【イベントレポ】日本的雇用の特殊さを理解するための「membership contract -job contract」という構図 -GHC sumitt #002-
「GHC sumitt #002」というイベントに参加してきました。「GHC sumitt #002」は、世界各国の人と日本人のプロフェッショナルが、一緒に日本でのあたらしいはたらきかたを考えるインタラクティブなセッション。今回は”日本の雇用”について、議論がおこなわれました。
とくに印象に残ったのは、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の組織人事戦略コンサルタントである名藤大樹さんの「membership contract -job contract」という話。備忘録的に、ちょっとまとめてみます。
membership contract とjob contract
これらふたつは、それぞれどのようなことなのか。その違いをざっくりまとめると、次のようなものになります。(ほんとにざっくりです)
membership contract
所属の契約。日本で特殊な発展を遂げた、「総合職」という雇用のしかたがこれにあたる。企業と所属の契約を結ぶので、勤務地や給与や業務など企業側の都合に左右されがち。だがそのぶん、大きな仕事ができてスキルアップが期待できたり、社内での出世ができたり、福利厚生や生活の保障はしっかりしている。(これに対しては、「いまはもう総合職だからといって保障がしっかりしているわけではない」との意見も)日本の雇用形態のヒエラルキーでトップに君臨する。
job contract
業務の契約。日本の雇用形態のヒエラルキーでは、おうおうにしてmembership contractよりも下に位置する。企業と所属の契約は結ばないので、勤務地や給与や業務など企業側の都合に左右されないでいられる。反面、生活の保障がmembership contractほどじゅうぶんになされないことが多い。
名藤さんによれば、海外ではjob contractが一般であるものの、日本では反対にmembership contractが一般的であり、membership contractを会社と結んだ個人が雇用のヒエラルキーの上部にいると指摘しました。
日本的雇用は変わりつつある?
会場に来ていた外国人参加者からは、membership contractがわりと一般的で、極端な話会社に奉公することが美徳ともされていたような日本の雇用のしくみに、驚きと戸惑いの声が聞かれました。
とはいえ、多くの日本人参加者が指摘したように、membership contractとjob contractの待遇格差など、垣根をとっぱらおうという動きが進み始めているのも事実。いまも政府は、同一労働同一賃金の実現に向けて取り組んでいます。
ぼくも、長期雇用を前提としたmembership contractは、そもそも長期雇用を会社が保障できなくなってきたいま、難しくなりつつあるんじゃないかと感じています。たしかに社会に根付いた慣習が変わるのは難しい。ですが、すこしずつ、確実に変わっていってるんじゃないかな、しかも柔軟性のないこのしくみを変えていかなくてはならないな、と思う次第です。
【読書録】現代日本を理解するための3つの時代区分-『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介-
以前のエントリでは、見田宗介さんの『現代社会の理論』から、現代社会を情報化・消費化社会として見る視点をまとめました。
『現代社会の理論』の続編とも位置づけられるのが、今回紹介する『社会学入門』。”わたしたちが生きる現代社会とはどんな社会か”を考える上でのヒントがたくさん詰まった一冊なので、何回かに分けてぼくがポイントだと思った部分をまとめます。
今回は、「 3章 夢の時代と虚構の時代」について。戦後から現代までの日本社会が、どのように変わってきたのかを、高度経済成長期を軸に3つの区分を用いて説明している部分です。
それでは、その3つの区分について順番にみていきましょう。
<理想の時代>プレ高度成長期 1945-1960
終戦から1960年までは、人々が理想を求めて生きた時代だと見田さんは述べています。具体的には、アメリカのような物質的豊富さを求めた時代です。当時の日本には、第二次大戦ではアメリカの圧倒的物量の前に破れた、という意識があったことが、根底にありました。
政治思想の点では、当時の日本には2つの理想が支配していました。
(1)アメリカンデモクラシーへの理想
です。
こうした2つの理想主義的党派は現実主義的な権力に1960年の安保闘争で破れることになります。ここまでが、理想の時代。
<夢の時代>高度経済成長期 1960-1973ごろ
そして訪れたのが、見田さんが現代日本社会が形作られたと指摘している高度成長期。
日米安全保障条約改定を目指した岸内閣の後を引き継いだ池田内閣(1960-1964)による「日本社会改造計画」によって、その方向性が決定づけられます。
「日本社会改造計画」には2本の柱がありました。「農業基本法」と「全国総合開発計画」です。前者で小農民の切り捨てにより伝統的な農村共同体が解体され、後者で全国土的な産業都市化が進められました。そうすることで、高度経済成長にとって必要な資本・労働・力場が形成されました。
農村共同体が解体されたことで、それまでの拡大家族(親と、結婚した子供の家族などが同居する家族形態)から、核家族へと、家族の形も変わります。
このような劇的な変化のただなかにあった日本社会を覆っていたのは、”幸福感”でした。見田さんは次の6つが、その幸福感の背景にあったと指摘します。
・衣食住という基本的な欲求が満たされたこと
・ベビーブーマーが思春期という感受性豊かな年代にいたこと
・古い共同体から近代核家族という新しい自由な愛の共同体が生まれたこと
・この局面の経済成長が階層の平準化に向かう方向で機能したこと
・大衆の幸福と経済繁栄が好循環する「消費資本主義」が日本でも成立したこと
・戦中から戦後という貧しさと悲惨の時代の憶が新しかったこと
しかしこうした幸福な時代も長くは続きません。1974年のオイルショックをきっかけに、1974年に戦後始めて日本はマイナス成長を記録します。
<虚構の時代>ポスト高度成長期 1970年代後半-現在
高度経済成長期のあとに訪れ、現在まで続いているというのが<虚構の時代>。
経済的には1970年代中葉をとおして、高度成長から安定軌道への軌道修正が追求されます。夢の時代の終焉と呼応して、「終末論」と「やさしさ」という1974年の流行語が、その後20に渡って時代の完成の基調を表現する言葉となります。
さらにこの時代の日本人には、ある感受性の変化があらわれます。見田さんが挙げるのは次のようなことがらです。
・関係の最も基底の部分(家族のコミュニケーション)が、演技(虚構)として感覚される(家族のだんらんは、”わざわざしなくてはならない”もの)
・「映像や写真に写されたものこそが真」という認識論=存在論(電線にとまるスズメをみて「スズメが映っている」と言う幼稚園児の感覚)
・土のにおいや汗のにおいといった、リアルなもの、自然なものの脱臭に向かう、排除の感受性(カワイくないもの、ダサいものを排除する遊園地的空間としての渋谷)
・人間の内的な自然(肉体のリズムなど)の解体と限界という界面に展開しつづける、戦闘の形態(24時間戦うことを強迫されるビジネスパーソンの、薬剤と心身症)
つまり、家族のコミュニケーション、写真の向こう側にある現実のモノ、肉体のリズム、土のにおいや汗のにおい……といったリアルなもの、自然なものが、虚構にとってかわられていく。そんな時代が、1970年代後半から現在まで続いていると見田さんは述べます。
※ちなみに、ふと思い出したのですが、『暮らしの手帖』をつくった花森安治さんは、みずからの戦争の期経験から「暮らしという身近なところへの視点を欠いてしまうから、戦争が起こってしまう」(うろ覚えです)といった考えから『暮らしの手帖』をつくったと、どこかで読んだ記憶があります。戦後すぐに、自然やリアリティのたいせつさに気付いていたその視点のするどさに驚かされます。
リアリティへの揺りもどしが来ている?
「虚構の空間と虚構の時代は、どこまでつづくか?」
これが見田さんがこの章の最後に投げかけた問いです。ぼくは3.11を大きなきっかけとして、虚構性からリアリティとか自然への揺り戻しがきているのではないかな、という肌感覚があります。
たとえば書店に並ぶ雑誌の見出しを見ても、エコやロハス、田舎暮らしやIUターン、など、リアリティへの揺りもどしを想像させるような言葉がならんでいます。
いっぽうで、「カワイイ」という見出しのファッション紙や「効率化」という見出しのビジネス紙、「モテるインスタグラムのコツ」などの、見田さんが述べるところの虚構性を象徴するような雑誌も並んでいて。
書店でのこの”リアルと虚構”のせめぎ合いは、ちょうどいまの日本社会が”リアルと虚構”のあいだでゆれている、ひとつの過渡期であるということの現れてあるようにも思います。
ただ、”リアル”とか”自然”という方向性に向かう時に、高度成長期に解体された農村共同体や拡大家族はほとんど残っていない。だから、それらの変わりとなる地域でのコミュニティや、疑似家族(シェアハウスなど)があちこちで生まれているのでは。
さて、わたしたちが迎えるこれからの社会は、いったいどのようなものになっていくのか。また、どのようなものにしていくべきなのか。それを考える上で、この本はとても参考になるので、興味があればぜひ読んでみてください。
そもそもソーシャルビジネスとは? 簡単にまとめてみた
「ソーシャルビジネス」ということばを目にしたり、耳にしたりすることは珍しくなくなりました。
でも、なにげなく使うからこそ、「そういえば、このことばの意味ってなんだっけ?」というふうに、その本来の意味を忘れてしまう(あるいはもともと知らない)こともあるのが世の常、人の常。
なので、備忘録的に、あらためて「ソーシャルビジネス」とはなにかについてまとめてみます。
ソーシャルビジネスとは
ソーシャルビジネスとはなにか、ということについては、さまざまな組織がさまざまなことを言っています。そのなかでも、かなり頻繁に参照されるのが、早稲田大学の谷本寛治教授が提示した、3つの要件です。
(1)社会性
社会的課題に取り組むことを事業活動のミッションとすること。
(2)事業性
社会性をビジネスの形に表し、継続的に事業活動を進めていくこと。
(3)革新性
新しい社会的商品・サービスや、それを提供するための仕組みを開発したり、活用したりすること。また、その活動が社会に広がることを通して、新しい社会的価値を創出すること。(参考:谷本寛治『ソーシャル・エンタープライズ:社会的企業の台頭』中央経済社、2006 年)
また谷本氏は、ソーシャルビジネスと一般企業によるビジネスの違いを、対応する領域の差にもとめます。
・政府・行政の対応を超える領域
・市場の対応を超える領域
以上のこともとにぼくなりにソーシャルビジネスの定義をまとめると、
「政府・行政、そして市場では対応できない社会課題にたいし、事業性を持って取り組み、革新的な商品・サービス・仕組みを生み出すこと」
ということになります。
事例については次のようなページにたくさん(ちょっと古い事例もありますが)まとめられていますので、気になる方は要チェック。
ソーシャルビジネスが生まれた背景
それではなぜ、このようなビジネスが生まれてきたのでしょうか。
背景にあるのは、「新自由主義」という考え方。
「新自由主義」とは、経済への政府の介入を減らし、規制緩和等を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せることです。
1980年代以降、アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が、新自由主義に基づき社会保障費を大幅に削減。公的な助成金・補助金を失ったNPOが、事業の核となる取り組みから収益を得ることができる事業モデルを模索したことが、ソーシャルビジネスがひろまったきっかけとされています。
日本でも、1980年代末期から続いたバブル景気が1990年代初頭に崩壊し、また少子高齢化が進むなかで財政が緊縮されるようになり、公共サービスを市民自身やNPOが主体となり提供する「新しい公共」が注目されるようになりました。
三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社が行った調査によると、2014年(平成 26 年)時点の日本では、社会的企業の数は調査の母集団となった企業 174.6 万社のうち20.5 万社(11.8%)、社会的企業の付加価値額は 16.0 兆円(対 GDP 比 3.3%)、有給職員数は 577.6 万人。社会的企業の社会的事業による収益は 10.4 兆円。
さらに同じ調査では、「日本の社会的企業の経済規模は、企業数や GDP といった点から英国よりもやや小さいものの、雇用に対する影響力では英国よりも大きい と考えられる。」と分析されています。
(参考:「我が国における社会的企業の活動規模に関する調査」三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社)
ソーシャルビジネスの課題
ソーシャルビジネスが注目され始めて、日本では20年以上が経っています。そのなかで多くの成功事例が生まれながらも、日本でのソーシャルビジネスはいまだ多くの課題をはらんでいます。
ちょっと、というかかなり古いですが、ソーシャルビジネス研究会が2008年に、ソーシャルビジネスを実践する組織に対して行った調査では、回答から次のような課題が浮かび上がりました。
事業を展開する上での課題としては、「認知度向上」(45.7%)、「資金調達」
(41%)、「人材育成」(36.2%)の 3 つが大きな課題となっているということ。
また 、ソーシャルビジネスの普及・発展させていく上での課題については、「公的機関との連携・協働の推進」(42.5%)、「担い手不足」(42.3%)、「認知度が低い」(41.9%)、「資金提供の仕組みの充実」(37.2%)等の課題が大きいということ。
(参考:「ソーシャルビジネス研究会 報告書」経済産業省※PDF資料)
これらの課題をうけて、報告書では次のような対策を提示しています。
(1)社会的認知度の向上
(2)資金調達の円滑化
(3)ソーシャルビジネス等を担う人材の育成
(4)事業展開の支援
(5)ソーシャルビジネスの事業基盤強化
詳しくは「ソーシャルビジネス研究会 報告書」を読んでもらいたいのですが、これらの課題と対策は現在でもソーシャルビジネスの分野で求められていることなのではないでしょうか。
まとめ
以上、ソーシャルビジネスの概要について簡単にまとめてみました。
「課題先進国」と呼ばれる日本で、わたしたちの身の回りのさまざまな課題を解決していくときに、政府や行政の力には限界があります。社会課題の解決を行政に任せっきりにするのではなく、民間の力、つまりソーシャルビジネスによるイノベーションを起こすことが、今後不可欠になってきます。
それは見方を変えれば、わたしたち自身が、わたしたち自身の問題を解決するチャンスを得られるということ。これって、わくわくしませんか? 個人的には、ソーシャルビジネスに関わりながらはたらくという選択肢がもっと一般的になったら楽しいし、そうなっていくんじゃないかな、と思っています。
【読書録】キャリアの相談をされたら、どう向き合えばいいか-『私の個人主義』夏目漱石-
先日、作家・堺屋太一さんの記事が話題になりました。
堺屋太一さんは次のように述べています。
「現在の日本社会の最大の危機は、社会の循環を促す社会構造と若者層の人生想像力の欠如、つまり『やる気なし』である。『欲ない、夢ない、やる気ない』の『3Yない社会』こそ、現代日本の最大の危機である。」
いわゆる「”最近の若者は”論」の典型のようなこの主張。個人の生き方やキャリアを一つの価値観にあてはめて批評する考え方に、twitterやはてブでは違和感を表明するコメントが多く見受けられました。
ぼくは他人のキャリアに関わる人間として、堺屋さんを反面教師にして学べることがありそうだな、と思いました。今回は「他人のキャリアとどう向き合うか」について、夏目漱石の講演をまとめた『私の個人主義』のうち、タイトルとなっている「私の個人主義」の章を補助線にして考えてみます。
夏目漱石のキャリア形成
「私の個人主義」の章では、漱石が抱えていたキャリアに関する悩みが明らかにされます。東京大学を卒業してから教師として松山に赴任し、その後英国に留学たのち30歳過ぎまで、自分がどんなキャリアを歩むべきか、悩み続けていたというのです。
「この世に生まれた以上はなにかしなければならん、といってなにをして好いか少しも見当が付かない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。」(132頁)
あの漱石でも、こんなふうに悩んでいたんですね。
英国留学中のあるときはあることに思い至ります。漱石は、それまでの自分は「他人本位」、つまり人真似をしようとしていたと。
具体的には、漱石は英文学を学んでいたのですが、英国の批評家のことばを鵜呑みにして、自分もその批評家のように語ろうとしていたのだそうです。しかしどうしても、英国人のようには英文学と付き合えない。そこには言葉の壁や、価値観の壁が横たわります。そのため、漱石はずっともんもんとした日々を過ごしていたようです。
あるとき漱石は、「他人本位」ではなく、「自己本位」になろうと決めました。
「自己が主であり、他は賓である」(137頁)
そんな考え方に思い至ったのです。それから漱石は、他の誰かのように文学を語ったり、文章を書いたりするのではなく、”自分で文学の概念を根本的に作り上げる”ことを始めます。それ以来、生き方の指針ができ、自信を持てるようになり、不安が消えたといいます。
「今まで霧の中に閉じ込められたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んでいくべき道を教えられた」(136頁)
そんなふうに当時を振り返っています。
だれかのようになろうとするのではなく、自ら道を自ら作っていった漱石。自らのそうした経験から、漱石は「悩んでいる人間は、どんな犠牲を払っても進むべき道を見つけるべき」と語ります。
ここだけ切り取ると、なんだか堺屋さんと同じように「欲出せ、夢持て、やる気出せ!」と言っているようにも思えますね。
夏目漱石の考える「個人主義」とは?
しかし、ここからが「私の個人主義」のキモ。漱石は、個人主義は自分のわがままに人を巻き込むことではないと言っています。
私のここに述べる個人主義というものは……他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。(150頁)
つまり、ひとりひとりが自由に個性を伸ばしていく、とくに仕事という点においてはその人の個性を発揮できる仕事に就くことがその人の幸せにとって大事……なのだけれど、だからこそ、 他の人の個性を発揮する自由も尊重しなきゃいけない。
言葉を換えれば、漱石は「自由には義務が伴う」ということを言っています。文脈に沿えば、「他人の自由を尊重する義務」です。そんなことを、漱石は大切だと考えていたようです。
答えを示すのではなく、選択肢を示す
ここであらためて、冒頭にあげた「他人のキャリアとどう向き合うか」という問いに立ち返ってみます。
堺屋さんのように、ひとりひとりのキャリアをある価値観に当てはめて、「こうするべきだ!」と答えを示すのは、漱石の個人主義の考え方からするとよろしくない。なぜなら、相手の自由を尊重していないからです。
たしかに、「こうするべきだ!」という人にはその人なりの経験と、それに基づく哲学があるのでしょう。ぼくも、自分が経験ことに関してだれかに相談された時、「こうするべきだ!」といってしまうことがあります。
でも、そうすることで、相手の自由を損ねてしまっていないかということは、注意していたいな、と思うのです。現代のように、キャリアに関して価値観が多様化していればなおさら、です。自分はその方法を通して成功したかもしれない。でも立場も違えば環境も人間関係も持っているお金も異なるなかで、同じ方法によって相手も成功する保証はないのですから。
自分の価値観を押し付けるのではなく、選択肢を提示する。選択肢のひとつとして、「ぼくの場合こうしてきたよ」と自分の経験を提示する。そうすることが、相手の自由を尊重し、本当に相手にために自分がやることができることなのかもしれない。堺屋さんの記事と、『私の個人主義』を通して、ぼくがちょっと考えたことでした。
【読書録】”ソーシャルワークシフト"というコンセプト-『希望をつくる仕事 ソーシャルデザイン』宣伝会議-
「ソーシャルデザインに関するいい本を教えて欲しい」。そんなふうにfacebookで投稿したら、『希望をつくる仕事 ソーシャルデザイン』をすすめられ、読んでみると思っていた以上に参考になったので、なるほどー!と思った箇所をまとめます。
この本で特に印象に残ったのは、以下の点です。
・ソーシャルデザインがいま求められている理由
・ソーシャルワークシフトとは
具体的にみていきましょう。
なぜソーシャルデザインがいま求められているのか
この本では、ソーシャルデザインを次のように定義しています。
自分の「気付き」や「疑問」を「社会をよくすること」に結びつけ、そのアイデアや仕組みをデザインすること。(2頁)
このソーシャルデザインが、いま求められているんだとか。それは、日本が課題先進国と呼ばれるほど、主に少子高齢化によってさまざまな問題が噴出していることに加え、次の3つがソーシャルデザインにとって追い風になっているといいます。
- 消費スタイルの変化
具体的には、”ソーシャル消費”、"エシカル消費2のひろがってきたこと。
- 一般市民の影響力の増大
具体的には、SNS、webが発達したことで、行政やNPONGO、企業やメディア、個人や団体がつながりあう”フラット化した社会”になり、一人の声がムーブメントを起こす可能性を持つようになったこと。
- 企業姿勢の変化
具体的には、CSR、CSVのとりくみのひろがりが一般化したこと。
これら3つの追い風が吹いているいま、社会課題を解決しようとするソーシャルデザインに関わりやすくなっているのだといいます。
”ソーシャルワークシフト”とは
そんななかで、働き方も多様になってきています。ソーシャルに働くといっても、以下のような働き方が存在すると筆者は述べます。
・ボランティアやプロボノとして活動する
・行政やNPONGOに就職する
・いまの仕事で社会課題を意識して働く
・企業の社会貢献に関わる部門ではたらく
”ソーシャルワークシフト”を実現するために必要な2つのこと
ソーシャルデザインに追い風がふくなかで、働き方もソーシャル側にシフトしていくべきだし、事実そうなっていっているように思います。しかし、アメリカでは新卒者の人気企業の上位にNPOがランクインしているように、日本でソーシャルな働き方が一般的になっているかといえば、そんなことはありません。
ソーシャルな働き方が一般的になる”ソーシャルワークシフト”を実現するには、以下のことが大切なんじゃないかな、と僕は思っています。
- ソーシャルな働き方を選択肢の一つとして認知してもらうことと
- ソーシャルは働き方でもちゃんとご飯を食べることができて、会社員と遜色ない暮らしができるような仕組みを作ること
この2つがすすめば、日本でもソーシャルワークシフトが進むのではないでしょうか。
【読書録】ぼくたちが生きる”現代”はどんな社会なんだろう?-「現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書) 」見田宗介-
「ぼくたちが生きる”現代”はどんな社会なんだろう?」
これが大学院で社会学を学んできたぼくの、根っこにあった問いです。その問いにたいして、いちばん「そういうことか!」と納得できるこたえを提示してくれたのが、社会学・見田宗介さんの『現代社会の理論』でした。
経済学者の内田義彦さんは、晩年の著作である『読書と社会科学 』(岩波新書)で、人文社会科学には、社会を見つめるための「概念装置」が必要だと説いています。つまり、自然科学では電子顕微鏡などの「物的装置」を使うように、社会をみつめるときにも「概念」という装置、たとえるなら虫眼鏡を使ったほうが、ものごとを分析しやすいよ、ということですね。その意味で、ぼくにとってすごくクリアな虫眼鏡を提供してくれたのが、社会学・見田宗介さんの『現代社会の理論』だったんです。
前置きが長くなりましたが、『現代社会の理論』が示した現代社会のありかたついて、簡単にまとめてみます。
現代社会は市場を自分で創り出す
見田さんは、現代社会を「消費化・情報化社会」と呼びます。「消費化・情報化社会」は、市場を自己創出する資本主義が主流になった社会です。
第二次大戦ごろまでの資本主義は、基本的矛盾を抱えていました。それは、供給の無限拡大と、需要の有限性に起因するものです。すごく単純に言えば、小麦はどんどん作れるけど、人の胃袋には限界があって、どこかで経済成長は止まる、ということ。行き着く先が、1929年の大恐慌であったり、軍需によってむりやり需要をつくりだす戦争でした。
これではいけない。そこでアメリカがとった戦略が、(1)ケインズ主義による「管理化」と(2)モードの論理による「消費化」により需要を作り出す、ということでした。(1)に関しては置いておいて、(2)が画期的。ひとびとの必要にかかわらず、広告によって新しい需要をつくりだすのです。たとえば、マイシーズンモデルチェンジを繰り返すブランドものの服などです。
こうして、「情報」を操作することによって需要を無限に創り出すことが可能になりました。需要の限界にもとづいていた資本主義の基本的矛盾はここで解決され、消費が自己生成をつづける、見田宗介さんが言うところの「欲望のデカルト空間」を持った、「消費化・情報化社会」が生まれるのです。
見田さんは「消費化・情報化社会」を否定しません。自己を相手の再生産サイクルの不可欠の一環とするという意味で、消費者と社会を「昆虫と顕花植物」にたとえ、「それぞれの幸福は、相手の幸福でもある」と指摘します。
昆虫は甘い蜜に誘われて顕花植物から顕花植物へ飛び回る。そんな昆虫の欲望にもとづいて、顕花植物は花粉をはこび、繁茂していく。おなじように、消費者が欲望のままに買い物を楽しむことによって、社会が成長していく。自分の欲望によって社会が成長していくからといって、毛皮のブラウスを買ったり、肉汁したたるステーキを買って食べることが幸せであることに変わりはありません。
こうして、ひとびとの欲望を無限に作り出していくところに、消費化・情報化社会の相対的な卓越性と魅力があると見田さんは指摘しています。
消費化・情報化社会の「外部問題」
ただ、消費化・情報化社会には深刻な問題があります。それは、自然との臨海面と、外部社会との臨海面にそれぞれ生じます。
自然との臨海面
消費化・情報化社会がよってたつのは、以下のような構図を前提にした世界です。
[大量生産→大量消費]
この構図であれば、生産と消費は無限に拡大していきます。しかし、実際にあるのは次のような構図です。
<大量採取→[大量生産→大量消費]→大量廃棄>
無限に需要を自己創出する消費化・情報化社会も、生産と消費のポイントで自然に依存し、その範囲に限定されるのです。その限界を考慮に入れず、犯してしまったとき、水俣病や、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で指摘したような環境破壊が起こります。
外部社会との臨海面
また環境だけでなく、南北問題に代表されるような貧困の問題も生じます。この構図を見田さんは「二重の剥奪」として説明します。
まず第一の剥奪として、GNP(国民総生産)を必要とするシステムに組み込まれること。言い換えれば、貨幣を持つことが生きるために不可欠な社会に組み込まれることです。次に第二の剥奪として、GNPが低いこと。つまり単純に「GNPが低い=貧困」ではなく、これら2つの剥奪が重なった時、「貧困」となるのです。(貨幣への疎外、貨幣からの疎外)
具体的には、主に北半球の先進孤高の高度化し続ける消費水準が、南の貧困を作り出していることが一般的に指摘されています。それだけではなく、北の先進国でも貧困はあります。(日本でも、貧困率の高さが問題になっていますね)。なぜならば、生きるためにはお金が必要で、その必要なお金の水準は経済成長によって釣り上げられるものの、その「必要」に対応することは社会の完治することではないからです。「必要」に対応することでは、資本主義は成長できないのですから。
※この問題に対して、経済学者の宇野弘文さんは「社会的共通資本」の整備の必要性を説きました。
このようにして、現代社会は自然との臨海面と、外部社会との臨海面にそれぞれ問題を生じさせてきたのです。
この本から考えたこと
ここまで見てきたような問題が、ぼくたちが生きる現代社会にはあります。それでは、そうした課題をどう解決していったらいいのか。見田さんは、消費化・情報化社会の射程を開くことで克服していけると主張します。
「情報」には(1)認識としての情報(2)設計としての情報という2つの「手段としての情報」と、(3)美としての情報という「直接それ自体が歓び」であるという3つ作用があるとし、美としての情報によって消費社会を非物質的なものによる「生きることの歓び」の地平に着地することで、外部収奪的でない社会にできる…というのです。
たしかに、近年フェアトレードなど、エコやロハスがひとつのトレンドになってきており、消費思考がそうした方向へシフトしていけば現代社会の課題は解決の方向に向かっていくでしょう。
ただぼくは正直、この「美としての情報」についてまだつかみきれていない。抽象的なので、具体的になにかの活動に落とし込んでいく時に、もうすこし具体的に噛み砕いて行かないとなぁと思っています。
さらに、「美としての情報によって…外部収奪的でない社会にできる」というのは、楽観的すぎはしないか。たしかにそうなれば理想的だけども、人間が生まれてから、だれもが「生きることの歓び」を享受し、他人を傷つけないですむ社会が存在したかと言われれば、しなかったんじゃないのかなぁ、と思ってしまいます。ぼくがちょっと性悪説によりすぎてるのかもしれないけれど。
現代社会では「情報」ということが鍵になるのは間違いないと思うので、(1)認識としての情報(2)設計としての情報をいかに持続可能な方向に組み替えていくかが、今後問われていくのではないかと個人的には思います。
さて、この本で論じられたのは、現代社会が「外部」におよぼす影響であったので、今度は「内部」、つまりぼくたちのアイデンティティにおよぼす影響について学んでいければ。今回はこのへんで。
【備忘録】”職業”はどこから”文化”になるんだろう
動物の場合、レッドリストのような絶滅危惧種の指定があって、指定された種は保護されることになる。
でも僕が知る限り、職業にレッドリストはない。だから、市場で流通しなくなった商品やサービスを扱っていた職業は、基本的に淘汰されてしまう運命にある。
先日見たNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』、”最後の職人”の回で紹介されたのは、そんな失われつつある運命にある技術をもつ職人だ。
日本でただひとりしか出来ない、漆カンナを作る技術を持つハガネ職人。そして、人間国宝も惚れ込む技術を持つヤスリ職人。彼らの技術は、ミリ単位の正確さがギリギリまで突き詰められていて、本当に胸を打たれるものがある。
そうした技術を目の当たりにするにつけ、「職業は、必要とされなくなったものは無くなる運命にまかせてしまっていいんだろうか? 」という思いがよぎった。
この問題、どうなんだろうな。言い換えれば、職業はある段階から、経済に属することがらではなくて文化に属することがらになるのかもしれない。そう考えると、文化の保護という観点で、職業の保護が必要になってくる。
人間国宝とかいった仕組みも、文化の域に達した職業をまもるしくみなんだろう。いったいどの一線から、職業は文化になるのかについては、あらためて考えてみたい。
参考:「中畑文利/やすり職人・深澤敏夫(2016年2月22日放送)」これまでの放送 |NHK プロフェッショナル 仕事の流儀