなんなのか」と問われている気分なんです。
「自分の人生のハンドルを自分で握ってる」感
人生から問われることが嫌かといったら、まぁ確かに大変です。人生の意味なんて言ったら大したものに聞こえるけど、人生を貫く意味なんてそうそう見つかりっこないし。「今はこれかなー」みたいな、現時点での答えのようなものを見つけていく作業の繰り返しです。
それは確かに大変なのだけど、生きてる実感みたいなものは社員だった時よりあるかもしれない。なんというか、「自分の人生のハンドルを自分で握ってる」感、とでも言いましょうか。
逆にもし、なーんにも問われないまま、スーっと人生を滑るように生きていった先に待っている景色は、あんまり面白いものじゃないんじゃないかな。
問われて、考えて、問われて、考えて…その繰り返しの中で、100歳で息をひきとる瞬間に「そうか!俺の人生の意味ってこれだったんだ!」ってわかるのかもしれないし、やっぱわからないのかもしれない。
でもそんな人生もアリじゃないかな。パズルは完成したあとのものを眺めるより、完成に向けてあれやこれや試行錯誤するのが楽しいのであって。それと同じで、人生からの問いに答えようともがき続ける、その過程こそが、味わい深いんではないかなーと思うのです。
2017年7月の”キャリアの物語”
ブログの名前を変えました。
「働きかたを編集する」から「キャリアの物語をつむぐ」へ。
変えた理由は感覚的なものなんですけれど、「働きかたを編集する」っていうと、ちょっと冷たい感じがするなーと思っていて。「キャリアの物語をつむぐ」のほうが、なんかウキウキするよな。よし、変えちゃお!ってノリでした。
そう、僕は「キャリアって物語だよな」って思いがあるんです。
以前も、こんなことを書いています。
自分という主人公が、いろんな人と出会い、困難に直面して挫折しながらも、乗り越えて成長していく…。キャリアって、”物語”に他ならないですよね。そして、脚本を描くのも、主役を演じるのも自分。そういう意味では、だれもが人生という物語の主演・脚本を担っているんです。
”働きかた編集者”は、まさにそんな「キャリアという物語」をつむぐ存在。いや、正確にいうと、インタビューであったり、カウンセリングであったり、イベントだったり、いろいろな方法を使って、一人ひとりが「キャリアという物語」をつむぐのをお手伝いする存在だと思っています。
そんなわけで、「キャリアの物語をつむぐ」にしたというわけ。
前置きが長くなりましたが、これから定期的に、これまでつむいだ「キャリアの物語」をいくつか紹介してみようと思っています。主に書いた記事の紹介なんですけど、記事だけでは伝えられないこともあって、それをつらつら書いておきたいっていう気持ちもあります。
”働く×幸せ”を考える
<企画・取材・撮影・執筆を担当>
仕事旅行社さんのメディア『シゴトゴト』で、連載を担当させていただいています。その名も、「仕事は人びとを幸福にするか」。
(えらい大上段に構えた連載名ですね(笑)。ちなみに経済学者宇沢弘文さんの書籍の『経済学は人びとを幸福にできるか』ってタイトルをもとにしています。)
今、働き方に関する議論が盛んになっています。でも、僕はちょっと違和感を感じていて。「長時間労働の是正とか、生産性の向上とかはわかるけど、それで僕らは幸せになれるの?」って疑問があるんです。
もしかしたら、そんな疑問を持っている方は少なくないんじゃないか。であれば、”働く×幸せ”をテーマで記事をつくる意義はあるはずだ。
って思いで始めたのがこの企画。
記念すべき初回は法政大学の児美川教授を取材しました。このブログでも紹介しましたが、昨今の「夢をあおる社会」に警鐘を鳴らしている方。「夢は怪物くんである」という言葉に、すごく共感しました。ぜひご一読ください。
文化として、仕事をとらえてみる
<企画・取材・撮影・執筆を担当>
こちらも同じく、『シゴトゴト』での連載。
そもそも、僕が『シゴトゴト』に関わり始めたきっかけとなったのは、編集長である河尻亨一さんの「仕事を文化として見てみよう」という言葉でした。
仕事の記事というと、堅苦しいインタビューが多いじゃないですか。どうやって給料上げるかとか、仕事を効率化するかとか。もうちょっと「仕事」というものをそういった堅苦しさから解きほぐして行きたい、という思いを持っていたので、「仕事を文化として見てみよう」はすごくピンとくるものがあったんです。
そこで、文化といえばファッションだろうと。ファッションを通して仕事を見てみることはできないかな、ということで、「シゴト着、シゴト気。」という企画を始めました。
初回に登場いただいたのは、マツリテーターの大原学さん。シゴト着がなんと「祭りの衣装」という、この企画にぴったりの方です。「手ぬぐいを"締める”ことの意味」だとか、シゴト着を通して仕事の知られざる一端に触れられたような気がして、個人的にもすごく面白い取材でした。
ローカルにも、稼げて面白い仕事はある
ローカル系の記事もよく作っているので、「どうしてローカルに興味を持ったんですか?」と聞かれることがあるのですが、正直なところローカルに興味があったわけではないんですよね。僕の中で、個人の働きかたの選択肢を増やしたいという思いがあるんですが、その選択肢の一つとしてローカルもあるよね、というノリなのです。
ローカルに興味があるかたは多いものの、実際に移住したり、ローカルと関わるキャリアを歩む方はまだまだ少数派。その要因としては、「稼げない」「面白い仕事がない」ということが挙げられます。
でも、ちゃんとローカルにも、稼げて、面白い仕事はあるんです。
その1例が、石川県七尾市で募集中のローカルベンチャーアテンダントという仕事。月80万円で、地域のローカルベンチャーの経営支援をする役割を担います。地域に入り込んでローカルベンチャーと一緒に泣き笑いしながら地域を盛り上げていける仕事は、面白いと感じる方も少なくないはずです。
こうした、ローカルでの面白い仕事はなかなか情報が上がってこないので、引き続きお伝えしていきたいと思っています。
これからやること
2017年7月に担当したお仕事の一部をご紹介しました。なんかライティングばかりやっているみたいですが(まぁ確かにこの月は実際そうだったのですが)、働きかた編集長の仕事はライティングだけじゃありません。
当然編集の仕事もしていますし、今後はキャリアカウンセリング、イベントの企画・運営・ファシリテーション、プロジェクトマネジメントと、様々な取り組みをしていきたいと思っています。
実際にいくつかのプロジェクトが動き出しているので、近いうちに面白い発表ができるはず。だんだん何屋さんだかわからなくなってくると思いますが、せっかくフリーランスになったので、まったりしっぽりと幅を広げていく所存です。
8月もがんばるぞー!
Ciftが体現する、”多様な人がオープンにつながりあうまち、渋谷”
今日たまたま、SHIBUYA CAST.13階のコレクティブハウス「Cift」におじゃまする機会があったのですが、「ここは、マジですげぇぞ…」って衝撃を受けちゃいました。
Ciftとは
Ciftは、SHIBUYA CAST.13階のコレクティブハウス「Cift」を拠点に、「良心を軸にした“とも”にある生き方」を志向し、実践し、発信する生活共同体。
コレクティブハウス「Cift」では、全世界で100箇所の多拠点生活をしながら100職種の肩書で活躍する、40人のメンバーが生活をしています。(といっても、他拠点生活をしている方々なので、みなさんCiftにはいたりいなかったりだそう。)
メンバーの顔ぶれは、弁護士、国際NGO、コンサルタント、デザイナー、映画監督、ソーシャルヒッピー(?)など、いろんな領域の第一線で活躍する方々です。
自律しつつも協働する場
ちょっと前に、「全国の地域活性化のキモは渋谷なんじゃないか」と書きました。
人脈や知識、アイデア、経験を付与する機能は、多種多様な人がオープンにつながりあっている渋谷だからこそ担える機能なんじゃないか。そういう意味で、冒頭の「全国の地域の活性化のキモは渋谷なんじゃないか」になるわけです。
Ciftで僕が感じた「マジですげぇぞ…」感は、まさにそんな”多種多様な人がオープンにつながりあう”場であることを、肌で感じたから。
共用のコモンスペースでは英語と日本語が飛び交い、雑談をしている人、その横には海外とスカイプでつないでのミーティングをしている人、地域と関わるプロジェクトに関する打ち合わせをしている人(僕らですが笑)もいる。さまざまなバックグラウンドを持ったメンバーが、「良心を軸にした“とも”にある生き方」という共通項のもと、自律しつつも協働しているようでした。
▲海外とつないで勉強会?が始まりました。それぞれの領域で活躍するメンバーがいるので、常に最前線の情報がキャッチアップできるコミュニティになっているのだと思います。
さらに、ここに住むメンバーがオープンマインドで、知り合いやビジネスパートナー、お母さんを招いて、他のメンバーにつなげる。どんどんつながりの輪が広がっていって、「ここにいたらなにかが起こるわ…!」って、本気で思える場なのです。
ごちゃごちゃからイノベーションが生まれる
もはや現代では、「地方」対「東京」、「グローバル」対「ローカル」といった、二項対立の図式はくずれつつあるような気がします。地方が東京に、ローカルがグローバルに影響を与える。その逆もしかり。異なる国のローカルどうしがつながることだってあるはず。
宇宙ができるまえの混沌とした状態みたいに、いろいろな境界がなくなって、価値観が混ざり合っていく。そしてそんなごちゃごちゃのなかからこそ、ビッグバンのように、新しいイノベーションが起きるのだろうと思います。
Ciftはまさに、そんなイノベーションの予感をはらんだコミュニティ。渋谷が、これからますます面白くなっていきそうです。
しあわせは、いつも4つの心が決める?-『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』前野隆司-
「しあわせは、いつも自分の心が決める」
と、相田みつをさんの詩にあります。いい言葉ですねぇ。ほんとうにそうだと思います。
でも人間ってのは(というか僕という人間は)欲張りで、「じゃあ、どんな心だったら幸せなのさ」ということが気になってくる。そんなときに出会ったのが、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授である前野隆司の『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』です。
幸せの4つの因子
前野さんによると、幸せには2種類あります。
ひとつが、人と比較することで得られる「地位財」で満たされるもの。物欲、金銭欲、名誉欲などですね。現在の世の中では、この地位財が幸せの要因だと思われがち。でも実は、地位財で得られる幸福は長続きしないのだそうです。
確かに言われてみれば、ちょっと年収が上がっていい部屋に住み始めて、最初はウキウキしていたのに何ヶ月かするうちにすっかり慣れてしまった……みたいな経験、あるあるですよね。「地位財」によって幸せになろうとする限り、限りなく年収をあげたり、ステータスをあげたりしなくてはいけないのです。そんな人生がダメだとは言わないけれど、僕は疲れちゃうなぁ。
もうひとつの幸せが、「非地位財」で満たされるもの。こちらは人との比較ではなく、自分の心にもとづいています。こちらの幸せは、客観的に計りづらいためなかなか注目されないのですが、地位財による幸せに比べて長続きするという特徴があります。それに、人との比較ではないので自分でコントロールできるのです。
人生を通して幸福でいたいのであれば、年収やステータスだけじゃなくて、この「非地位財」による幸福も大切にしましょうよ、というのが前野さんの提案です。
では、どういう心が幸せにつながるのか。もともと脳科学・ロボット研究というバックグラウンドを持つ前野さんは、因子分析という手法で、幸せには4つの因子があることを導き出しました。それが次のようなもの。
- 「やってみよう!因子」(自己実現と成長の因子)
それぞれがそれぞれらしい自己実現の方法を見つけて、強みを発揮し、成長すること
- 「ありがとう!因子」(つながりと感謝の因子)
ひとを喜ばせたいと思ったり、感謝をしたりすること
- 「なんとかなる!因子」(前向きと楽観の因子)
ものごとをうまくいくと捉えたり、気持ちの切り替えができること
- 「あなたらしく!因子」(独立とマイペースの因子)
他人に左右されなかったり、揺るぎない信念があること
皆さんはこれらの因子を持っていそうですか? この4つの因子は、全部満たしている方が幸せで、ひとつかけていると幸せが下がり、全部かけていると一番幸せじゃないそうです。4つの因子の詳しい説明はここでは書ききれないので、ぜひぜひ本を読んでみてください。
わかっちゃいるけど、人間だもの、にしないために
幸福学なんて聞くと、どこかうさんくさいイメージを持ってしまう方もいそうですが、幸福を客観的に研究した点にこの本のすごくおもしろいところ。また4つの因子以外にも、前半では現在の幸福学研究の概説みたいな部分もあるので、幸福学に関心がある方にとってもいい入門書になるはずです。
著者の前野さん曰く、実践に活かせる幸福学を目指して研究に取り組んできたとのこと。そう、いくら理論ができあがっても、実践されなければ絵に描いたモチになってしまうんですよね。みつをさんじゃないけれど、「人間だもの」にしないためには、この4つの因子を満たすためにどんな行動ができるか、って所まで考えることが必要で、そこらへんを引き続き考えていこうと思います。