キャリアの物語をつむぐ

働きかた編集者 山中康司のブログ

PROFILE

山中康司 Koji Yamanaka


働きかた編集者。「”働く”をおもしろく」をテーマに、編集・ライティング、イベント企画運営、ファシリテーション、カウンセリングを行う。ITベンチャーにて人材系Webメディアの編集を経験したのち、NPO法人ETIC.で地方の企業と人材のマッチング業務を担当。東京大学大学院情報学環学際情報学府修士課程修了。国家資格キャリアコンサルタント


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【実績】

キャリアの分野で、おもに「書く」「聞く」「話す」の仕事をしています。

 

・執筆

シゴトゴト』にて『仕事は人びとを幸福にするか』連載中

仕事旅行社が運営するウェブメディア『シゴトゴト』にて、各分野の識者へのインタビューから仕事と幸福の関係を探る連載『仕事は人びとを幸福にするか』の連載を企画・執筆・撮影しています。

 

1:夢があったほうが人は幸せ?キャリア教育学者・児美川孝一郎さんに聞いた-仕事は人びとを幸福にするかvol.1-
2:幸福度ランキングは鵜呑みにしない方がいい?青山学院大学経営学部教授亀坂安紀子さんに聞いた-仕事は人びとを幸福にできるかvol.2-
3:働き方改革からすっぽり抜け落ちているものとは?慶應大学前野隆司教授に聞いた-仕事は人びとを幸福にするかvol.3-
4:「幸福を”Be→Have→Do”で考える。」成瀬まゆみさんが語る、働き方に悩んだ時にすべきこと-仕事は人びとを幸福にするかvol.4-

5:「より“土くさく”生きたい」髙坂勝さんがそう語る理由とは?-仕事は人びとを幸福にするかvol.5-

 

・キャリアカウンセリング

国家資格キャリアコンサルタント所有。人材系NPOでの経験を活かし、主にNPOやソーシャルビジネスに関わるキャリアカウンセリングを行っています。一人ひとりにていねいに向き合わせていただきたいため、基本的に3回(1回5000円)でお受けいたしております。ご相談に関心がある方は、お気軽にお問い合わせください。

 

ファシリテーション

 

 

・その他

グリーンズ求人」プロジェクトマネージャー

「一人ひとりが『ほしい未来』をつくる、持続可能な社会」をめざす非営利組織「NPO法人グリーンズ」の求人サービス「グリーンズ求人」に立ち上げから関わり、プロジェクトマネージャーを勤めています。

 

 

【読書録】ルールは自由になるためにある-『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介-

 これまで、社会学見田宗介さんの『社会学入門-人間と社会の未来』を何度かに渡ってまとめてきました。

 

【読書録】現代日本のリアリティ/アイデンティティ-『社会学入門 人間と社会の未来』見田宗介- - Social Career Note

【読書録】現代日本を理解するための3つの時代区分-『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介- - Social Career Note

 

今回はその最後。見田宗介さんが『社会学入門-人間と社会の未来』で提示する、あるべき社会の構想、<交響するコミューン・の・自由な連合>についてまとめます。

ざっくりまとめると

・われわれの生にとって<至高なもの>と他者にとっての<至高なもの>の解き放ちをどちらも可能にするような関係の形式=<交響するコミューン・の・自由な連合>

⇒つまり、他者は個人にとって歓びのみなもとであり、困難のみなもとでもあることを前提として、自分と他者の自由を損なず、それぞれの歓びを可能にする関係の形式を構築すること、交響を強いてはならない他者たちの、相互の共存のための形式を構築することが必要。

・その構想としての<交響するコミューン・の・自由な連合>を、この章で見田さんは提示している。

われわれの生きる社会の2つの構想

(1)関係のユートピア(交響するコミューン)

・異質な個々人が自由に交響(共にかかわり合う)する空間。個々人の自由の優先のうえに立つ交響だけが望ましい(181頁)

・「歓びと感動に充ちた生のあり方、関係のあり方を追求し、現実の内に実現することをめざす」(172頁)

 ←他者は人間にとって、あらゆる歓びの源泉であることに照応

・個々人が自由に選択・脱退・移行・創出するコミューンたち(182頁)

・交響圏の相互の関係の協定としてのルールによってはじめて現実に保証される(182頁)

・交響するコミューンは家族であることが多いが、単独者でもありうるし、地球の裏側に住むひとりの友人が交響するコミューン内の相手でありうる(190-192頁)

 

(2)関係のルール

・「人間が相互に他者として生きるということの現実から来る不安や抑圧を、最小のものに止めるルールを明確にしてゆこうとする」(198頁)

 ←他者は人間にとって、生きることの困難と制約の形態の源泉であることに照応

・関係のユートピアたちの自由を保障する方法としてのみ、関係のルールは構築されるべきもの(182頁)

 

 2つの社会構想の構成

・2つの社会構想は、その圏域を異にしている(176-177頁)

 関係のユートピア:圏域は限定的(1人〜数十人)

 関係のルール:圏域は社会の全体

 ⇒関係のユートピアの外部に、関係のルールが存在する

 

・関係のユートピアは、相互にその生き方の自由を尊重し侵さないための協定(契約関係)を結び、ルールを明確化する(178頁)

⇒「<交響するコミューン・の・自由な連合>」(183頁)

 

・万人が共にルールを作るものであるのが<自由な社会>

 

 

 

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(画像引用:見田宗介社会学入門-人間と社会の未来』191頁)

 

気づいたこと

 

”社会のルールは、ひとびとの自由を尊重するためのもの”ということが、ぼくがこの本から学んだ一番大きなことでした。でもいまの社会では、そのルールがあまりにも、権力がある人たちやマジョリティの自由のみを尊重する方向にはたらいているようにも思います。

 

ルールは、おたがいが自由になるためにも使えれば、既得権益を守るためにも使えるのです。

 

 このブログのテーマに引きつけていえば、「働く」という領域でも、たとえば女性や障がいを持つ人などが自由に働けるためのルールがじゅうぶんに存在しているとは言えないでしょう。

 

実際問題として、日本の雇用環境のなかでどのようにして見田さんの提示する<交響するコミューン・の・自由な連合>を実現するのか。女性も男性も、正規も非正規も障がい者も健常者も若者も高齢者も、それぞれがそれぞれらしく働くことができる社会をどのように生み出していくのか。

 

おおまかな方向性としては、ルールづくりにそれぞれの異なる意見を持つ集まり(女性とか障がい者とか高齢者とか)も参加する仕組みをつくることが大事なのではないでしょうか。

 

たとえば下の記事でも問題提起されているように、非正規社員の声を労組の運動に反映するしくみなどが求められるでしょう。

 

news.careerconnection.jp

 

”それぞれの主体の意見を、はたらくルールづくりに反映するしくみ”については、今後その事例を集めて、いずれまとめたいと思います。

 

【読書録】『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと<効果的な利他主義>のすすめ』ピーター・シンガー著 関美和訳

取材のための資料として読んだ『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと<効果的な利他主義>のすすめ』が、思いがけずとても刺激的だったので、かんたんにまとめてみます。

 

ざっくりまとめると

効果的な利他主義とは

・一般的に「科学的根拠と理性を使って、もっとも効果的に世界をよりより場所にする哲学と社会的ムーブメント」だと言われている(15頁)

・情けに訴えかけるチャリティではなく、費用対効果の高い方法でいのちを救い苦痛を減らすことを証明できるチャリティに寄付を行う(101頁)

功利主義をチャリティに当てはめたバージョン

・いちばん大きいインパクトを与えることを目指す(232頁)

・チャリティを情緒でなく数字で捉える(232頁)

 

効果的な利他主義の例

・質素に暮らし、収入の大部分をもっとも効果のあるチャリティに寄付する

・どのチャリティがもっとも効果的かを調査、議論、または調査を参考にする

・<たくさんのいいこと>ができるように、いちばん収入が大きいキャリアを選ぶ(

・身体の一部を他人に提供する

・その他の倫理的なキャリア(旗ふり役・官僚・研究者・社会起業家や活動家)

 

効果的な利他主義に共通する<いちばんたくさんのいいこと>という価値観

ほかのことがすべておなじなら、より苦しみが少なくより幸福な世界を目指す

 

効果的な利他主義を動かすのは共感ではなく理性

・自分の「傾向や好みや愛情」から独立した視点で、自身の生き方を評価する。(114頁)

・効果的な利他主義者は特定の人を助けるよりも自分が助けられる人の数に興味を持つ(118頁)

・理性は感情をコントロールすることで倫理的な行動に欠かせない役目をはたす(115頁)

 

 

気づいたこと

以上、ざっくり『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと<効果的な利他主義>のすすめ』をまとめてみました。

 

功利主義を社会貢献にあてはめた「効果的な利他主義」が、欧米ではムーブメントになりつつあると。ただ思うのは、そもそもチャリティの文化が希薄と言われる日本で、効果的な利他主義」は受け入れられるのかということです。

 

また、いまはクラウドファンディングのプラットフォームがあるように、その土壌はありつつ、さまざまなソーシャルビジネスや社会的な取り組みを数字で評価する指標はあまりないのかも。指標は効果的な利他主義」の大前提なので、そこをきちっとつくることが大切になってくるのでは、思いました。

 

【読書録】現代日本のリアリティ/アイデンティティ-『社会学入門 人間と社会の未来』見田宗介-

以前のエントリでは、見田宗介さんの『社会学入門 人間と社会の未来』から、現代の日本社会をみる3つの時代区分をまとめました。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

日本では、高度経済成長期を通して農村共同体が解体され、家族のかたちは拡大家族から核家族になっていったと。

 

今回は、そのことが個人のアイデンティティやリアリティにおよぼす影響について、前回と同じく社会学入門 人間と社会の未来』から読み解いて行きます。

 

キャリアは”自分探し”ということばで語られることもあるように、アイデンティティやリアリティと密に関わっています。現代のキャリアを考える時に、現代人のアイデンティティやリアリティのありようを理解しておくと、”なぜぼくたちがこのようなキャリアを望むのか、あるいは望まないのか”を理解するための補助線となるはずです。

 

それでは、ポイントとなる部分をまとめていきましょう。

 

家郷喪失者の誕生

 

さきほども書いたように、1960年代に高度経済成長期がはじまると、農村共同体が解体・再編成され、多くのひとびとが新しい労働力として都市に流れこみました。こうした、「農村」という家郷=ふるさとをうしなった「家郷喪失者」の孤独と不安を推力として、社会の高度近代化が押し進められていった、と見田さんはいいます。

 

「家郷」は、そこで生活を営む個人にとって2つの意味を持っていました。

 

・生活の共同体:人間の生の物質的な拠り所

・愛情の共同体:精神的な拠り所

 

です。

 

たしかに農村では、出産や婚礼、防災や葬式など、生活にかかわるさまざまなことがらを助け合う仕組みがありました。また、親と結婚した子ども家族など親族が同居する拡大家族は、精神的な支えとなりました。農村を出て、都市に流入した家郷喪失者は、このふたつの意味あいをもつ共同体を、あらたに獲得しなければなりませんでした。

 

近代市民社会の二重の戦略

 

 近代の市民社会の古典形式(つまりこの時代の社会のシステム)は、この二重の要請を<核家族市場経済システム>によって満たします。

 

まず、第一次共同体のもった人間の「人間の生の物質的な拠り所」としての側面を、「市場のシステム」として”開放”しました。農村が担っていたさまざまな機能ー婚礼や防災や医療や年忌や建築などなどーは、市場から調達されるものとなりました。

 

また、人間の生の「精神的な拠り所」としての側面は、「近代核家族」として”凝縮”しました。農村では親族や、ときには近隣のコミュニティまで、精神的な拠り所とされていたでしょうが、都市では拠り所となるのは配偶者やこどもといった家族に限定されていきます。

 

二重の戦略の矛盾

 

 こうした二重の戦略は、近代核家族が市場システムの生産的な主体である「近代的自我※」を生み出すという意味で、見田さんいわく「見事な戦略」でした。

 

※説明がむずかしいですが、ざっくりといえば、自分自身を共同体から独立した存在として考える考え方。

 

しかし一方で、この二重の戦略は矛盾をかかえています。愛情の共同体である近代核家族によって産出された近代的自我は、産出するもの(近代核家族)の否定に向かう傾向を内包していたのです。(近代的自我は、”わたし”という存在を家族という共同体からすら独立したものとして考えるようになる、ということでしょう)

 

<親密なもの>の濃縮と散開

 

こうした状況が、ひとりの人間のアイデンティティ/リアリティに対して引き起こすのは、「<親密なもの>の濃縮と散開」です。

 

日本の近代市民社会の創成期には、さきほども書いたように農村共同体の解体によって開放された<親密なもの>の濃縮として、愛がただひとりの異性に向けて向けられました。見田さんはその例として、1960年代初頭を代表するヒット曲「アカシアの雨がやむとき」では青春の切実な問い(自分が死んだら、”あの人”は涙をながしてくれるのか)がただ一人の”あの人”に向けられていると指摘します。

 

一方、1999年にカラオケボックスで18歳という若さで自死したネットアイドル南条あやは、死の前日に4つの断章をメールで配信しました。「私が消えて 私のことを 思い出す人は 何人いるのだろう…」。また、翌2000年には17歳の犯罪が多発します。その特徴は、対象の任意性、不特定性、動機の非条理性でした。

 

この2つの例にあらわれているように、1960年代初頭の近代市民社会の創成期から、1990年代後半〜2000年代に入り近代市民社会が解体してくると、「社会の親密圏/公共圏をめぐる構図の、知覚の転変と正確に照応(115頁)」しながら、「自己の存在の『証し』をめぐる切実な問いの方向(115頁)」は転回する。

 

農村という第一次共同体をうしなった個人は、ただ一人に愛着をみいだす。やがて、家族という共同体をうしなった個人は、不特定多数に愛着を見出す。こうした様相を、見田さんは「<親密なもの>の濃縮と散開」ということばであらわしました。

 

**********

 

以上、社会学入門 人間と社会の未来』のポイントを簡単にまとめました。

 

<親密なもの>が散開し、不特定多数に<親密なもの>を求めるようになると、まさに相手が「不特定」、そして「多数」であるがゆえに個人のアイデンティティも不安定なものになってしまう危険性があるでしょう。

 

そうしたアイデンティティが不安定な状況にあるひとにとって、「仕事」とはどういう意味合いを持つものになるのか。「仕事とアイデンティティ」の関係については、あらためて考えてみたいと思います。

 

【イベントレポ】日本的雇用の特殊さを理解するための「membership contract -job contract」という構図 -GHC sumitt #002-

GHC sumitt #002」というイベントに参加してきました。GHC sumitt #002」は、世界各国の人と日本人のプロフェッショナルが、一緒に日本でのあたらしいはたらきかたを考えるインタラクティブなセッション。今回は”日本の雇用”について、議論がおこなわれました。

 

とくに印象に残ったのは、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の組織人事戦略コンサルタントである名藤大樹さんの「membership contract -job contract」という話。備忘録的に、ちょっとまとめてみます。

 

 membership contract とjob contract

 

これらふたつは、それぞれどのようなことなのか。その違いをざっくりまとめると、次のようなものになります。(ほんとにざっくりです)

 

 

membership contract

所属の契約。日本で特殊な発展を遂げた、「総合職」という雇用のしかたがこれにあたる。企業と所属の契約を結ぶので、勤務地や給与や業務など企業側の都合に左右されがち。だがそのぶん、大きな仕事ができてスキルアップが期待できたり、社内での出世ができたり、福利厚生や生活の保障はしっかりしている。(これに対しては、「いまはもう総合職だからといって保障がしっかりしているわけではない」との意見も)日本の雇用形態のヒエラルキーでトップに君臨する。

 

 

job contract

 業務の契約。日本の雇用形態のヒエラルキーでは、おうおうにしてmembership contractよりも下に位置する。企業と所属の契約は結ばないので、勤務地や給与や業務など企業側の都合に左右されないでいられる。反面、生活の保障がmembership contractほどじゅうぶんになされないことが多い。

 

名藤さんによれば、海外ではjob contractが一般であるものの、日本では反対にmembership contractが一般的であり、membership contractを会社と結んだ個人が雇用のヒエラルキーの上部にいると指摘しました。

 

日本的雇用は変わりつつある?

 

会場に来ていた外国人参加者からは、membership contractがわりと一般的で、極端な話会社に奉公することが美徳ともされていたような日本の雇用のしくみに、驚きと戸惑いの声が聞かれました。

 

とはいえ、多くの日本人参加者が指摘したように、membership contractとjob contractの待遇格差など、垣根をとっぱらおうという動きが進み始めているのも事実。いまも政府は、同一労働同一賃金の実現に向けて取り組んでいます。

 

ぼくも、長期雇用を前提としたmembership contractは、そもそも長期雇用を会社が保障できなくなってきたいま、難しくなりつつあるんじゃないかと感じています。たしかに社会に根付いた慣習が変わるのは難しい。ですが、すこしずつ、確実に変わっていってるんじゃないかな、しかも柔軟性のないこのしくみを変えていかなくてはならないな、と思う次第です。

【読書録】現代日本を理解するための3つの時代区分-『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介-

以前のエントリでは、見田宗介さんの『現代社会の理論』から、現代社会を情報化・消費化社会として見る視点をまとめました。

 

kjymnk.hatenablog.com

 

現代社会の理論』の続編とも位置づけられるのが、今回紹介する『社会学入門』。”わたしたちが生きる現代社会とはどんな社会か”を考える上でのヒントがたくさん詰まった一冊なので、何回かに分けてぼくがポイントだと思った部分をまとめます。

 

今回は、「 3章 夢の時代と虚構の時代」について。戦後から現代までの日本社会が、どのように変わってきたのかを、高度経済成長期を軸に3つの区分を用いて説明している部分です。

 

それでは、その3つの区分について順番にみていきましょう。

 

<理想の時代>プレ高度成長期 1945-1960

 終戦から1960年までは、人々が理想を求めて生きた時代だと見田さんは述べています。具体的には、アメリカのような物質的豊富さを求めた時代です。当時の日本には、第二次大戦ではアメリカの圧倒的物量の前に破れた、という意識があったことが、根底にありました。

 

政治思想の点では、当時の日本には2つの理想が支配していました。

(1)アメリカンデモクラシーへの理想

(2)ソビエトコミュニズムへの理想

です。

 

こうした2つの理想主義的党派は現実主義的な権力に1960年の安保闘争で破れることになります。ここまでが、理想の時代。

 

<夢の時代>高度経済成長期 1960-1973ごろ

そして訪れたのが、見田さんが現代日本社会が形作られたと指摘している高度成長期。

 

日米安全保障条約改定を目指した岸内閣の後を引き継いだ池田内閣(1960-1964)による「日本社会改造計画」によって、その方向性が決定づけられます。

 

「日本社会改造計画」には2本の柱がありました。「農業基本法」と「全国総合開発計画」です。前者で小農民の切り捨てにより伝統的な農村共同体が解体され、後者で全国土的な産業都市化が進められました。そうすることで、高度経済成長にとって必要な資本・労働・力場が形成されました。

 

農村共同体が解体されたことで、それまでの拡大家族(親と、結婚した子供の家族などが同居する家族形態)から、核家族へと、家族の形も変わります。

 

このような劇的な変化のただなかにあった日本社会を覆っていたのは、”幸福感”でした。見田さんは次の6つが、その幸福感の背景にあったと指摘します。

 

・衣食住という基本的な欲求が満たされたこと

ベビーブーマーが思春期という感受性豊かな年代にいたこと

・古い共同体から近代核家族という新しい自由な愛の共同体が生まれたこと

・この局面の経済成長が階層の平準化に向かう方向で機能したこと

・大衆の幸福と経済繁栄が好循環する「消費資本主義」が日本でも成立したこと

・戦中から戦後という貧しさと悲惨の時代の憶が新しかったこと

 

しかしこうした幸福な時代も長くは続きません。1974年のオイルショックをきっかけに、1974年に戦後始めて日本はマイナス成長を記録します。

 

<虚構の時代>ポスト高度成長期 1970年代後半-現在

 

高度経済成長期のあとに訪れ、現在まで続いているというのが<虚構の時代>。

 

経済的には1970年代中葉をとおして、高度成長から安定軌道への軌道修正が追求されます。夢の時代の終焉と呼応して、「終末論」と「やさしさ」という1974年の流行語が、その後20に渡って時代の完成の基調を表現する言葉となります。

 

さらにこの時代の日本人には、ある感受性の変化があらわれます。見田さんが挙げるのは次のようなことがらです。

 

・関係の最も基底の部分(家族のコミュニケーション)が、演技(虚構)として感覚される(家族のだんらんは、”わざわざしなくてはならない”もの)

・「映像や写真に写されたものこそが真」という認識論=存在論(電線にとまるスズメをみて「スズメが映っている」と言う幼稚園児の感覚)

・土のにおいや汗のにおいといった、リアルなもの、自然なものの脱臭に向かう、排除の感受性(カワイくないもの、ダサいものを排除する遊園地的空間としての渋谷)

・人間の内的な自然(肉体のリズムなど)の解体と限界という界面に展開しつづける、戦闘の形態(24時間戦うことを強迫されるビジネスパーソンの、薬剤と心身症

 

つまり、家族のコミュニケーション、写真の向こう側にある現実のモノ、肉体のリズム、土のにおいや汗のにおい……といったリアルなもの、自然なものが、虚構にとってかわられていく。そんな時代が、1970年代後半から現在まで続いていると見田さんは述べます。

 

※ちなみに、ふと思い出したのですが、『暮らしの手帖』をつくった花森安治さんは、みずからの戦争の期経験から「暮らしという身近なところへの視点を欠いてしまうから、戦争が起こってしまう」(うろ覚えです)といった考えから『暮らしの手帖』をつくったと、どこかで読んだ記憶があります。戦後すぐに、自然やリアリティのたいせつさに気付いていたその視点のするどさに驚かされます。

 

 

リアリティへの揺りもどしが来ている?

 

「虚構の空間と虚構の時代は、どこまでつづくか?」

 

これが見田さんがこの章の最後に投げかけた問いです。ぼくは3.11を大きなきっかけとして、虚構性からリアリティとか自然への揺り戻しがきているのではないかな、という肌感覚があります。

 

たとえば書店に並ぶ雑誌の見出しを見ても、エコやロハス、田舎暮らしやIUターン、など、リアリティへの揺りもどしを想像させるような言葉がならんでいます。

 

いっぽうで、「カワイイ」という見出しのファッション紙や「効率化」という見出しのビジネス紙、「モテるインスタグラムのコツ」などの、見田さんが述べるところの虚構性を象徴するような雑誌も並んでいて。

 

書店でのこの”リアルと虚構”のせめぎ合いは、ちょうどいまの日本社会が”リアルと虚構”のあいだでゆれている、ひとつの過渡期であるということの現れてあるようにも思います。

 

ただ、”リアル”とか”自然”という方向性に向かう時に、高度成長期に解体された農村共同体や拡大家族はほとんど残っていない。だから、それらの変わりとなる地域でのコミュニティや、疑似家族(シェアハウスなど)があちこちで生まれているのでは。

 

さて、わたしたちが迎えるこれからの社会は、いったいどのようなものになっていくのか。また、どのようなものにしていくべきなのか。それを考える上で、この本はとても参考になるので、興味があればぜひ読んでみてください。

 

そもそもソーシャルビジネスとは? 簡単にまとめてみた

「ソーシャルビジネス」ということばを目にしたり、耳にしたりすることは珍しくなくなりました。

 

でも、なにげなく使うからこそ、「そういえば、このことばの意味ってなんだっけ?」というふうに、その本来の意味を忘れてしまう(あるいはもともと知らない)こともあるのが世の常、人の常。

 

なので、備忘録的に、あらためて「ソーシャルビジネス」とはなにかについてまとめてみます。

 

ソーシャルビジネスとは

ソーシャルビジネスとはなにか、ということについては、さまざまな組織がさまざまなことを言っています。そのなかでも、かなり頻繁に参照されるのが、早稲田大学の谷本寛治教授が提示した、3つの要件です。

 

(1)社会性

社会的課題に取り組むことを事業活動のミッションとすること。

(2)事業
社会性をビジネスの形に表し、継続的に事業活動を進めていくこと。
(3)革新性
新しい社会的商品・サービスや、それを提供するための仕組みを開発したり、活用したりすること。また、その活動が社会に広がることを通して、新しい社会的価値を創出すること。

(参考:谷本寛治『ソーシャル・エンタープライズ社会的企業の台頭』中央経済社、2006 年)

 

 また谷本氏は、ソーシャルビジネスと一般企業によるビジネスの違いを、対応する領域の差にもとめます。

 

・政府・行政の対応を超える領域
・市場の対応を超える領域

 

以上のこともとにぼくなりにソーシャルビジネスの定義をまとめると、

「政府・行政、そして市場では対応できない社会課題にたいし、事業性を持って取り組み、革新的な商品・サービス・仕組みを生み出すこと」

ということになります。

 

事例については次のようなページにたくさん(ちょっと古い事例もありますが)まとめられていますので、気になる方は要チェック。

matome.naver.jp

www.meti.go.jp

 

ソーシャルビジネスが生まれた背景

それではなぜ、このようなビジネスが生まれてきたのでしょうか。

 

背景にあるのは、「新自由主義」という考え方。

 

新自由主義」とは、経済への政府の介入を減らし、規制緩和等を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せることです。

 

1980年代以降、アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が、新自由主義に基づき社会保障費を大幅に削減。公的な助成金補助金を失ったNPOが、事業の核となる取り組みから収益を得ることができる事業モデルを模索したことが、ソーシャルビジネスがひろまったきっかけとされています。

 

日本でも、1980年代末期から続いたバブル景気が1990年代初頭に崩壊し、また少子高齢化が進むなかで財政が緊縮されるようになり、公共サービスを市民自身やNPOが主体となり提供する「新しい公共」が注目されるようになりました。

 

三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社が行った調査によると、2014年(平成 26 年)時点の日本では、社会的企業の数は調査の母集団となった企業 174.6 万社のうち20.5 万社(11.8%)、社会的企業の付加価値額は 16.0 兆円(対 GDP 比 3.3%)、有給職員数は 577.6 万人。社会的企業の社会的事業による収益は 10.4 兆円。

 

さらに同じ調査では、「日本の社会的企業の経済規模は、企業数や GDP といった点から英国よりもやや小さいものの、雇用に対する影響力では英国よりも大きい と考えられる。」と分析されています。

(参考:「我が国における社会的企業の活動規模に関する調査」三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社

 

 

ソーシャルビジネスの課題

ソーシャルビジネスが注目され始めて、日本では20年以上が経っています。そのなかで多くの成功事例が生まれながらも、日本でのソーシャルビジネスはいまだ多くの課題をはらんでいます。

 

 

ちょっと、というかかなり古いですが、ソーシャルビジネス研究会が2008年に、ソーシャルビジネスを実践する組織に対して行った調査では、回答から次のような課題が浮かび上がりました。

 

事業を展開する上での課題としては、「認知度向上」(45.7%)、「資金調達」
(41%)、「人材育成」(36.2%)の 3 つが大きな課題となっているということ。

 

また 、ソーシャルビジネスの普及・発展させていく上での課題については、「公的機関との連携・協働の推進」(42.5%)、「担い手不足」(42.3%)、「認知度が低い」(41.9%)、「資金提供の仕組みの充実」(37.2%)等の課題が大きいということ。

(参考:「ソーシャルビジネス研究会 報告書」経済産業省※PDF資料

 

これらの課題をうけて、報告書では次のような対策を提示しています。

 

(1)社会的認知度の向上

(2)資金調達の円滑化

(3)ソーシャルビジネス等を担う人材の育成

(4)事業展開の支援

(5)ソーシャルビジネスの事業基盤強化

 

詳しくは「ソーシャルビジネス研究会 報告書」を読んでもらいたいのですが、これらの課題と対策は現在でもソーシャルビジネスの分野で求められていることなのではないでしょうか。

 

まとめ

以上、ソーシャルビジネスの概要について簡単にまとめてみました。

 

「課題先進国」と呼ばれる日本で、わたしたちの身の回りのさまざまな課題を解決していくときに、政府や行政の力には限界があります。社会課題の解決を行政に任せっきりにするのではなく、民間の力、つまりソーシャルビジネスによるイノベーションを起こすことが、今後不可欠になってきます。

 

それは見方を変えれば、わたしたち自身が、わたしたち自身の問題を解決するチャンスを得られるということ。これって、わくわくしませんか? 個人的には、ソーシャルビジネスに関わりながらはたらくという選択肢がもっと一般的になったら楽しいし、そうなっていくんじゃないかな、と思っています。