キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

非プロフェッショナルの流儀-『私の個人主義』夏目漱石-

ちょっと前のエントリーで、「僕は、プロフェッショナルにはなれないと気づいた」と書きました。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

実際のところ、プロフェッショナルと呼べる人たちはひと握り。でも、だからといってプロフェッショナルになれない人間が不幸かといったら、そんなことないはずです。

 

もし「非プロフェッショナルの流儀」といえるようなものがあるとしたら、どのようなものなんだろうなーと考えるなかで、実は今から100年以上前の明治44年に、夏目漱石がヒントになるような講演録がありました。『私の個人主義』に収められている「道楽と職業」というものです。

 

分業が人間を不完全にする?

 

明治44年、時は文明開化のまっさかり。漱石は「職業は開化が進むについて非常に多なっていることが驚くばかり眼につく」と書いています。(『私の個人主義』16頁)

 

江戸時代までの日本では、たとえばお百姓が農業もやれば商売もやる、といったようにあまり職業が分かれていなかったのだけれど、明治になり近代化が進むにつれて、どんどん仕事の分業が進んで、職業が増えていったのですね。

 

そうした状況に対して、漱石は悲観的です。

 

こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切り詰められるので、恰も自ら好んで不具(原文ママ)になると同じ結果だから、大きくいえば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者原文ママに打開しつつ進むのだと評しても差支えないのであります。(『私の個人主義』23-24頁

 

あらら、漱石さん、だいぶ大胆なことを言っちゃっています。「ひとつの仕事を特化してやっていると、人間は不完全になってしまう」と。

 

少しわかりにくいので補足をすると。

 

それまではたとえば自分が食べるものは自分で野菜から収穫したり、鶏を絞めたりして手に入れ、自分で掘った井戸で汲んだ水を汲み、服も、自分で織ったり繕ったりしたものを着ていた。だから、生きるための知恵をひとりひとりが持っていたし、誰かに依存することなく生きることができた。

 

でも分業が進んで、「おれはこれが得意だからこれをやる。その代わりあんたはこれをやってくれ」って分業が進んでいくと、自分が口に入れているものがどこでどうつくられたものなのかもわからなくなってくる。生きるための知恵が、自分が専門とすること意外わからなくなってしまう。だから、誰かに頼ることなしには生きることができなくなってしまう。

 

さらには、自分の専門のこと以外に関心がなくなって、お互い理解しようとすることがなくなり、孤立してしまう。

 

そういった状況を指して、漱石は「不完全な人間」といい、「それじゃ味気ないじゃん」と言っているのです。

 

漱石がこの講演を行ったのは今から100年以上前ですが、その指摘は驚くほど現代にもあてはまります。おそらく、高度経済成長期でさらに分業は加速して、今に至っているのではないでしょうか。

 

分業社会への反動としての「ナリワイ」

 

ただ、2010年代に入ってから、そうした状況への反動のようなとりくみも生まれています。それが、「ナリワイ」をつくることです。

 

「ナリワイ」づくりのとりくみの先駆けとなった伊藤洋志さんによれば、「ナリワイ」とは「個人で元手が少なく多少の特訓ではじめられて、やればやるほど頭と体が鍛えられて技が身につき、ついでに仲間が増える仕事のこと」。(引用:人生を盗まれない働き方 | ナリワイをつくる

 

たとえば農家の手伝いをしたり、宿をやったり、イベントを開いたり…といった比較的規模の小さな仕事であり、そうした仕事を組み合わせる生き方でもあります。

 

伊藤さんがナリワイを始めた背景にも、漱石と同じような問題意識があったようです。

 

1個の組織で1つの仕事を毎日決まった時間に行う、という生活は人類の歴史では異常なことなので、合わない人がけっこういてもおかしくない。

そこでナリワイは、そもそもライフとワークのバランスを考えるのではなく、生活から乖離してしまった仕事を個々人の手の届く範囲のほどほどの距離に近づけることを目指しています。いうなれば生活と仕事の一体化です。(引用:人生を盗まれない働き方 | ナリワイをつくる

 

生活から乖離してしまった仕事を個々人の手の届く範囲のほどほどの距離に近づける」とは、漱石の言葉で言えば「完全な人間」にもう一度近づく、ということでしょう。

 

あるいはナリワイではなくとも、今注目されている「副業・兼業」も、分業社会への反動としてみることもできるかもしれません。

 

プロジェクトx』『プロフェッショナル』の時代を超えて

 

組織として何か大きな仕事を成し遂げる『プロジェクトx』がみんなの憧れだった時代から、個人がある分野に特化して一流になる『プロフェッショナル』がみんなの憧れだった時代になり、さらに今はそうした時代への反動から、「ナリワイ」や「副業・兼業」も生き方としていいよね!という時代になってきているような肌感覚は、たしかにあります。

 

ひとつの職業、ひとつの会社に縛られてしまうことの問題を、100年前に見事に見抜いていた漱石さんは、やっぱりすごい。もっとも、近代になって進んだ分業の意義と課題については、社会学者エミール・デュルケムが1893年に『社会分業論』で論じています。漱石もその影響を受けているのかもしれません。

 

もし漱石さんが生きていたら、今みたいな時代をどうを評するんでしょうか。

 

 

 

境界ないキャリアを支える、「流動創生」というコンセプト

人口減少が進み、全国区の自治体で移住者を呼び込む取り組みが盛んに行われています。そんななか、必ずしも移住を前提とせず、流動人口(一時的にある場所に滞在している人口のこと)を増やすことにより、一人ひとりが最大の価値を生み出すような地域の取り組みがあります。

 

それが、福井県南越前町で取り組まれている「流動創生」の取り組み。そんなユニークな取り組みについてのトークイベントが都内で開催されるというので、足を運んでみました。

ryudou-sousei.jp

 

流動創生とは

 

流動創生とは、どういうことなのでしょうか。

サイトでは、次のように説明されています。

 

 これからの時代に、本当に価値あることを、本当に価値となる場所で生み出していくためには、常識や固定観念に左右されず、一人ひとりがすべきこと・いるべき場所・あるべき姿を求めて縦横無尽に動くこと、そしてそれを可能とする「流動性の高い環境」が必要です。


流動創生は、組織や個人の流動性を高めることにより、一人ひとりが最大の価値を生み出すことのできる「一億総適材適所」社会を目指します。 

(引用:About - 流動創生? - | 流動創生

 

日本全体で人口が減っているなか、各地域が移住者の奪い合いをすることは、どこかが生き残ってどこかが衰退してしまうことにつながります。一方で、流動人口を増やすことができれば、人口の奪い合いになることなく、さらにはそれまで地域内にはなかった新しい視点が地域に持ち込まれるというメリットもあります。

 

また、個人としても、価値観が多様化している今、一つの地域にとらわれない生き方をしたいという方も増えているでしょう。

 

「流動創生」はそうした時流を捉えた取り組みで、具体的には「StopOver」と、「RoundTrip」という取り組みをしているそう。

 

「StopOver」は、次のようなもの。

 

福井県南越前町流動創生拠点に滞在して地域の人々の暮らしや生業に寄り添い、地方を絡めた多拠点のあり方について具体的に理解を深めながら、「風の人」と「土の人」のギブアンドテイク構築を学ぶ合宿企画

(引用:About - 流動創生? - | 流動創生) 

 

RoundTrip」は、次のようなものだそう。(『あいのり』のラブワゴンみたいなイメージ)

 

全国各地を巡って地域の人々の暮らしや生業に触れ、地方を含む多拠点を俯瞰的にとらえながら、「風の人」としてのスキルを習得し、自分にあった「流動的なライフスタイル」を模索する旅の企画です。

(引用:About - 流動創生? - | 流動創生

 

こうした取り組みを通じて、地域間を移動する「風の人」がもたらす情報や技術が、地域に定住している「土の人」の力と結びつき、まったく新しい価値を生み出すことがあると、流動創生の仕掛け人で荒木幸子さんは語ります。(「風の人」と「土の人」という表現がすごくいい!)

 

境界なく生きる時代

 

キャリア論では、「バウンダリーレス・キャリア」と呼ばれるような、企業や職種、業界などを超えた、「境界(バウンダリー)」のない生き方・働き方が一般的になっていると言われます。

 

流動創生の取り組みも、そうした文脈のなかに位置付けられるでしょう。企業や職種、業界などを境界なくわたり歩くことが可能になるからこそ、働く場所・住む場所についても境界なく流動しながら生きることができるようになってきた。

 

そういう意味では、人口の流動を促す流動創生の取り組みは、南越前町だけでなくこれから他の地域にも広がっていくのではないでしょうか。

 

 

続・NPO職員は食べていけるか

先日の「NPO職員は食べていけるか」というエントリーをFacebookでシェアしたところ、思いがけずたくさんの反響がありました。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

どの意見も、なるほどなぁというものばかりだったので、簡単にまとめてます。

 

まず、多かったのは「食べていけるか、という問いには、組織に食べさせてもらえるという意識が含まれている。でも、いまやNPOだろうと営利企業だろうと、自分が食べていくためにどうするかを考えるのが不可欠。」という意見。

 

たしかに大企業だろうと安泰ではないいま、どう稼いで生きていくのかはだれもが考えるべきことになっています。それはNPO職員もおなじこと、というのはすごく納得。

 

ほかには、「"食べていく=稼ぐ"ではないんじゃないか。ひたすら稼がなくても、食べていける方法もある」という意見も。

 

これは、自給自足だったりコミュニティのあいだの物々交換だったり、かならずしも貨幣経済によりかからなくても食べていくこともできるのでは、ということだと思います。

 

とくにローカルでは、ご近所さんから食料をもらえるから食費がほとんどかからない、なんてことも聞くことがあります。文字どおり"食べていく"ことがそれほどのお金なしに実現できているのかもしれません。

 

あとは、ストレートに「NPOだけど食べていけてるよ」とか、「NPOだから稼がなくていい、ではなく、ちゃんと稼がないと」というコメントも。

 

やはりけっこう「NPOってボランティアでしょ」ってイメージは根強いようにおもうのですが、実際にはそれなりに稼げるところはあるし、事業を継続するためにも稼がないといけない。「NPO=ボランティア」というイメージは、NPOにかかわる僕らのような人間がちゃんと変えていかないといけないな、と思います。

 

 

最後に、興味深いデータも。「カイシャの評判」によると、NPO法人の平均年収は250〜350万がボリュームゾーンだとのことです。これを多いとみるか、少ないとみるかはその人しだいでしょう。

 

 

以上、NPO職員は食べていけるか」というエントリーへの反響をいくつかピックアップしてまとめてみました。もしNPOに関わるキャリアを考えている方は、ひとつの参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

夢がなくても幸せになれる?-『夢があふれる社会に希望はあるか』児美川孝一郎-

ちょっと前の話ですが、結構メディアにもとりあげられている、ある分野でプロフェッショナルといっていいような方の口から、「まぁ、私もやりたいことなんて特にないですからね」という言葉がでたのでびっくりしたことがありました。

 

若くてなにもキャリアを積んでいない人がいうのなら、驚くこともないのだけれど、社会的な評価も高くて、これまで輝かしい実績も上げてきている方でも、「やりたいことが特にない」、というのがすごく意外で。

 

ただ、文脈を抜きに「やりたいことなんて特にないですからね」と聞くと、なんだかネガティブにしか聞こえないですが、その時はネガティブなひびきはなかった。(文脈を忘れてしまったのが残念ですが。)むしろ、もっとポジティブで大切な含みをその言葉に込めているように感じました。

 

これは僕の想像ですが、その方が言ったやりたいことが特にない」というのは、いわゆる”夢”や”ビジョン”といった大それたものは特段もっていないですよ、ということなんじゃないかな。”夢”や”ビジョン”は持っていないけど、もっと短いスパンで小さな規模のやりたいことはあって、そうしたことの積み重ねで今があるんですよ、ということが言いたかったんじゃないか、と思っています。

 

”夢”にかんして、最近読んだのが『夢があふれる社会に希望はあるか』という本。書いたのは法政大学キャリアデザイン学部の児美川孝一郎教授です。

 

 

児美川教授は、いまは「夢をあおる社会」だと言います。メディアでは、夢を実現した経営者やスポーツ選手のストーリーがとてもかっこよく描き出され、教育現場でも「将来の夢はなにか」と繰り返し問われる。僕も『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て、「自分もいつかプロフェッショナルになりたい!」と思っていたことがあります。

 

でも、実際に本田圭佑さんみたいになれるひとはひと握りなのだから、「本田さんは夢に向かって一直線に進んでいるのに、僕ときたらブログも続きやしない」なんて自分を責めることはないのです。(いや、それはちょっと違うか。)

 

なにせ、夢を実現した人は2割くらいしかいないそうなんですね。のこりの1割くらいの人は、夢を実現できなかったり、夢の仕事に就けてもやめてしまっていたりする。じゃあそのひとたちが不幸かというと、そんなことない。めぐりあった仕事で、意外な楽しみを見つけて幸せに生きていたりします。

 

児美川教授が本の中で言っているように、”夢”というのはマジックワードで、人のモチベーションを高めることもあれば、限られた選択肢に縛り付けたり、「夢を持たなきゃ」というプレッシャーとして僕たちにのしかかることもあります。

 

だから、かならずしも”夢”を持てなくても、焦ったり自分を責めたりする必要はないんですよね。ましてや、「”夢”を持て!」って誰かに押し付けられるものでもない。「私もやりたいことなんて特にないですからね」と言った方は、誰にこうしろと言われるでもなく、自分の人生を生きていて、幸せそうに僕には見えました。

 

今回ご紹介した『夢があふれる社会に希望はあるか』の中では、夢との付き合い方の述べられています。夢とキャリアの関係に興味がある方は、ぜひ手に取ってみてください。

 

 

 

 

 

モモは世界一有名なキャリアカウンセラーかもしれない-『モモ』ミヒャエル・エンデ-

小さなモモにできたこと。それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。

『モモ』ミヒャエル・エンデ 

 

キャリアカウンセリングの勉強をはじめて1年ほどになる。

 

学べば学ぶほど、奥が深い。カウンセリングをするたびに発見ばかりだ。講師の先生いわく、「15年やってやっとつかめてきた」とのことなので、1年なんてまだ赤ちゃんみたいなものなんだろうな。

 

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勉強を始める前、「自分は聞き上手かもしれないだな」と思っていた。じっさいに「聞き上手だね」と言われることもあった。

 

でも今思うのは、「聞き上手」と「カウンセリングができる」は、まったく違うということ。たとえるなら、リフティングが上手にできるのと、じっさいに試合でゴールを決めることができること、くらい違う。

 

「聞き上手」は、聞き役にまわったり、あいての話に合わせてあいづちをうったりすることが得意ならなれるかもしれない。でも、「カウンセリングができる」というのは、それとはまったく違うスキルが必要だ。

 

くわしいことはここでは書かないけども、クライエントを観察し、要約やいいかえを織り交ぜ、感情や意味づけを引き出し、時には自分の中の矛盾との対決をうながし、云々…。そんなことを頭でぐるぐる考えつつ、でも目の前の相手に集中して話を聞く。(プロのカウンセラーは、1時間ほどのカウンセリングでも内容をほぼ覚えているというからすごい。)

 

そんなわけで、「俺って聞き上手だな〜」と調子に乗っていたかつての自分には、強烈な張り手を食らわせたい。

 

*****

 

ところで、世界で一番有名なキャリアカウンセラーは「モモ」じゃないかと思う。

 

この、ミヒャエル・エンデが書いた世界的ベストセラーの主人公がやっていたことは、まさにキャリアカウンセリングなのだ。

 

物語では、平和な街に突如現れた「時間貯蓄銀行(時間どろぼう)」と称する灰色の男たちによって、大人も子ども”時間”を盗まれて、自分らしく生き生きと過ごすことができなくなり、心から余裕がなくなってしまう。

 

そんなに時間どろぼうに立ち向かったモモができたことというのが、”話を聞くこと”だった。

 

なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。

でも、それはまちがいです。ほんとうに聞くことのできるひとは、めったにいないものです。

そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。

(引用:『モモ』ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫 23頁)

 

「時間どろぼう」と対極にいるモモができることが、「話を聞くこと」だというのは、とても示唆的だ。いわば「時間どろぼう」が人びとから生き生きとした時間を奪うのに対して、モモは生き生きとした時間を与える。いや、与えるというとちょっと違うな。生き生きとした時間をとりもどすことに、そっと寄り添っているのだ。相手の話に、じっと耳を傾けることによって。

 

******

 

今、僕たちのまわりを見ても、電通過労自殺が問題になったように、「時間どろぼう」に時間を奪われたような働き方をしている方は多い。

 

だからこそ、「聞き上手」だけではなくカウンセリングができる」キャリアカウンセラーという存在が、もっと身近になればいいのに、と思う。残念ながら、僕らが生きる世界にモモはいないけれど。

 

そんなわけで、僕は今日もキャリアカウンセリングを勉強する。

 

NPO職員は食べていけるか

今日大手企業の採用面接が解禁になった。

でも最近では、大手企業ではなくNPOに関心を持ってる学生も結構いるみたいだ。学生と話させてもらうと、「NPOで働くことに興味があるけど、食べていけるんですか?」って聞かれることが多かったりする。

聞いてくれる方は直接説明できるからいいのだけど、その背景には、聞くまでもなく「食べてけないでしょ」って諦めちゃってる方がたくさんいるのかもしれないな、とおもう。

別にNPOが無条件にいいとは思わない(たとえば社会貢献したいからNPO、と思っているのだとすると、その動機はもうちょい深掘りしたい。営利企業でも公的機関でも、はたまたプロボノでも社会貢献はできるので、NPO常勤にとらわれる必要ないかも)けれど、かといって"NPOは食べてけないから"という理由で選択肢からはずしちゃう人がたくさんいるとしたら、もったいない。

NPOの平均年収のデータが手もとにあるわけじゃないので一般化はできないけど、"食べていけてる"NPO職員はたくさん知ってる。

それに、僕の場合NPOに入って実感したのは、お金という意味での資本ではなく、人とのつながりとしての資本、いわゆる社会関係資本はたまりやすいなと。共感によってさまざまな人が集まってくるので。

自分が病気になったときや仕事がなくなったとき、たすけになるのはそうしたつながり。いやさそんなピンチなときに限らず、仕事の機会や出会いをもたらしてくれるのは人とのつながりだったりする。

そういった意味では、"NPOで食べていけるか"という問いに対しては、YesともNoとも断定はできないのだけど、「収入という意味ではもしかしたら一般企業よりは下がるかもしれないけど、その年齢の平均年収くらいは稼げるところもちゃんとある。それに、社会関係資本を得やすいから、お金以外のセーフティネットをつくることができるかもしれないですよ」って答えてる。(かもしれない、というのは、あくまでも僕の実感なのでみんなそうなのかはわからない、ということで)

繰り返しになるけれど、だからNPOでいいのだ!ってことではなく、まずは「食べていく」ってことが自分にとってはどれくらいの収入が必要なのか、社会貢献をしたいという気持ちの背景にはどんな価値観があるのか、それはプロボノや副業、あるいは企業のCSR担当でもできることなのかなど、自己理解を深めることがまずは大事なんじゃないかな、とおもう。

また、これまでの議論とあまり関係がないけど、就活っていうシステムを通して病んでしまう人が(自分を含めて)まわりに何人かいた。そういう人が少しでも減るように、「新卒で東京の大企業に正社員で入る以外の選択肢もあるよ」ということを伝えたり、体現していけたらいいな、なんて思う今日このごろ。

”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ-『持続可能な資本主義』新井和宏-

以前、社会学見田宗介さんの著書『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書) 』についてのエントリーのなかで、「今のお金中心・効率中心の社会を、環境や他者を損なわない社会にできるというのは、まだ実感が沸いてない」、といったことを書いた。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

理屈としてはわかるのだけれど、実際に自分たちがどのように働いていけばいいのか。どのように消費をしていけばいいのか。そういった行動のレベルまで、見田宗介さんの理論を落とし込めるイメージが湧いていなかったのだ。

 

だけど、鎌倉投信の取締役である新井和宏さんの著書『持続可能な資本主義』を読んでみて、「こういう考え方で働いたり、消費をしたりしていけばいいのか!」と目の前が開ける思いがしたので、大事だと思ったポイントをちょこっとまとめてみたうえで、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみようと思います。

 

資本主義の息切れ

 

「いま世界中で資本主義が息切れをしている」

 

そう新井さんは指摘する。先進国がこぞってデフレと低成長に見舞われているのだ。その背景には、リーマンショックが提示した「利益の追求だけを目的として効率至上主義の限界」が解明されていないことがあるという。

 

「利益の追求だけを目的として効率至上主義」の根本的な問題は、効率よく稼げるかが一番の目標になること。言い換えれば「リターン=お金」になっていることだ。現在は多くの企業や国、個人が、ストックとしての資産ではなく”短期的なフローとしての利益(お金)”の最大化を目指しているという。

 

だが、お金を求める欲望にはきりがないので、精神的な満足や幸福に至ることなく短期的にお金を生むことが目的になってしまい、人と人や企業と地域など関係性といったストックとしての「見えざる資産」の分断を生んでしまう。そういった「人と社会を犠牲にする資本主義に永続性はない」と、新井さんは喝破する。

  

つながりを生む資本主義

 

新井さんが鎌倉投信でやろうとしていることは、「リターン=お金」という式を書き換えることで、利益の追求だけを目的として効率至上主義に変わるシステムを、金融を通じて作ることだ。

 

鎌倉投信が考えるリターン」は、お金だけではない。

リターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」

という方程式で捉えているという。

 

ある企業に投資をするときに、お金だけではなく社会的な意義や幸福感も含めて得られると捉えよう、というのだ。

(現在の資本主義が”分断を生む資本主義”だとすれば、こうした考え方にもとづく資本主義は、”つながりを生む資本主義”だと僕は思う。)

 

つながりを生む”新日本的経営”

 

また、効率至上主義へのオルタナティブとして、新井さんは”新日本的経営”をしている会社に注目しているという。”新日本的経営”とは、効率を追い求める欧米的経営ではなく、見えざる資産や社会性にも配慮する日本的経営をさらに発展させた経営だ。

 

その特徴のなかでも、近江商人の哲学「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」を発展させた”八方よし”という項目が面白い。

 

新井さんが提示する”八方よし”は、次の8つのステークホルダーが共通のゴールを持ち、会社のファンになっているような経営だ。

 

  • 社員
  • 取引先・債権者
  • 地域
  • 顧客
  • 株主
  • 社会
  • 経営者

 

短期的な効率を求める欧米的経営では、こうしたステークホルダー同士は相反する利益を持つから、ときにそれぞれが対立し合い、分断を生んできた。

だが、”八方よし”の新日本的経営では、どのステークホルダーも付加価値を分配する対象=ファンとして、同じ目標を持つ存在になる。企業活動が生み出すのは分断ではなく、”つながり”になるのだ。

  

”八方よし”の経営は、絵空事ではない。本著では実際に”八方よし”を体現している”いい会社”がいくつも紹介されている。

 

急な成長をよしとしない「年輪経営」で成長を続ける伊那食品工業、途上国で作られる製品を高品質で販売し顧客に愛され続けるマザーハウス、震災後に政府をも動かして復興を支えたヤマトグループ……。

 

こうした会社が実際に存在し、そこにファンがつくことで成長を遂げているという。「いい会社」だけに投資する鎌倉投信の「結い2101」が、「R&Iファンド対象2013」で投資信託・国内株式部門1位になるなど実績を上げていることからも、”八方よし”を目指している会社が共感を生み、投資や消費によってそうした会社を下支えする流れが着実に生まれているんじゃないだろうか。

 

”分断を生むキャリア”から”つながりを生むキャリア”へ

 

ここからは、このブログのテーマである「キャリア」に引きつけて考えてみよう。

 

効率至上主義の弊害は、個人のキャリアに強く及んでいるように思う。働く人の幸福よりも、株主の利益や顧客の満足度が優先され、短期的な利益を上げるために働くことが求められるなかで、心身を蝕まれてしまう人も多いのが現状だ。

効率至上主義が個人の実存を蝕んでいくありさまは、無差別殺人を犯した19歳の青年N・Nを題材に見田宗介さんがまとめた『まなざしの地獄』で詳しく取り上げられています。題材は60-70年代の日本だけど、基本的な構造は今と変わっていないはず。

 

新井さんは本著のなかで、金融の文脈から、効率至上主義の資本主義に対するオルタナティブを示した。具体的には、「リターン=お金」に替わるリターン=社会の形成×資産の形成×心の形成=幸せ」という方程式や、「八方よし」の考え方などを提示した。これらは、”分断を生む資本主義”から、”つながりを生む資本主義”へのシフトにつながるものなんじゃないかと僕は考える。

 

これらは、個人のキャリアデザインの文脈にも応用できるんじゃないか。

 

つまり、キャリアの選択のときに「リターン=お金」がだけを判断基準に仕事を選ぶのではなく、仕事にどんな意義があるのか、どんな満足感を得られるのか、そしてどれだけお金を選べるのか--という3つをふまえて選んでみる。あるいは会社選びのときに、その会社が”八方よし”の経営をしているかを基準に選んでみる。

 

特に「心の形成=満足感」のリターンが得られるのかは、四季報や求人サイトを見てもなかなかわからないし、新井さんがいうようにROEやPLといった数値ではなく、そこで働く社員の表情や職場の雰囲気といった主観的な要因がとても重要だから、その会社に知り合いがいれば話を聞いてみたり、可能であれば実際に仕事の現場を見させてもらうといいかもしれない。

 

また、新井さんが理事をつとめるNPOいい会社をふやしましょう」では、これからの日本に必要とされ、持続的で豊かな社会を醸成できる会社をピックアップして紹介しているので、こうした情報も会社選びの参考にしてみるのも手だ。

 

手前味噌だけれど、僕が関わっているNPO法人ETIC.が運営している求人サイトDRIVEキャリアでは、「思い」や「やりがい」を軸に求人を紹介しているので、こちらもチェックしてみるといいかも。

 

このようにしてキャリアに「リターン=幸せ」や「八方よし」の考え方を取り込むことで、働くほど他者や社会から分断されてしまうようなキャリアから、働くほどつながりを感じることができるようなキャリアへと、個人のキャリアもシフトさせていくことができるのではないかと思うのだ。

 

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 僕が働きかた編集者を名乗って、キャリアに関わる仕事をしていきたいと思うようになった背景に、「一人ひとりがもっと幸せに働けるようにできないか」という思いがある。

 

仕事を通して、自分であったり誰かであったり社会であったりを損なわないような働き方はできないのだろうかと考えるなかで、『持続可能な資本主義』は大きな気づきを与えてくれました。資本主義の仕組みやこれからの金融、働き方を考えるうえで超オススメの一冊です。