文化としての仕事という構想
先日編集者の河尻亨一さんのお話を伺っていて、「文化としての仕事」という言葉があった。「これ、すごく可能性がある言葉かも!」と思ったので、僕なりの解釈をちょっとまとめてみる。
文化とは
そもそも文化という概念があいまいなので調べてみる。
辞書的は意味だと、次のようなものになるらしい。
1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」
「文化としての仕事」といったときの「文化」は、2の意味になりそうだ。つまり、人間の精神活動およびその所産としての仕事、ということ。
…って言われても、ちょっとわからん。
僕が「いいな!」と思ったニュアンスとしては、「カルチャー」という意味合いが強いかな。ファッションや音楽といったカルチャーと同列のもの、あるいはそれらのなかでの「仕事」に焦点をあてたとき、これまでとはまったく違った、日本人の仕事像が見えてきそうだなと思うのだ。
文化としての仕事
たとえば、「飲みニケーション」や「メールのマナー」という文化がどのようにかたちづくられてきたのか。また、今どのように行われていて、これまでどのように変遷してきたのか。
あるいは、音楽や映画で、仕事がどう描かれてきたのか。(『プロフェッショナル 仕事の流儀』と『舟を編む』とか、昔から仕事に関する作品はたくさんある。)そういったことを、まるでファッションのスタイルをそうするかのように追っていく。
そうすると、これまで語られてきた仕事論とはちがった角度から、仕事の像を描き出すことができるんじゃないのかな。
仕事を文化として捉えることの可能性
これまでの「仕事論」は、比較的「どれだけいい仕事をするか」とか「プロフェッショナルとはどんな人か」とか、どこか”あるべき仕事像”があって、その上位にいる人が取り上げられがちだ。でも、仕事を文化として捉えることで、”あるべき仕事像”を相対化して、今ある仕事の姿かたちをフラットな視点で、捉え直すことができそうな予感がしてる。
まだ構想段階で、はたしてこれがかたちになるのか、なるとしたらどういうものになるのかわからない。もしかしたら、というかおそらくすでに、文化として仕事を捉えた研究や論考はあるのだろうな。
なにか知っているのもがあったら、ぜひ教えてください!