”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ-『持続可能な資本主義』新井和宏-
以前、社会学者見田宗介さんの著書『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書) 』についてのエントリーのなかで、「今のお金中心・効率中心の社会を、環境や他者を損なわない社会にできるというのは、まだ実感が沸いてない」、といったことを書いた。
理屈としてはわかるのだけれど、実際に自分たちがどのように働いていけばいいのか。どのように消費をしていけばいいのか。そういった行動のレベルまで、見田宗介さんの理論を落とし込めるイメージが湧いていなかったのだ。
だけど、鎌倉投信の取締役である新井和宏さんの著書『持続可能な資本主義』を読んでみて、「こういう考え方で働いたり、消費をしたりしていけばいいのか!」と目の前が開ける思いがしたので、大事だと思ったポイントをちょこっとまとめてみたうえで、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみようと思います。
資本主義の息切れ
「いま世界中で資本主義が息切れをしている」
そう新井さんは指摘する。先進国がこぞってデフレと低成長に見舞われているのだ。その背景には、リーマンショックが提示した「利益の追求だけを目的として効率至上主義の限界」が解明されていないことがあるという。
「利益の追求だけを目的として効率至上主義」の根本的な問題は、効率よく稼げるかが一番の目標になること。言い換えれば「リターン=お金」になっていることだ。現在は多くの企業や国、個人が、ストックとしての資産ではなく”短期的なフローとしての利益(お金)”の最大化を目指しているという。
だが、お金を求める欲望にはきりがないので、精神的な満足や幸福に至ることなく短期的にお金を生むことが目的になってしまい、人と人や企業と地域など関係性といったストックとしての「見えざる資産」の分断を生んでしまう。そういった「人と社会を犠牲にする資本主義に永続性はない」と、新井さんは喝破する。
つながりを生む資本主義
新井さんが鎌倉投信でやろうとしていることは、「リターン=お金」という式を書き換えることで、利益の追求だけを目的として効率至上主義に変わるシステムを、金融を通じて作ることだ。
鎌倉投信が考える「リターン」は、お金だけではない。
「リターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」
という方程式で捉えているという。
ある企業に投資をするときに、お金だけではなく社会的な意義や幸福感も含めて得られると捉えよう、というのだ。
(現在の資本主義が”分断を生む資本主義”だとすれば、こうした考え方にもとづく資本主義は、”つながりを生む資本主義”だと僕は思う。)
つながりを生む”新日本的経営”
また、効率至上主義へのオルタナティブとして、新井さんは”新日本的経営”をしている会社に注目しているという。”新日本的経営”とは、効率を追い求める欧米的経営ではなく、見えざる資産や社会性にも配慮する日本的経営をさらに発展させた経営だ。
その特徴のなかでも、近江商人の哲学「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」を発展させた”八方よし”という項目が面白い。
新井さんが提示する”八方よし”は、次の8つのステークホルダーが共通のゴールを持ち、会社のファンになっているような経営だ。
- 社員
- 取引先・債権者
- 地域
- 顧客
- 株主
- 社会
- 国
- 経営者
短期的な効率を求める欧米的経営では、こうしたステークホルダー同士は相反する利益を持つから、ときにそれぞれが対立し合い、分断を生んできた。
だが、”八方よし”の新日本的経営では、どのステークホルダーも付加価値を分配する対象=ファンとして、同じ目標を持つ存在になる。企業活動が生み出すのは分断ではなく、”つながり”になるのだ。
”八方よし”の経営は、絵空事ではない。本著では実際に”八方よし”を体現している”いい会社”がいくつも紹介されている。
急な成長をよしとしない「年輪経営」で成長を続ける伊那食品工業、途上国で作られる製品を高品質で販売し顧客に愛され続けるマザーハウス、震災後に政府をも動かして復興を支えたヤマトグループ……。
こうした会社が実際に存在し、そこにファンがつくことで成長を遂げているという。「いい会社」だけに投資する鎌倉投信の「結い2101」が、「R&Iファンド対象2013」で投資信託・国内株式部門1位になるなど実績を上げていることからも、”八方よし”を目指している会社が共感を生み、投資や消費によってそうした会社を下支えする流れが着実に生まれているんじゃないだろうか。
”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ
ここからは、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみよう。
効率至上主義の弊害は、個人のキャリアに強く及んでいるように思う。働く人の幸福よりも、株主の利益や顧客の満足度が優先され、短期的な利益を上げるために働くことが求められるなかで、心身を蝕まれてしまう人も多いのが現状だ。
(効率至上主義が個人の実存を蝕んでいくありさまは、無差別殺人を犯した19歳の青年N・Nを題材に見田宗介さんがまとめた『まなざしの地獄』で詳しく取り上げられています。題材は60-70年代の日本だけど、基本的な構造は今と変わっていないはず。)
新井さんは本著のなかで、金融の文脈から、効率至上主義の資本主義に対するオルタナティブを示した。具体的には、「リターン=お金」に替わる「リターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」という方程式や、「八方よし」の考え方などを提示した。これらは、”分断を生む資本主義”から、”つながりを生む資本主義”へのシフトにつながるものなんじゃないかと僕は考える。
これらは、個人のキャリアデザインの文脈にも応用できるんじゃないか。
つまり、キャリアの選択のときに「リターン=お金」がだけを判断基準に仕事を選ぶのではなく、仕事にどんな意義があるのか、どんな満足感を得られるのか、そしてどれだけお金を選べるのか--という3つをふまえて選んでみる。あるいは会社選びのときに、その会社が”八方よし”の経営をしているかを基準に選んでみる。
特に「心の形成=満足感」のリターンが得られるのかは、四季報や求人サイトを見てもなかなかわからないし、新井さんがいうようにROEやPLといった数値ではなく、そこで働く社員の表情や職場の雰囲気といった主観的な要因がとても重要だから、その会社に知り合いがいれば話を聞いてみたり、可能であれば実際に仕事の現場を見させてもらうといいかもしれない。
また、新井さんが理事をつとめるNPO「いい会社をふやしましょう」では、これからの日本に必要とされ、持続的で豊かな社会を醸成できる会社をピックアップして紹介しているので、こうした情報も会社選びの参考にしてみるのも手だ。
手前味噌だけれど、僕が関わっているNPO法人ETIC.が運営している求人サイトDRIVEキャリアでは、「思い」や「やりがい」を軸に求人を紹介しているので、こちらもチェックしてみるといいかも。
このようにしてキャリアに「リターン=幸せ」や「八方よし」の考え方を取り込むことで、働くほど他者や社会から分断されてしまうようなキャリアから、働くほどつながりを感じることができるようなキャリアへと、個人のキャリアもシフトさせていくことができるのではないかと思うのだ。
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僕が働きかた編集者を名乗って、キャリアに関わる仕事をしていきたいと思うようになった背景に、「一人ひとりがもっと幸せに働けるようにできないか」という思いがある。
仕事を通して、自分であったり誰かであったり社会であったりを損なわないような働き方はできないのだろうかと考えるなかで、『持続可能な資本主義』は大きな気づきを与えてくれました。資本主義の仕組みやこれからの金融、働き方を考えるうえで超オススメの一冊です。
全国の地域活性化のキモは渋谷なんじゃないか
そんなことを、5/18に開催されたgreen drinks Shibuyaに参加して思ったので、備忘録的にまとめます。
↓green drinks Shibuyaはこれね。
5/18(木)green drinks Shibuya「シブヤ区のこれから」(ゲスト:澤田伸さん、小宮山雄飛さん、野村恭彦さん) | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。
※green drinks はエコやサステナビリティをテーマとして世界各地で開催されている飲み会。2010年にgreen drinks Japanが設立されたことをきっかけに、今や日本全国150近くの地域にまで、そのネットワークが広がっているとのことです。
日本における人材の心臓の機能を担う渋谷区?
日本列島を人間のからだ、東京を心臓だとすると、人材の東京一極集中というのは血液が心臓にきたまま滞って、手や足の毛細血管に流れていない状態。
なので東京以外の地域で住みたい、働きたいという人を適切に送り出すポンプ機能と、そうした人に地域では得られない人脈や知識、アイデア、経験を付与するという浄化作用、この2つの心臓の作用を取り戻すことが、全国の地域の活性化にとって重要なのだと思う。(漢字ばっかになってしまった)
その機能のうち2つめの浄化作用、つまり人脈や知識、アイデア、経験を付与する機能は、多種多様な人がオープンにつながりあっている渋谷だからこそ担える機能なんじゃないか。そういう意味で、冒頭の「全国の地域の活性化のキモは渋谷なんじゃないか」になるわけです。
渡り鳥的「シブヤ人」が地域を盛り上げるかも
「シブヤ人」は必ずしも渋谷在住でなくてもいいらしいので、全国各地で活動する人が渋谷に集まって出会い、それぞれが新しい人脈や知識、アイデア、経験を得て地域に持ち帰る。そんな渡り鳥的「シブヤ人」が増えて、各地が盛り上がっていく--。
そんな可能性をすごく感じたイベントでした。
節目の時だけ、キャリアをデザインする-『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏-
自分のキャリアをいつも考えているのは大変だ。
かといって、全く考えないと望んだ方向に進むことはできない。
僕たちはキャリアについて、いったいいつ、どのようなことを考えればいいんだろう。
そんな問いへの答えを与えてくれるのが、金井壽宏さんの著書『働くひとのためのキャリア・デザイン』である。
節目の時だけは、キャリアをデザインする
本著のメッセージをもっとも端的に言うとしたら、「節目の時だけは、キャリアをデザインする」ということになる。
現代は、一人ひとりが自らキャリアデザインをすることが求められている時代だ。
「バウンダリーレス・キャリア(マイケル・アーサー)」「プロティアン・キャリア(ダグラス・T・ホール)」といった考え方であらわされているように、かつてのキャリアに比べて企業や職種などといった境界が不確かなものになり、キャリアの不確実性が増している。そうした状況の中で、自らキャリアの舵取りをしていかないと、自らが「これでよかった」と思えるキャリアは歩めないかもしれない。
ただ、著者も言うように、人生のあらゆる局面でキャリアについて考えていることは現実的ではない。あれやこれやと迷っている間に、人生の終盤に差し掛かっていた……という顛末はできれば避けたいものだ。
そこで著者が提唱しているのが、「キャリアデザインは、節目=トランジションにのみ行えばよい。それ以外は、ドリフトしてもいい」ということである。
だれのキャリアにも節目はある。著者はブリッジズ(トランジションは「終わり」→「中立圏」→「はじまり」の3ステップだとした)やニコルソン(トランジションの「準備」→「遭遇」→「順応」→「安定」というサイクルを明らかにした)のトランジション論を土台にしながら、トランジションでのキャリアデザインの意義と方法をまとめている。
不確実性が高まっている時代だからこそ、トランジション(結婚や就職、仕事が辛いと感じる時期や、逆にゆとりや楽しさを感じるようになった時期など)において自分の来し方行く末に思いを巡らせ、人生の方向性を決める。ただ、これも不確実性が高まっている時代だからこそ、一旦方向性を決めてその方向に歩み始めたら、時には偶然の出会いや出来事を受け入れながら歩みを進めていく。
クランボルツの「計画された偶発性理論」で示されているように、僕たちのキャリアは偶然の積み重ねによって築かれていることを考えれば、不確実性が高まった現代では偶然の出来事をどれだけ自分のキャリアに取り込めるがが重要なのだ。
節目=トランジションをどうすごすか
個人的な意見だけれど、今の日本ではトランジションを有効にすごす環境が十分に整っているとは言い難いんじゃないか。トランジションで必要なのは、自分自身と向き合う時間と空間、そして他人からのフィードバックだと思うが、それらを確保できる機会があまりなかったように思う。
たとえば北欧には、人生のどのタイミングでも入学可能な「フォルケホイスコーレ」という学校があり、講義や対話、日常生活を通して人生を見つけ直す機会を人々に提供している。
こうした「フォルケホイスコーレ」にあたるような、トランジションを有効にすごすための機会は日本ではあるのだろうか。ちょっと調べてみたい。
【映画から考えるしごと論】人生”追われてる感”、”追われてない感”の違いについて-『人生フルーツ』-
以前読んだ時間管理術に関する本で、びっくりした箇所があった。
著者は、ご飯のときに「ご飯をよそう」「皿を重ねて片付ける」みたいなことまで、何分何秒かかるかを見積もって、タスク管理表に書いて管理しているのだという部分。「うげぇ、ホントかよ」と唖然としたのを覚えている。(めっちゃうろ覚えだから、違ったらごめんなさいだけど)
そこまで極端ではないまでも、僕も割ときっちりとタスク管理をしているほうである。タスク管理用のwebサービスを使って、15分刻みくらいで「メール処理」とか「記事の構成を考える」とかいったタスクを書いて、終わったらチェックをつけている。
そんなふうにきっちり時間を管理しているのだけど、なんだか自分の時間を生きている感覚がないのだ。なんと言えばいいのかわからないのだけど、タスクに追われている感じがする。プライベートでも、流行に追われている感じがする。
この”追われてる感”、どこから来るんだろうか。
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先日、友達にすすめれられて『人生フルーツ』というドキュメンタリー映画を観たら、もう超感動してしまった。戦後数々の住宅、団地、ニュータウンの造成に関わり、自らも愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らす津端修一さん90歳と、妻の英子さん87歳の夫婦の暮らし、そして人生を追った物語。「あぁ、こんな夫婦になりたい」って心から思えるようなあたたかい映画だ。
この夫婦、”追われてない感”がすごい。
家庭菜園や果実の木々でいっぱいの庭で、枝に頭をぶつけて怪我した頭のてっぺんに、英子さんにマキロンぬってもらってる、いかにもほんわかした好々爺の修一さん。だが、実はかつて高蔵寺ニュータウンの設計を任された一流の建築家である。
高度経済成長期に、増大する都市人口の受け皿として各地でニュータウンが造成された。経済優先の当時、いかに小規模の土地に多くの人を居住させるかが最優先事項で、高蔵寺ニュータウンも例外ではない。
しかし日本住宅公団の創設期の中心メンバーだった修一さんの基本設計は意外なものだった。自然の地形を生かして建物を配置し、建物の間には雑木林があり、ニュータウンの間を風が吹き抜ける--。修一さんは、”いかに精神的に豊かな生活ができるか”を優先してこのニュータウンを設計したのだった。
しかしこの設計は、経済を優先させる時代の流れのなかで実現せずに終わる。しかしそれならばと、修一さん・英子さん夫婦は高蔵寺ニュータウンのなかに構えた平屋の自宅の庭に雑木林を設け、野菜や果実を育てた。「ひとつひとつの家が庭に林を持てば、豊かな環境は整う」と。
それから40年。2人は自分たちのペースで暮らし続けている。
その象徴が、2人があまりものを買わないことだ。英子さんがつくる料理を彩る野菜や果物は、自宅で採れたもの。なんと、約100種類もの野菜や果実が育っているそう。魚や肉や自宅で採れなかった野菜は、月に一度、何十年も通っているスーパーでまとめ買いして冷凍保存。買ったものを食べたら、どんな料理にして、どんな味だったかを、修一さんがかわいらしいイラストつきの手紙にしたためて送るという、丁寧なコミュニケーションも欠かさない。(ちなみに「コンビニには行ったことがない」と英子さんはいう。)
鍋などは40年もの。つまり引っ越してからずっと同じものである。孫がシルバニアファミリーの家が欲しいと言ったら、「プラスチックは良くない」と言って、修一さんがでかいやつを作っちゃう。
そんな2人の暮らしの様子は、すごくゆっくりとしている。僕の”追われてる感”のある暮らしとはえらい違いだ。
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宮崎県日南市役所でマーケティング専門官を務める田鹿 倫基さんは、ブログのなかで「日本国内に存在する経済活動のパターンは『貨幣経済』『物々交換経済』『貸し借り経済』『自給経済』の4つ」であると言っていて、なるほどなぁと思った。
「貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」は、それぞれ次のようなものだという。
・ 貨幣経済・・・・・貨幣を介して商品やサービスが提供される一般的にイメージされる経済。
・ 物々交換経済・・・農家と漁師が野菜と魚を交換するといった物々交換から生まれる経済。
・ 貸し借り経済・・・誰か大事な人を紹介してくれたとか、トラブルに遭遇したときに助けてくれたとか、「恩」に紐づく貸しと借りで成り立つ経済。世代を超えて家系で引き継がれていくこともあり、「彼のおじいさんには大変お世話になったから、彼にはなんでも協力しろ」みたいに100年単位で続くこともある。
・ 自給経済・・・自分の家で畑を持っていて作物ができるとか、家で味噌や醤油を作っているとか、物を購入しなくても自給でまかなえる経済、というものです。
そして、「地方に行けば行くほど経済のパターンが複数化し、安定したポートフォリオが組めるようになる」と付け加えている。
なるほど、この考え方でいうと、修一さん・英子さん夫婦は、自給経済8割、物々交換経済1割、貨幣経済1割のようなポートフォリオで暮らしていた。一方僕は、貨幣経済が9割9分だ。(この前陶芸にチャレンジして器をつくったから自給経済も1分はあるかもしれない)。
ここが”追われてる感”、”追われてない感”の違いなんじゃないか。
僕は貨幣経済の時間の流れに乗って生きている。シーズンごとに流行がつくり出され、山手線は分刻みのスケジュールで労働者たる僕を運び、移り変わる株価に一喜一憂してたりする。お金という実態がないものの動きに国境も昼夜も春夏秋冬も関係ないから、そのスピードに追われている感が拭えない。
一方、修一さん・英子さん夫婦がいる自給経済の世界で流れているのは、自然の時間だ。
『人生フルーツ』で繰り返し語られる言葉がとても象徴的。
風が吹けば、枯葉が落ちる。
枯葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実がみのる。
こつこつ、ゆっくり。
(引用:作品解説 | 人生フルーツ)
自分たちが食べるものを自分たちで育てている修一さん・英子さんは、そんなゆったりとしたサイクルのなかで生きている。僕が映画から感じた”追われてない感”は、そこからきているようだ。
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「貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」、どれが一番良いということはないはず。ただ、僕なんかは「貨幣経済」のなかでどうやって稼いでいくかっていうことをなんの疑いもなしに考えていて、ちょっと息苦しくなっていたから、修一さん・英子さん夫婦の暮らしに触れて、ずいぶん楽になった。
2人のような、8割自給の暮らしまでいかなくとも、いくらか自分の生活のなかに自給経済を取り入れて、自然が持つ時間の流れを持つことで、”追われてる感”は和らいでいきそうだ。自分がいちばん幸せを感じる、「貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」のバランスはどんな塩梅なのか。ちょっと立ち止まって考えてみよっと。
キャリアはお金抜きには語れない
自分が望む人生を送ろうと思ったら、いくらお金が必要なのか知っておくことは、キャリアを考えるうえでとてもよいこと。というか、それなしにキャリアを考えることはできないと思う今日この頃。
例えば「年収1000万円稼ぎたい。そのために大企業に入って出世したい」と思っている人がいるとする。でも、その人も自分の望むキャリア(ライフも含めた人生プラン)を明らかにしたうえで、じゃあそのプランを実現するためにいくら稼ぐことが必要なのかということを細かく計算していくと、「実は年収500万円でいいのだ」ということに気づくかもしれない。
年収500万円でいいのなら、必ずしも大企業に入らなくてもいいかもしれないし、入ったとしても出世レースをがむしゃらに疾走しなくてもいいかもしれない。
そんな風に、
(1)自分が望むキャリアを明確にしたうえで、
↓
(2)そのためにはいくら必要なのかを計算し、
↓
(3)その金額を稼ぐためにどう働くのかを考える
というステップは、自分のキャリアデザインをより実現可能なものにするためにとても大切なのだ。
逆に言えば、(1)をすっとばして(2)にいくことはできない。(1)がないと、「なんとなく1000万円稼ぎたい」と稼ぐことが目的になったり、「とりあえず大企業に入りたい」といった気持ちをうまく解きほぐしてくれる。
僕の場合、「高くて安定した収入を得るために、大企業に入りたい」なんて気持ちを少なからず持っていたけれど、ファイナンシャルプランナーと一緒にもろもろ計算したところ、今は月30万円稼げばじゅうぶん望むような生活ができることがわかった。
こんな感じで、何歳までにいくら必要で、そのために今いくら必要か、ということを紙に書いていった。32歳で結婚、子供は2人、男女一人ずつ。結婚資金は100万円が自己負担……など細かく出していって、何歳までにいくら稼いでいる必要があるのかなどを考えたのだ。
そうしてみると、「稼がなきゃ!」と漠然と思っていたことが、具体的に何歳までにいくら稼いで、ということが明確になったので、キャリアプランも具体的に見えてくるようになった。さらに、大企業に行きたいというのは本当は収入が高くて安定しているからではなく、”そっちの方がモテそう”という青臭い動機が根っこにあったのだと気づきました。だって、本当のところそんなに稼ぐ必要はないのだから。
こうした計算は、例えば子供の養育費がいくらかかるとか、社会保障どうするとか、何歳で保険に入るとどうなるとか細かいことを考える必要があるので、それが苦手な方はファイナンシャルプランナーなどに相談してみるといいと思う。もちろんファイナンシャルプランナーによって当たり外れはあるだろうけれど、少なくとも僕の場合はとても助かったなぁ。
キャリアコンサルタント試験結果を受けて。勝って驕らず負けて腐らず
【読書録】21世紀に生きる僕らは、なぜ働くのか?ー『WORK SHIFT』リンダ・グラットン著 池村千秋訳ー
働き方が変わりつつある。
それは今、政府が進めている働き方改革に象徴されるけども、なにも日本に限ったことじゃない。グローバル化、ICTの発達、人口構成の変化などにより、世界的な流れになっているのだ。
リンダ・グラットンの『WORK・SHIFT』は、そうした世界的な流れがなぜ起こっているのか、どのような結果に行き着くのか、また個人はどのように振る舞えばいいのかなどをまとめた一冊。
今日はこの話題作から、特に大事な「ライフスタイルのシフト」に焦点を当てて考えてようと思う。
働くのは、充実した経験をするためだ
「なぜ僕たちは働くのか」。この問いに対する答えは、これまで「お金を稼ぐため」という答えが主流だった。働いて、お金を稼いで、たくさん消費をするー。これが、人々が幸せになるための方程式のようなものだったのだ。
しかしリンダ・グラットンは、こうした幸せの方程式が変える必要があると指摘する。
「大量消費を志向するライフスタイルから、意義と経験を重んじるバランスのとれたライフスタイルへの<シフト>」(68頁)を実現しようという。
その背景には、お金を稼ぐことが必ずしも幸福につながらないことがわかってきた、ということがある。収入が増えるほど、贅沢なライフスタイルに慣れてしまって、多少のことでは幸せを感じなくなるという、経済学でいう「限界効用の逓減」がうまれる。
こうした難しい言葉は知らなくとも、お金を稼ぐことを目指してがむしゃらに働いてきた上の世代の人生を見ていて、「お金を稼ぐことが必ずしも幸福につながらない」ということを感覚として身につけている世代が労働者の多くを占めるようになってきている。
また、テクノロジーの変化に伴い、人々が本人の望み通り行動するチャンスが生まれ始めている。
これらのことから、「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」という価値観が広がっていく、とリンダ・グラットンは言っているのだ。
自己概念の発達が不可欠
実際に、新入社員の働く目的を調べた調査では、2000年以降、「楽しい生活をしたい」とする者の割合が大きく上昇し、逆に「経済的に豊かな生活を送りたい」とする者の割合は低下傾向になっている。「働くことに関する最近の若者の意識は、経済的な側面よりも、自分自身が『楽しく』生活できるかどうかという点を重視していることが分かる。」と調査では述べられている。
(参考:「平成25年版 厚生労働白書」)
ただ、この「充実した経験をする」「楽しい生活をする」というのは、簡単なことではない。充実すること、楽しいことは一人ひとり異なるからだ。「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」時代が訪れるということは、一人ひとりが「自分にとって、なにが充実した経験なのか」ということを自覚しておく必要があるようになるということだ。
そのうえでとても重要になるのが、「自己概念の発達」ということ。
「自己概念」とは、自分で自分のことを捉えたイメージのこと。つまり「自分は何者であるか」というイメージだ。
米国のキャリア研究家であるドナルド・E・スーパーは、キャリアディベロップメント(職業的発達)において最も重要な要素はこの自己概念であるとし、個人は職業選択を通じて自分の「職業的自己概念」を実現しようとする、とした。
「職業的自己概念」は、「自分はなにが得意か」「なにがしたいか」「なにに意義を感じるか」といった、仕事に関する自己概念のこと。この職業的自己概念が肯定的・明確である時、個人は正しい職業選択を行うことができ、否定的・不明確である時、誤った職業選択をしてしまう、という。
リンダ・グラットンのいうように、「お金を稼ぐためでなく、充実した経験をするために働く」ためには、この職業的自己概念を肯定的かつ明確にしておく必要があるのだ。
これが意外とむずかしい。自分のことは自分が一番知っているようで、実は知らないこともたくさんあったりする。
そのため、キャリアコンサルタントに相談することであったり、リンダ・グラットンも指摘するように信頼できるコミュニティに所属し、自分の悩みなどをさらけ出してフィードバックをもらう、といったことが必要になるはずだ。
そうした場や機会は、あまりない、もしくはあるけれど知られていないように思う。どうやって、誰もがはたらくということについて考え、語り合える場を作っていくのか。例えば、以前話題になった弁護士バーのように、キャリアコンサルタントがバーテンダーになるバーがあっても面白いかもしれない。
とにかく、キャリアについて考える機会をもっと身近にしていきたいと思っている。