キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

キャリアはお金抜きには語れない

自分が望む人生を送ろうと思ったら、いくらお金が必要なのか知っておくことは、キャリアを考えるうえでとてもよいこと。というか、それなしにキャリアを考えることはできないと思う今日この頃。

 

例えば「年収1000万円稼ぎたい。そのために大企業に入って出世したい」と思っている人がいるとする。でも、その人も自分の望むキャリア(ライフも含めた人生プラン)を明らかにしたうえで、じゃあそのプランを実現するためにいくら稼ぐことが必要なのかということを細かく計算していくと、「実は年収500万円でいいのだ」ということに気づくかもしれない。

 

年収500万円でいいのなら、必ずしも大企業に入らなくてもいいかもしれないし、入ったとしても出世レースをがむしゃらに疾走しなくてもいいかもしれない。

 

そんな風に、

(1)自分が望むキャリアを明確にしたうえで、

(2)そのためにはいくら必要なのかを計算し、

(3)その金額を稼ぐためにどう働くのかを考える

というステップは、自分のキャリアデザインをより実現可能なものにするためにとても大切なのだ。

 

逆に言えば、(1)をすっとばして(2)にいくことはできない。(1)がないと、「なんとなく1000万円稼ぎたい」と稼ぐことが目的になったり、「とりあえず大企業に入りたい」といった気持ちをうまく解きほぐしてくれる。

 

僕の場合、「高くて安定した収入を得るために、大企業に入りたい」なんて気持ちを少なからず持っていたけれど、ファイナンシャルプランナーと一緒にもろもろ計算したところ、今は月30万円稼げばじゅうぶん望むような生活ができることがわかった。

 

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こんな感じで、何歳までにいくら必要で、そのために今いくら必要か、ということを紙に書いていった。32歳で結婚、子供は2人、男女一人ずつ。結婚資金は100万円が自己負担……など細かく出していって、何歳までにいくら稼いでいる必要があるのかなどを考えたのだ。

 

そうしてみると、「稼がなきゃ!」と漠然と思っていたことが、具体的に何歳までにいくら稼いで、ということが明確になったので、キャリアプランも具体的に見えてくるようになった。さらに、大企業に行きたいというのは本当は収入が高くて安定しているからではなく、”そっちの方がモテそう”という青臭い動機が根っこにあったのだと気づきました。だって、本当のところそんなに稼ぐ必要はないのだから。

 

こうした計算は、例えば子供の養育費がいくらかかるとか、社会保障どうするとか、何歳で保険に入るとどうなるとか細かいことを考える必要があるので、それが苦手な方はファイナンシャルプランナーなどに相談してみるといいと思う。もちろんファイナンシャルプランナーによって当たり外れはあるだろうけれど、少なくとも僕の場合はとても助かったなぁ。

 

 

キャリアコンサルタント試験結果を受けて。勝って驕らず負けて腐らず

「おかげさまで、無事にキャリアコンサルタントの国家試験に受かりました」
 
試験の結果が出る3月30日まで、そんな投稿をここに書くつもりでいたし、受かってから誰にお礼の連絡をして、どこでキャリアコンサルタントの仕事を始めて、どんなことをして……みたいなことを、かなり具体的に考えていました。
 
なので、合格者の発表のなかに自分の番号がなかったとき、発表のwebページを何度も何度も見返してしまって、でも、何度見ても自分の番号はない。「あぁ、落ちたんだな」と受け入れられるまでに、少し時間がかかりました。
 
正直、落ち込んではいません。なぜなら、次回の試験は5月から6月にかけてと、すぐ次のチャンスは巡ってきます。これで落ちたからといって、キャリアコンサルタントになれないわけじゃない。だから、これまで経験してきた大学受験や大学院の受験、就活と比べたら、落ちたからといってどうってことないと思っています。いくらでもやり直しがききますから。
 
ただ、すごくハッとさせられました。自分は舐めていたんだと。どこかで「俺はこんな試験、余裕で受かるだろう」と思って、手を抜いていたのです。
 
つまり、あの人が試験の勉強している時間、僕はゲームをしていた。あの人が講座で必死にノートを取っている時間、僕はランチに何を食べようかと考えていた。うさぎと亀の寓話の、うさぎだったんですね。そういう積み重ねが、合格と不合格という差となってあらわれたのだと思います。
 
でも、「人間万事塞翁が馬」といいますが、今回不合格になったことが、逆にいい方に人生を導くかもしれません。(うさぎとか馬とか、ややこしいな)
 
いや、「あの時落ちたからこそ、今の自分がある」と言えるようにしていかなきゃいけない。少なくとも、今は今回の結果が自分のお尻をひっぱたいて、目を覚ましてくれたように思っています。「調子に乗るな。人生そんな甘くねぇよ。精進せい」と。
 
キャリアコンサルタントは人の人生を左右するかもしれない仕事。自分の人生を舐めている人間が、人の人生に寄り添うことなんてできないですよね。そう考えると、今回不合格になってよかったのだと思います。うん。正直、本心が半分、そう自分に言い聞かせているのが半分ですが。
 
「勝って驕(おご)らず負けて腐らず」
 
どこかで聞いたそんな言葉が思い返されます。今回は負け。でも腐らない。次回勝ったとしても、決して驕らない。明日からもしっぽりがんばろっと。

【読書録】21世紀に生きる僕らは、なぜ働くのか?ー『WORK SHIFT』リンダ・グラットン著 池村千秋訳ー

働き方が変わりつつある。

 

それは今、政府が進めている働き方改革に象徴されるけども、なにも日本に限ったことじゃない。グローバル化、ICTの発達、人口構成の変化などにより、世界的な流れになっているのだ。

 

リンダ・グラットンの『WORK・SHIFT』は、そうした世界的な流れがなぜ起こっているのか、どのような結果に行き着くのか、また個人はどのように振る舞えばいいのかなどをまとめた一冊。

 

今日はこの話題作から、特に大事な「ライフスタイルのシフト」に焦点を当てて考えてようと思う。

 

働くのは、充実した経験をするためだ

 

「なぜ僕たちは働くのか」。この問いに対する答えは、これまで「お金を稼ぐため」という答えが主流だった。働いて、お金を稼いで、たくさん消費をするー。これが、人々が幸せになるための方程式のようなものだったのだ。

 

しかしリンダ・グラットンは、こうした幸せの方程式が変える必要があると指摘する。

「大量消費を志向するライフスタイルから、意義と経験を重んじるバランスのとれたライフスタイルへの<シフト>」(68頁)を実現しようという。

 

その背景には、お金を稼ぐことが必ずしも幸福につながらないことがわかってきた、ということがある。収入が増えるほど、贅沢なライフスタイルに慣れてしまって、多少のことでは幸せを感じなくなるという、経済学でいう「限界効用の逓減」がうまれる。

 

こうした難しい言葉は知らなくとも、お金を稼ぐことを目指してがむしゃらに働いてきた上の世代の人生を見ていて、「お金を稼ぐことが必ずしも幸福につながらない」ということを感覚として身につけている世代が労働者の多くを占めるようになってきている。

 

また、テクノロジーの変化に伴い、人々が本人の望み通り行動するチャンスが生まれ始めている。

 

これらのことから、「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」という価値観が広がっていく、とリンダ・グラットンは言っているのだ。

 

 

自己概念の発達が不可欠

 

実際に、新入社員の働く目的を調べた調査では、2000年以降、「楽しい生活をしたい」とする者の割合が大きく上昇し、逆に「経済的に豊かな生活を送りたい」とする者の割合は低下傾向になっている。「働くことに関する最近の若者の意識は、経済的な側面よりも、自分自身が『楽しく』生活できるかどうかという点を重視していることが分かる。」と調査では述べられている。

(参考:「平成25年版 厚生労働白書」

 

ただ、この「充実した経験をする」「楽しい生活をする」というのは、簡単なことではない。充実すること、楽しいことは一人ひとり異なるからだ。「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」時代が訪れるということは、一人ひとりが「自分にとって、なにが充実した経験なのか」ということを自覚しておく必要があるようになるということだ。

 

そのうえでとても重要になるのが、「自己概念の発達」ということ。

 

「自己概念」とは、自分で自分のことを捉えたイメージのこと。つまり「自分は何者であるか」というイメージだ。

 

米国のキャリア研究家であるドナルド・E・スーパーは、キャリアディベロップメント(職業的発達)において最も重要な要素はこの自己概念であるとし、個人は職業選択を通じて自分の「職業的自己概念」を実現しようとする、とした。

 

「職業的自己概念」は、「自分はなにが得意か」「なにがしたいか」「なにに意義を感じるか」といった、仕事に関する自己概念のこと。この職業的自己概念が肯定的・明確である時、個人は正しい職業選択を行うことができ、否定的・不明確である時、誤った職業選択をしてしまう、という。

 

リンダ・グラットンのいうように、「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」ためには、この職業的自己概念を肯定的かつ明確にしておく必要があるのだ。

 

これが意外とむずかしい。自分のことは自分が一番知っているようで、実は知らないこともたくさんあったりする。

 

そのため、キャリアコンサルタントに相談することであったり、リンダ・グラットンも指摘するように信頼できるコミュニティに所属し、自分の悩みなどをさらけ出してフィードバックをもらう、といったことが必要になるはずだ。

 

そうした場や機会は、あまりない、もしくはあるけれど知られていないように思う。どうやって、誰もがはたらくということについて考え、語り合える場を作っていくのか。例えば、以前話題になった弁護士バーのように、キャリアコンサルタントバーテンダーになるバーがあっても面白いかもしれない。

 

とにかく、キャリアについて考える機会をもっと身近にしていきたいと思っている。

 

 

 

 

文化としての仕事という構想

先日編集者の河尻亨一さんのお話を伺っていて、「文化としての仕事」という言葉があった。「これ、すごく可能性がある言葉かも!」と思ったので、僕なりの解釈をちょっとまとめてみる。

 

文化とは

そもそも文化という概念があいまいなので調べてみる。

辞書的は意味だと、次のようなものになるらしい。

 

1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」

(引用:「ぶん‐か〔‐クワ〕【文化】 の意味」デジタル大辞林

 

「文化としての仕事」といったときの「文化」は、2の意味になりそうだ。つまり、人間の精神活動およびその所産としての仕事、ということ。

 

…って言われても、ちょっとわからん。

 

僕が「いいな!」と思ったニュアンスとしては、「カルチャー」という意味合いが強いかな。ファッションや音楽といったカルチャーと同列のもの、あるいはそれらのなかでの「仕事」に焦点をあてたとき、これまでとはまったく違った、日本人の仕事像が見えてきそうだなと思うのだ。

 

文化としての仕事

たとえば、「飲みニケーション」や「メールのマナー」という文化がどのようにかたちづくられてきたのか。また、今どのように行われていて、これまでどのように変遷してきたのか。

 

あるいは、音楽や映画で、仕事がどう描かれてきたのか。(『プロフェッショナル 仕事の流儀』と『舟を編む』とか、昔から仕事に関する作品はたくさんある。)そういったことを、まるでファッションのスタイルをそうするかのように追っていく。

 

そうすると、これまで語られてきた仕事論とはちがった角度から、仕事の像を描き出すことができるんじゃないのかな。

 

仕事を文化として捉えることの可能性

これまでの「仕事論」は、比較的「どれだけいい仕事をするか」とか「プロフェッショナルとはどんな人か」とか、どこか”あるべき仕事像”があって、その上位にいる人が取り上げられがちだ。でも、仕事を文化として捉えることで、”あるべき仕事像”を相対化して、今ある仕事の姿かたちをフラットな視点で、捉え直すことができそうな予感がしてる。

 

まだ構想段階で、はたしてこれがかたちになるのか、なるとしたらどういうものになるのかわからない。もしかしたら、というかおそらくすでに、文化として仕事を捉えた研究や論考はあるのだろうな。

 

なにか知っているのもがあったら、ぜひ教えてください!

 

 

 

僕はプロフェッショナルにはなれないと気付いた話

『プロフェッショナル 仕事の流儀』が好きだ。

 

プロスポーツ選手や料理人や企業家など、ある分野で一流になった人たちを紹介する、言わずと知れたNHKの人気番組。この番組を観て「よし! 自分もいつかはプロフェッショナルになったるで!」と考えた人は僕だけじゃないはず。

 

でも、最近気付いてしまった。

 

「僕は、プロフェッショナルにはなれないかもしれない」

 

漫画『シャーマンキング』で主人公の父幹久が言っていたように、大人になると自分の成長の限界が見えてくる。プロフェッショナルと呼ばれる人物はすべからく、プライベートを犠牲にしてまでとてつもない努力をしているのだと思うけれど、僕にはそんな努力はできないな、なんて思ってしまう。

 

だって土日はしっかりお昼くらいまで寝たいし、できることなら毎日縁側で猫と戯れて、晴耕雨読で暮らしたいもの。こんな発想でいる人間が、プロフェッショナルになれるほど世の中甘くない。

 

ただ一方で、こんなふうにも思う。周りからの評価と、本人の幸福感はかならずしも一致しないんじゃないかと。

 

もちろん、プロフェッショナルと呼ばれる人が幸福でないというわけじゃない。でも、プロフェッショナルにならなければ幸福になれないわけじゃないはずだ。

 

思うに、「いつかはプロフェッショナルになったるで!」的発想の自分は、周りからの評価を気にしていたように思う。周りから、「すごいねー、プロだね! 」と言われるようになりたいと。でもたぶん、それって本質的じゃない気がしてきたのである。

 

「自己概念」という考え方

心理学には、「自己概念(concept of self)」という考え方がある。カウンセリングの祖、カール・ロジャースの概念で、「自分はこういう人間だ」とか「こういう人間っていいな」といった、自分に対するイメージのこと。この自己概念と経験(experience)が一致している状態を、ロジャースは「自己一致」と呼び、健全な状態とした。

 

さらに、ドナルド・E・スーパーは、個人は仕事を通じて「自己一致」を目指す(「職業的自己概念」を実現する)ということを言った。

 

みなさんも、自分の「こうありたい」という思いが、実際の今の自分と重なったとき、自分が自分でいることができているような、満ち足りた気持ちになったことはないだろうか(僕はある)。幸福感を得るうえで大事なのは、周囲から評価されることではなく、自分が思い描く「こうありたい」自分と、実際の自分が重なっていることなのだ。

 

そうなってくると、まずは自分が思い描く「こうありたい」自分を明確にする、という作業が必要になってくる。就活の時にやる自己分析ってやつだ。これがなかなか難しい。どうやってこの難しい自己分析をやるのかという話は、またあらためて。

【読書録】生活をおもしろがるという視点ー『そして生活はつづく』星野源ー

「キャリア」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。

 

多くの方が、「職歴」をイメージするかもしれない。たしかに僕自身が受けてきた「キャリア教育」や「キャリアデザイン」の講座なんかでいう「キャリア」は、仕事にひもづくものだった。

「キャリア=職歴」ってわけでもない

でも、実際のところ僕らの人生って、仕事だけしてればいいわけじゃないではないですか。どんなに忙しい社長も、スポーツ選手も、大学教授も靴磨き職人も、家に帰れば生活があるわけで。あるいは休日には趣味を楽しんだり、通信講座で資格の勉強をしていたりする。

 

つまりなにが言いたいかというと、「キャリア=職歴」と考えてしまうと、キャリアについて考えることの射程範囲は、ずいぶん狭いものになってしまうのよなぁ、ということを、ぼんやりと思っていたわけです。

 

「生活」を発見した星野源さん

ところで最近、星野源さんが気になっている。なんで気になるのか不思議だったので、この前の休日になんとなく本屋で見つけた源さんのエッセイを手に取ってみた。

 

『そして生活はつづく』は、星野源さんが2013年に出版した初のエッセイ集 。そのテーマは、「つまらない毎日の生活をおもしろがること」。

 

仕事の虫だった源さんが、なぜ「生活をおもしろがること」を意識するようになったのか。その理由がまた、すごくよいのだ。

 

源さんは、ある時働きすぎて、過労で倒れてしまう。その時に、次のことに気付いたそうだ。

 

「私は生活が嫌いだったのだ。……ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてけぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。」(29頁)

 

仕事に生きていた源さんは、過労をきっかけに「生活」を発見して、自分の人生のなかでその意味づけを変えていこうとしたのだ。

 

スーパーの「ライフキャリアレインボー」とは

 キャリアに関する理論のなかで、1950年代にドナルド・E・スーパーが提唱した「ライフキャリアレインボー」というものがある。

 

ライフキャリア・レインボーの理論では、キャリアをさまざまな役割(ライフロール)の組み合わせだとしている。具体的には、息子・娘、学生、余暇を楽しむ人、職業人、市民、配偶者、家庭人といった役割が組み合わさり(まさに虹のように)、さらにキャリアの段階によってその比重を変えながら、キャリアは形成される、という考え方だ。(参考:「ライフキャリア・レインボー」とは? - 『日本の人事部』

 

源さんの「生活の発見」は、まさにこのライフロールの組み合わせを、職業人ばかりだったのから家庭人、あとは余暇を楽しむ人などの比重を高めていったということだ、と受け取れるんじゃないだろうか。

 

これは偏見かもしれないけれど、日本人の多くは、「キャリア=職業」というステレオタイプを持っていたように思う。でも、ちょっと前の「ていねいな暮らし」ブームや周りの人の話を聞くにつけ、そうした日本人の一定割合が、最近星野さんのように「生活の発見」をしているんじゃないかとも思う。つまり日々の暮らしを大切にする方向にシフトしつつあるのだ。

 

「生活をおもしろがる」

源さんの「生活をおもしろがる」という視点は、すごく大事にしたいなぁ。個人的には、仕事だけの人生は歩みたくないし。生活を含めたキャリアデザインをしなきゃ。

 

……なんて、そんなことを考えるきっかけを与えてくれる、源さんのエッセイに感謝。

 

幸福度NO.1の国デンマークに学ぶ「hygge(ヒュッゲ)る」働き方

「hygge(ヒュッゲ)」という考え方を知っていますか?

 

「hygge」はデンマーク語で、「人と人とのふれあいから生まれる、温かな居心地のよい雰囲気」のこと。(参考:ヒュッゲ | ANDERSEN GROUP - アンデルセングループ

)なんだかすごく素敵な言葉ですよね。

 

僕は先日参加した仕事旅行社のイベント「世界で一番幸せな国デンマークに学ぶキャリアのつくり方」でこの言葉を知って、なにかすごく大事なことを知った気がしました。

 

北欧スタイルで働くあなた 世界で一番幸せな国デンマークに学ぶキャリアのつくり方【ワークショップ】|見たことない仕事、見に行こう。仕事旅行

 

「美しい働き方」が僕にとって長い事考えていることなのだけれど、そのヒントになるような気がしています。

 

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幸福度NO.1の国、デンマークの働き方

デンマークは国民の幸福度がNO.1の国だそう。その要因としては、民主主義が発達していることや、格差が少ないこと、美意識がすみずみまで行き届いていること、ご飯が美味しいことなどたくさんあげられるのだろうけれど、仕事への満足度が高いことも大きいのでは。

 

ゲストのエコ・コンシャス・ジャパン代表、戸沼如恵(とぬま ゆきえ)さんによれば、デンマークの働き方は次のような特徴があるそうです。

 

  • 転職市場が発達しており、転職しやすい
  • 労働者の権利が守られている
  • ブラック企業がない。悪い環境の会社はみんなやめてしまうので。
  • 働くためにクリエイティブな空間が必要だという意識がある
  • 絶対と言っていいほど残業しない。(労働時間は週37時間までと決められている)
  • 国民一人当たりのGDPが日本よりもデンマークの方が高い
  • オフをしっかりしている
  • 上下の関係性がフラット
  • 職場での対話を大事にする(空間的に関係性の曖昧な場所を中心に置くなどして、対話を促す場づくりをしている)
  • キャリアで悩んだとき、「立ち止まってもいい」という考えが浸透している

 

…なんだかこれ、日本と真逆じゃないですか?

もちろんデンマークのやり方をそのまま日本に持ってきてもうまくいかないにせよ、学べる部分はたくさんあるように思います。

 

根っこにある考え方「hygge」とは

特に素晴らしいと思ったのは、「hygge(ヒュゲ)」という言葉。冒頭で紹介したように、デンマーク語で「人と人とのふれあいから生まれる、温かな居心地のよい雰囲気」のことだそう。

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ただ戸沼さんいわく、日本語の「おもてなし」みたいに、デンマーク語以外ではちょうどいい訳語がないんだとのこと。だからなかなかスッキリ理解することは難しい。

 

たとえば「人と人とのふれあいから生まれる、温かな居心地のよい雰囲気」なんて言うと、「オンとオフ」のうち「オフ」みたいなイメージを持つのだけれど、実際には「オン」、つまり仕事をする時間でもこの「hygge」を大事にしているんだって。

 

そんな価値観を形に落とし込んだものが、デンマークのインテリア(特にやわらかい雰囲気の照明)なのだと聞くと、すごく納得できる。

 

たしかにこれまで「あぁ、しあわせだなぁ」と感じた瞬間を思い返してみると、「hyggeってる」ときが浮かんできます。一方で、日本では「hyggeってる」ことは「怠けている」と近いように捉えられ、仕事の時間からは取り除かれがちなのかもしれません。

 

では、一体どうしたら僕たちは、この日本で、仕事を通して「hyggeる」ことができるのか。このことについては、またじっくり考えてみたいと思います。